
『太陽に灼かれて』 ニキータ・ミハルコフ監督 ロシア、フランス(1994)
最近はロクでもない邦題が多い中、なかなか良い訳だと思う。
太陽とはスターリンのことであろうが、あるいはソ連や共産党のことかもしれない。
『戦火のナージャ』は、既視感たっぷりの様々な戦争映画のエピソードを羅列したような映画で、微妙な評価を下さざるを得なかった。
だが、一作目の本作は、まごうことなく名作である。
以下、ネタばれ注意!
2時間半という長尺の中で、1936年初夏のある半日が描かれる。
冒頭、モスクワ・クレムリン近くの高級アパートの薄暗い一室では、電話である指令を受けた男がピストルを自分の頭に当てる。
次いで、一面に続く金色に輝く小麦畑、それを踏みつぶして進もうとする戦車群。
バーニャ(サウナ)で妻子と休暇を楽しむ主人公(大佐)は、農夫にせがまれてその場に走り、指揮官を叱り倒して追い返す。
主人公は革命の英雄でスターリンの友人、妻は旧貴族階級の出身。
妻の一家が持つダーチャ(別荘)には、知識人や芸術家が集い、一時代前を懐かしむが如く、フランス語が飛び交い、詩を詠み、歌を歌う。
主人公はどこか浮いて、とけ込めない空気がある。
そんな中に冒頭の男が突然別荘を訪れる。
男は彼らの古い仲間で、妻のかつての恋人だった。
記憶から消去したはずの元恋人の不意の来訪に怯える妻。
男は十年の空白も無かったかのように振る舞うが、様々な話や仕草から、主人公(革命)によって男の家族が破壊され、恋人との仲を引き裂かれたことが分かっていく。
暗い復讐心に身を焦がしながら、別荘の姿にかつての幸福を見いだす男。
男が誰で何をしに来たのかを悟る主人公。
陽が降りないロシアの夏の日も暮れていく。
あまりにも美しく、まぶしいロシアの田園風景。
そんな太陽の下で繰り広げられる人間たちの暗い妄執、革命の暗部。
ちょっとした幸せも、外と内から壊されていく現実。
何も知らない子どもの描写が悲劇を強調する。
ロシア映画の特徴で、いつもの如く、何の説明もない不親切設計。
ある程度の知識がないと、誰がどんな立場で誰とどんな関係にあるのかすら想像できないだろうし、一体何が起こっている(起ころうとしている)のかも分からないかもしれない。
言葉や行動の端々に、本音の暗喩や行動の予兆がプロットのように仕組まれている。
抑えられた演技も演出も素晴らしい。
ミハルコフ監督の映画はムダに映像美が際立っていると思うが、本作に限っては美しくなければならない理由がある。
2時間半と長く、設定や状況が把握できない人には辛いかもしれない。
しかし、ソ連史に通じていなくとも、想像力を働かせることのできる人には、様々な表現と描写のコントラストがたまらない魅力となるであろう。
細かいところでいえば、『戦火のナージャ』ではいい加減だった戦車も、本作ではT−26とかBT−2っぽい戦車が本物らしく走り回っているので、それだけでもオタク的には嬉しくなってしまう。
ロシアには、シベリアに配備されたまま塩漬けされた古い戦車が結構残っているようだ。
どうでも良いことだが、本作と『戦火の…』のナージャ(の成長ぶり)を比べてみると、ロシア人を妻に持つものとしては感慨深いものがある……
ソ連・ロシア好きは、DVDを購入してでも観る価値のある作品である。
いずれもう一度妻と一緒に観ようかと思っている。