2011年08月16日

朝鮮統治のツケ

この季節になると、戦後60年以上を経た今もなお、二次大戦などのコンテンツが出てくる。
新しい資料や視点が提示されることもあり、興味深いことも多々ある。
だが、こと自国・日本のことになると、十分に満足させてくれるものは、まだ多くない。

一つは財政の視点が足りないことである。
日露戦争のツケで述べたように、「ロシアの横暴ガマンならん!」「朝鮮はオレのもんだ!」とブチ切れてロシアに宣戦布告し、丁半バクチのような戦争を始め、かろうじて勝利を得たは良いものの、その後に残ったものは税収10年分の戦費と過重な軍事費だった。
戦記小説などでは「ロシアに勝った、やったぜ〜日の丸バンザイ!」で終わるが、我々政治家にとっては、むしろ戦後処理の方が問題であり、財政負担のツケは二次大戦を経て戦後まで支払わされる形となった。
今日の深刻な財政赤字を抱える日本の政治に携わる身からすると、日露開戦を決めた当時の政治家たちは「後先・採算を考えずに戦端を開いてしまったバカども」と評価せざるを得ない。日露戦争に反対した伊藤博文、金子堅太郎、そして「財政が破綻する」と指摘した曾禰荒助たちこそが、今日的評価では正しい認識を持っていたと言えよう。
戦前の日本財政と戦争の関係については、

『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』 松元崇 中央公論新社(2009)
『高橋是清暗殺後の日本』 松元崇 大蔵財務協会(2010)


の2冊を読んでおくことをお薦めする。
これを読んでもやる気満々であるのなら、今の日本も近い将来財政破綻するであろう。

日露戦争からシベリア出兵、一次大戦、満州事変を経て日中戦争、太平洋戦争に至る経緯は長く、様々な事象が作用している。
だが、どうも私的に「検証が不十分」と思える巨大な要因の一つに「日韓併合・朝鮮統治」がある。概要だけ記しておく。

問題を単純化していくと、
日米開戦は中国の市場開放を要求した米国と、ブロック経済化(市場寡占)を企図した日本がまったく折り合いを付けられなかったことに起因する。
その日本は、市場競争を行ったら米英には敵わないことを承知していたがために、中国市場を独占しようと日本の傀儡政権を打ち立てるべく、国民政府との和平を拒否して戦争継続を選んだ。
中国との軍事衝突の直接的原因は、日本の満州支配に伴う防衛線・支配領域の拡大にあった。満州周辺領域や内蒙古における日本の傀儡政権設立は、中国から見れば「際限なき侵略」に見えたとしても致し方あるまい。
日本人的には、それは満州を保全するための「自衛活動」であったわけだが、そもそも満州に傀儡政権を立てたのは、朝鮮防衛と日本からの植民先を確保するためだった。
「ソ連あるいは国民政府に満州を取られるくらいなら先に取ってやれ」というくらいの話であって、そこには政治・戦略レベルでの計画は何もなかった。

「朝鮮は日本の生命線」であるとして、その朝鮮を守るために満州を先制して支配することが、当時の拡大主義者たちの言い分だった。
しかし、そもそも前提が間違っていた。

日本の朝鮮支配は大赤字だったからだ。
朝鮮は日本領であるにもかかわらず、朝鮮総督府は基本的に独立採算制をとっていた。
だが、その財政は徹頭徹尾歳出超過の赤字だった。
日韓併合した1910年代には、すでに毎年平均で1500万円の赤字を出しており、これが20年代になると約4千万円、30年代になると7千万円以上にも達していた。
これらは全て日本本国からの交付金、借入金および公債で賄われた。
ちなみに、1912年の一般会計歳出が6億円、1922年で15億円、1932年も15億円であり、そこに占める朝鮮交付金の大きさを考えて欲しい。
日本は朝鮮のインフラ整備と防衛にずっとカネをつぎ込み続けたが、その経営はついぞプラスに転じることはなかった。
これは、日本に朝鮮のインフラを整備して産業を発展させるだけの国力と資本が存在しなかったことを意味する。

では、なぜ「朝鮮は日本の生命線」だったのか?
それは米だった。
日本の人口は、1890年には4千万人だったが、1920年代には6千万人を超え、30年代には7千万人を突破した。
結果、江戸時代には食糧の完全自給国だったものが、明治20年代には輸入国になっていた。
大正期には米不足が深刻化し、需要に対して2〜3割も不足するところとなり、植民地たる台湾と朝鮮から輸入(自国領土なので正確には移送)することとなった。
これが、問題を深刻化させた。

元々価格の安い台湾米と朝鮮米が、さらに無関税の自国米として流通することによって、日本本土の米価は急落し、農村を疲弊させた。
一方、安定した供給先を確保した台湾と朝鮮の農業者は、日本によるインフラ整備も相まって、その生産力を飛躍的に向上させ、日本支配期の最初と最後では2倍前後にも増やしている。そのため、ますます米価が低下していった。
日本の小作人たちは、米価の低下を受けて、小作料が収められなくなり、都市に移住して工場労働者になるか、外国に移民するしかなくなった。

さらに、台湾と朝鮮が日本国の一部となることで、人の移動が容易になり、安価な労働力が日本本土の都市部に流入した。
大正から昭和初めの労働争議の背景には、特に朝鮮移民による労働単価の低迷という問題があった。
同時に、戦前日本の構造的欠陥として、常に軍備過剰にあり、国内のインフラ整備や産業への投資が不十分であり続けたことがある。
そのため、都市部で職を得られなかった人々は、ますます海外への移民を余儀なくされた。

満州事変や2・26事件では必ず「農村の疲弊」が取り上げられるが、その原因は朝鮮統治にあった。
軍部や拡大主義者たちは、朝鮮統治のツケを払うために満州への進出を企図したが、満州進出はさらに軍事費を中心に財政負担を重くさせ、国内を疲弊させるという悪循環に陥った。
その朝鮮統治のきっかけとなったものが、日露戦役の戦勝であったことを考えるならば、脳天気に戦勝を喜ぶことなどできようはずもないのである。
特に、我々政治家は、この視点を忘れてはならない。

【追記】
左翼人としては言の葉に載せるのは憚られるが、最低でも朝鮮は保護領化(軍事・外交自主権の剥奪)だけにしておくべきだった。欲望むき出しにして完全併合を強行したことは、当時の政治家たちの先見性の無さを示すものであり、今日一般に評価されるほどには優秀ではなかったと見るべきだ。
posted by ケン at 12:57| Comment(5) | TrackBack(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素晴らしい内容ですね。

戦略って「内治」「民生」とかも重要ですし、その辺の採算とか考えてこそなのでしょう。

近代日本は、見てくれだけ「近代化」しても、庶民の労働・生活は、「前近代」であった。
そのギャップを「戦争による勝利」「見てくれの豪華さ」で誤魔化しても、内治の脆弱さは、内臓の弱さが出てくるように、現れてくる。
そもそも戦前の「人材難」「農村の疲弊」もごまかしの繁栄の証拠に思います。

今の戦後日本も、戦前とレベルは違えど、「見てくれの充実と、内実の虚弱さ」は変わらないように思います。

浅薄な見解ですが、一読くださればありがたいです。
Posted by 忠武飛龍 at 2011年08月16日 20:23
忠武飛龍さん、いつもありがとうございます。

そうですね。
日本人はいつからか近代化を「技術発展による工業化・産業振興」ではなく、「植民地獲得レースに参加すること」と理解するようになってしまいました。
産業革命の過程で農業が犠牲になるのは避けられませんが、日本では工業化、市場化が不十分なまま、政府の政策によって農村が荒らされていったわけです。
そのツケで満州移民や米国移民が生まれ、米国への移民は反米感情を強めた点でも悪い方向に作用しました。
国民に海外への移民を余儀なくさせるような政府は、無用の存在といえましょう。

戦後はすでに近代を経て、社会福祉の充実した現代化を進めなければなりませんでしたが、常に一歩遅れている日本は、今日に至るまで工業化を優先させてしまいました。
所得は増えても、内実がお粗末なのは、社会福祉や生活インフラへの投資が不十分だったためです。

ただ、この点は日本において社会民主主義政党が十分に育たなかったことが大きく影響しており、その末裔としては反省しなければならない立場にあると自覚しています。
Posted by ケン at 2011年08月17日 22:42
植民地獲得=繁栄というのが誤りであったのは今では誰もが知っています。
が、当時は日本人に限らず、世界中がそう信じていましたよ。
19世紀時点で、膨大な植民地を持つ英国と、その半分しか植民地を持たない仏国の国力が同等になっていたにもかかわらず。さらには、20世紀初頭時点で植民地がほとんどない独国が英仏とほぼ同等の国力を持つようになったにもかかわらず。
当時、そういう事実があるにも関わらず、植民地の確保と繁栄には何の関係もないと喝破した人はいませんでした。(少なくとも、多くの人に知られることはなかった。)
Posted by 後智恵 at 2011年08月18日 11:05
英国のインド経営も19世紀末時点で既に赤字になっていたと言われています。しかし、WW2がなければ維持し続けようとしたでしょう。
フランスは戦後もインドシナやアルジェリアを維持しようと四苦八苦してました。
Posted by 大英帝国 at 2011年08月18日 11:17
歴史から学ぶということは、後付の知識となることは避けられません。当時の人とは桁違いの情報量を有しているわけですから。
しかし、「当時は植民地主義は当たり前だった」という視点からは、何も学ぶものがないでしょう。歴史を楽しむだけならそれでも良いでしょうが。

それから、欧米諸国は産業革命によって得た資本と商品と技術の投資・販売先を独占するために、植民地を求めたわけですが、日本は何も有せず、安全保障と虚栄心のみで台湾と朝鮮を併合しました。基本的条件が全く異なります。
Posted by ケン at 2011年08月18日 23:55
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