2011年04月07日

Хрусталёв, машину!

アレクセイ・ゲルマン監督の『フルスタリョフ、車を!』を観る。
ゲ監督16年ぶりの作品というばかりでなく、制作に6年かかり、フランスの制作会社が提供した資金を使い果たして、新たにロシアで金集めしてようやく完成に至った経緯がある。

以下、ネタばれあり。注意!

khrustalev.jpg
『フルスタリョフ、車を!』 A・ゲルマン 露仏(1998)

予備知識を入れないで観賞したため、考えていたものとは全く違うものだった。
1953年3月、スターリンの死を迎えんとするロシア。
1月には、共産党幹部に対する殺害未遂の嫌疑をかけられて大量逮捕者を出した「ユダヤ人医師団陰謀事件」が発覚、新たな大粛清の予感を感じさせていた時でもあった。
主人公は、赤軍の軍医将軍にして、モスクワにある大病院の脳外科医でもある。
アルコール入りの紅茶をガブガブ飲み、そこら中を大声でわめき立てながら闊歩し、家と病院と愛人宅を目まぐるしく駆け回る、ハゲのマッチョ。
その日々の中で、自分のそっくりさんが何人も用意されていたり、アヤシイ外国人記者が寄ってきたりすることから、ただならぬ気配を察知して逃亡を図る。
しかし、あえなく逮捕され、シャンパンスコエ(シャンパンのパチもん)の配送車で護送され、途中暴行を受けるも突然釈放される。
別の車に乗せられ、党要人の別荘らしきところに連れて行かれ、いきなり治療するように命令される。
すでに死の直前にある患者の顔を見た主人公は驚愕する……

あらすじを言えばこんな感じになる。
が、この映画では何の用も足さないことは一目瞭然。
私も、見終わって内容を再構築し、ネットで確認してようやく理解できたというのが本音だからだ。
作中にあるのは、凄まじいまでの破綻と狂騒、そして混沌であり、そこにはいかなる秩序も存在しない。
病院の中では、精神に異常をきたしたとおぼしき患者たちが喚き、意味不明の言葉を連呼し、医師や看護師たちまでもが同調しているようにしか見えない。
家の中も、凄まじい大家族が同居しており、誰と誰がどういう関係にあるのかおよそ掴めず、めいめいが勝手なことを言いながら、奇行に走っている。主人公は、それをどなりつけ、殴りつけ、あるいは無視して紅茶をがぶ飲みする。
こんなのが140分間、ほぼぶっ通しで続くのだから、最後まで観るのも一苦労だ。

しかし、ロシアを知るものならば、ある程度は理解できるだろう。
これこそがロシアなのだと。
凄まじいまでの無秩序と暴力性、そして反知性主義。
まったく先の見えない閉塞感と明日をも分からない絶望。
そして、虚無に由来する際限なき狂乱。
これは、ロシア人たちが自分で毛嫌いする自分たちの肖像なのだ。
ロシア人たちは、自嘲気味に自分たちの無秩序と暴力性を嫌悪し、それ故に常に外国への憧憬や移住の希望を言いつのるが、それを構成しているのは自分たちに他ならない。
私に言わせれば、ロシア人も中国人もインド人も、一歩も外に出て欲しくないのだが(爆)

スターリニズムは強固な秩序だったのでは?という反論はあるだろう。
しかし、それは表裏一体のものに過ぎない。
大粛清で犠牲になった人たちは、正当な罪があって殺されたのではなく、誰でも良かったのだ。殆どの人は、何故自分が殺されるのかすら分からなかったに違いない。
赤軍大粛清では、元帥5人のうち3人が、軍司令官級15人のうち13人が殺された。そこにはいかなる合理性もない。
合理性のないところに秩序などあろうはずもなく、残るのは恐怖による服従のみ。

90年代のロシアもまた、狂騒の時代だった。
今日もらった給料は、一週間後には紙くずになってしまうかもしれないのだから、週末には全部ウオッカにして飲んでしまうほか無かった。その狂乱ぶりは凄まじいものがあった。
党幹部は国有資産を私物化して財閥の長に収まり、軍人は物資を横流ししてマフィアの頭領となり、警官は大衆から賄賂を取って生活していた。
それを目の当たりにした私は、ゲ監督の表現したかったものを類推することはできるが、そうでない人は、何が何だかまったく分からないまま、苦痛の140分を過ごすことになりそうだ。

ゲルマン監督は「知性でロシアを理解することはできない」と言うが、映画を観て感覚でロシアを捉えるにも相当のセンスが問われそうな怪作である。
posted by ケン at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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