2010年11月03日

日露戦争のツケ

どの新聞だったか忘れたが、どこぞの大学教授が、

「日露戦争は予算を確保した上で戦ったからまだ良かったが、これが太平洋戦争になるとまったく財政を無視した戦争となった……」

というようなことを書いていた。
まぁコラム欄なので、説明に限界が生じるのはやむを得ないとしても、現役の大学教授ともあろう方が(しかも経済学らしい)、随分と粗雑な話をされていたことに少々驚かされた。

戦前の日本の指導部が、国家財政を無視して戦争を推進したのは、対米戦に限ったことではない。
すでに日中戦争が勃発した昭和12年(1937年)には、税収13億円に対して、一般歳出が35億円、臨時軍事費特別会計が20億円を計上する事態に陥っている。
税収の4倍もの予算は、当然借金(公債、借入金)によって賄われた。
ちなみに、昭和12年の国家予算内には一般会計軍事費もあるが、一般会計歳出の総額27億円のうち、軍事費が12億円と44%以上を占めていた。
一般会計軍事費と臨時軍事費を合わせれば32億円になり、軍事費以外の一般歳出15億円の倍以上となっていたことが分かる。
また、軍事費の総額は、対米戦直前の昭和16年(1941年)には136億円、軍事費以外の一般歳出は40億円で3倍以上になっている。
さらに続けると、昭和12年度には兵器費に占める弾薬費の割合はすでに56%になっていたが、翌13年度には早くも76%に上昇し、その分兵器生産が犠牲となって滞り、その翌14年(1939年)には中国戦線に展開する25個師団への補給が一部不足するという事態に陥っている。
この昭和14年に戦前の日本のGNPは頂点を迎え、後は次第に衰退していくだけだった。
その翌々年に日米が開戦するわけだが、兵器・弾薬・戦車・自動車等の生産は昭和13年(1938年)がピークであったことを考えると、我々の先祖は一体どんな頭脳(おつむ)をしていたのか、疑うしかない。

話を戻すと、日本の財政無視は、対米戦どころか日中戦争から始まっていた。
その日中戦争が始まる前ですら、昭和12年度の国家予算が、租税と印紙収入13億円に対して、一般(平時)軍事費が12億円(うち戦艦大和と武蔵で2.6億円)に至っていたことを考えれば、現代に直せば40兆円近い額を防衛費につぎ込んでいた計算になる。
こんな財政で、国内の殖産興業や国民生活(社会保障)の充実など、図れるはずもなかったのだ。
そして、かような恒常的に過重な軍備負担を強いたのは、日露戦争に勝利したが為だった。

日露戦争に勝利した結果、ロシアとの関係を決定的に悪化させ、その後のシベリア出兵を経てソ連とは「不倶戴天の敵」になってしまった。
そして、朝鮮利権を独占、併合に至ったために、朝鮮防衛のために満州への軍事進出を余儀なくさせ、満州を支配下に置いたがために、中国との戦争リスクを高めた上に、仮想敵のソ連と長大な国境を接することとなり、ノモンハン事件に至った。
また、日露戦争当時、英仏に次ぐ艦隊を有していたロシアに勝利したために、今度は米国から警戒されることとなり、日本海軍もまたアメリカを仮想敵として軍拡を進めることとなった。
つまり、陸軍はロシア・ソ連を、海軍はアメリカを仮想敵として軍拡を要求、戦勝によって軍の発言力が肥大化したこともあって、議会も大蔵省も常に「まず軍の過大な要求をどうするか」というところから議論を始めなければならず、疲弊していった。

さらに話を戻して、日露戦争を見てみよう。
「日露戦争は予算を確保した」とは言うが、その内実は酷いものだった。
日露戦争の戦費は18〜20億円で、そのうち8億円(借り換え含めれば13億円とも)が外債だった。
当時の日本の一般歳出は2.6億円に過ぎず、当然税収は2億円にすら満たず、そんな中で2億円規模の増税を行ったのだから、ある日突然税金が倍以上になったわけで、当時の日本人は偉すぎるとは思うものの、今から考えれば「あり得ない」ほどの無茶だった。

これを今日のレートに直せば、300〜400兆円もの戦費がかかったことを意味しており、うち100〜200兆円は借金で、「C国と戦争勃発」ということで、ある日突然消費税が20%、所得税が倍になってしまうようなイメージである。

さらに、この外債の内実は惨憺たるものだった。
最も規模の大きかった英国債を例に挙げると、一回目と二回目の公債は利率6%で、発行価格が額面の約90%の上、関税収入を担保に入れるという代物だった。
最初から割引して発行していることを考えれば、実効利率は7〜7.5%といったところだった。
三回目と四回目の公債は、若干マシになって、利率は4.5%になったものの、発行価格は相変わらず額面の約90%の上、タバコの専売収入を担保に入れていた。
他方、ロシアの対仏公債は、利率5%、発行価格は額面の99%、担保無しというもので、この差こそが、まさに当時の国際的評価を表していた。
そして恐ろしいことに、日本国が、日露戦争に際して発行した公債の返還を終えたのは、なんと1986年のことだった!
ちなみに、帝政ロシアの公債はロシア革命でボリシェビキが反故にしてしまい、その70年後、ゴルバチョフ書記長がパリを訪れた際、その公債を手にした老人たちが、ゴルバチョフが通る予定の道路上で抗議するというフランスらしい騒ぎがあった(笑)

日露戦争は、勝利したが故に、ロシア・ソ連そして中国との関係を悪化させ、軍拡の道を突き進む原因となった。
しかし、敗北していても、巨額の借金に加えて、賠償金が要求されたかもしれず、戦死者や戦傷者への補償も含めて、やはり日本を困窮のどん底へと追いやったであろう。
しかも、その勝利は薄氷を踏むが如く、極めて危ういものであったことを考えれば、(後知恵ではあるものの)まったく無意味な戦争であった。
この点、自分が死んだら、叔父上がどう考えていたのか、伺ってみたいと思っている。
posted by ケン at 10:41| Comment(6) | TrackBack(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
きっとその教授は「対米15年戦争」論者なんだよ!
Posted by o-tsuka at 2010年11月03日 15:56
まぁそうかもしれませんが、最近の大学教員も政治家も、ロクに歴史を知らず、学ぼうともせずに、トンデモ本だけ読んで大真面目に話すので、まったく害ばかり。
今のような大学ばかりであれば、「あんなのならいっそ無い方がマシ」とすら思えてきます。
Posted by ケン at 2010年11月04日 00:53
まあ日露戦争は、日清戦争で賠償金もらえたのでそのノリで、勝ちさえすれば財政負担は何とかなると思ったんでしょうな。
 国民もそう思ってたから賠償金無しで決着したので焼き討ち事件とか起きたですから。

 しかし日中戦争時点で補給が不足していたとは知りませんでした。
 対米英開戦良く出来たもんです。
Posted by ケンケン at 2010年11月04日 10:36
恐らく、状況を良くわきまえていた人たちは、ロシアから賠償金が得られるほど大勝できるとは考えていなかったと思われます。
それだけに一層不可解ですが、当時の人々の感覚は、今日の我々には想像しがたいのかもしれません。

軍人というのは、ある意味でもっとも官僚的な官僚であり、自分の専門分野や領域以外のことには関心がないわけです。
国家財政と軍事予算を相対的に捉えられる軍人は、きわめて稀な存在といえるでしょう。
Posted by ケン at 2010年11月05日 01:02
内相兼台湾総督だった児玉源太郎はどうだったんでしょう。
Posted by o-tsuka at 2010年11月05日 10:47
児玉も「司馬効果」でその評価を異様に高められている一人かと思われます。
最近の研究では、軍事面でも戦略面でも、かつてのような高い評価は得ていません。

私としては、積極的開戦派であった時点で、この問題については、「同じ穴の狢」と言わざるを得ません。
Posted by ケン at 2010年11月06日 23:28
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