2009年07月14日

北方領土問題についての基本的理解

この間ずっと単発的に北方領土問題を取り上げてきたが、ロシア関係者でもない限り、全体像が分かりにくいと思われるので、ここで一度私の基本的理解をまとめておきたい。
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北方領土の問題は、本来1956年に締結された「日ソ共同宣言」(条約)の時点で「二島返還」で合意しているわけです。
日本政府は、二言目には東京宣言やらクラスノヤルスク合意を持ち出しますが、これらは当時の政府間の合意に過ぎず、交渉の方向性を示す程度のものでしかありません。
日ロ間の領土問題を語るにあたっての法的根拠となるものは、第一に「日ソ共同宣言」が来るというのが国際法上の常識です。
そのポイントは2つ。
同宣言?
【賠償・請求権の放棄】
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。
日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、千九百四十五年八月九日(ソ連の対日参戦の日)以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。

ソ連は日本に対する(戦勝国としての)賠償請求権を放棄。さらに、
日本・ソ連は相互にソ連参戦以降に生じた戦争結果に対するすべての請求権を放棄したわけです。
日本はすでに「不法に北方領土を占拠した」ソ連(ロシア)に対する領土請求権を自ら放棄しているのです。
さらに同宣言?
【平和条約・領土】
日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。

これは、法的拘束力を持つ条約で、領土問題よりも平和条約を優先することを自ら規定していることを意味します。つまり、「領土問題解決後に平和条約を」と言う日本政府の主張は自ら条約違反あるいは条約反故を宣言しているようなものなのです。

そして、日ソ共同宣言以前の衆議院の決議などでも、二島返還を求めるものはあっても、四島を求めるものはありません。
昭和27年7月31日 衆議院決議 
領土に関する決議

 平和条約の発効に伴い、今後領土問題の公正なる解決を図るため、政府は、国民の熱望に応えてその実現に努めるとともに、時に左の要望の実現に最善の努力を払われたい。
 一 歯舞、色丹島については、当然わが国の主権に属するものなるにつき、速やかにその引渡を受けること。
 二 沖縄、奄美大島については、現地住民の意向を充分に尊重するとともに、差し当り教育、産業、戸籍その他各般の問題につき、速やかに、且つ、広い範囲にわたりわが国を参加せしめること。なお、右に関して奄美大島等については、従来鹿児島県の一部であつた諸事情を考慮し特別に善処すること。
 三 小笠原諸島については、先ず旧住民の復帰を実現した上、教育、産業、戸籍その他各般の問題につき、速やかに、且つ、広い範囲にわたりわが国を参加せしめること。
  右決議する。

当時は政府も、国後・択捉は日本が放棄した千島列島の一部、という認識でした。
昭和26年11月06日  参議院 平和条約及び日米安全保障委員会 11号

草葉隆圓政府委員:
(前略)歯舞、色丹は千島列島にあらずという解釈を日本政府はとつている。これははつきりその態度で従来来ております。従つて千島列島という場合において国後、択捉が入るか入らんかという問題が御質問の中心だと思います。千島列島の中には歯舞、色丹は加えていない。そんならばほかのずつと二十五島でございますが、その他の島の中で、南千島は従来から安政條約以降において問題とならなかつたところである。即ち国後及び択捉の問題は国民的感情から申しますと、千島と違うという考え方を持つて行くことがむしろ国民的感情かも知れません。併し全体的な立場からすると、これはやつぱり千島としての解釈の下にこの解釈を下すのが妥当であります。

松本俊一の『モスクワにかける虹−日ソ国交回復秘録』(朝日新聞社、1966)には、日ソ交渉の経緯と日ソ平和条約案が載っていますが、
第四条(日本案)
 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すものとする。

第四条(ソ連案)
1 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望に答え、かつ日本国の利益を考慮して、小千島列島(歯舞諸島及び色丹島)を日本国に引き渡すものとする。
 本条に掲げる諸島嶼の引き渡し方法は、この条約に付属する議定書により定めるものとする。
2 ソヴィエト社会主義共和国連邦と日本国との国境は、付属地図に示すとおり、クナシルスキー海峡(根室海峡)及びイズメーナ海峡(野付海峡)の中央線とする。
というものになっています。
もっとも、日本政府は、同書に掲載されている「日ソ平和条約案」など四点の文書について、「今後の交渉に支障を来すおそれがある」として、あるともないとも答えていません。
→ 「一九五六年の日ソ国交回復交渉に関する質問主意書」(平成十八年二月二日提出 質問第四三号 提出者:鈴木宗男)

ところが、例の当時のダレス米国務長官が「沖縄不返還」をちらつかせて、日ソ平和条約の締結に難色を示したわけです。
そこで用いられたのが「固有の領土」論だったわけです。
(前略)米国は、歴史上の事実を注意深く検討した結果、択捉、国後両島は(北海道の一部たる歯舞群島及び色丹島とともに)常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に到達した。米国は、このことにソ連邦が同意するならば、それは極東における緊張の緩和に積極的に寄与することになるであろうと考えるものである。

日ソ交渉に対する米国覚書  1956年9月7日
全文はこちらを参照

その覚書にしても、「国後・択捉が千島列島に含まれない」とは書いておらず、米国のしたたかさを表しています。
なお、『モスクワにかける虹』では、ロンドンのホテルで松本俊一氏が耳にした、ダレス米国務長官との会見を終えた重光葵外務大臣の発言を紹介しています。
重光外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、やや青ざめた顔をして、『ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とするということをいった』として、すこぶる興奮した顔つきで、私にダレスの主張を話してくれた。

ですが、日本政府は、ダレス・重光会談の事実は認めているものの、その内容については、「今後の交渉に支障を来すおそれがある」として公開を拒否しています。→ 上記の鈴木宗男氏の質問主意書

以降、日本政府は方針転換して、日ソ平和条約の締結を断念し、それを糊塗するために「北方領土返還運動」に邁進していきました。
外交的失敗を覆い隠すための宣伝が何十年となされた結果、国民のほとんどがそれを信じる事態になっており、いまもって日ロ交渉の最大の弊害となっています。
国民のほとんどが信じている政府のデマゴギーをひっくり返して、原点に戻るのは容易なことではありません。

また、「北方四島は千島列島ではない」という政府の主張について反論しておきます。
中等教育研究会編『問答体日本地理』(1901)には、
「千島は三十二個の火山島より成り其重もなる島嶼を国後、択捉、色丹、得撫、新知、捨子古丹、恩稱古丹、幌筵、占守等とす」
とあります。また、宮地東吉著『北海道実歴』(1897)には、
「千島の国は北緯四十三度五十五分東経五十分北海道根室の対岸に起り」
となっています。
すなわち、日本では北方四島のうち歯舞群島を除き、「千島列島」または「千島の国」の一部と考えられていたと思われます。

行政区分で言いますと、千島樺太交換条約(1875)以前、色丹島は根室国(花咲郡)に属していました。しかし、千島樺太交換条約で全千島が日本領になると、1885年、色丹島は千島国に編入し、色丹郡としています。
なお、日本政府は1884年にクリルアイヌ人を占守島から色丹島に強制移住させています。

そして、1946年1月29日、GHQ指令「SCAPIN 677号」が発令され、日本は歯舞・色丹を含む千島や竹島、沖縄、奄美、小笠原などの行政権を失いました。
同指令3(c)には、
「千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島を含まない」
とあります。
同2月2日には、ソ連邦最高会議が、サハリン南部と全クリル諸島の国有化を宣言しています。

その後1946年11月、外務省は連合国との講和に向けての予備資料として、
“Minor Islands Adjacent to Japan Proper. Part I. The Kurile Islands, the Habomais and Shikotan”(『日本本土に隣接する諸小島。第一部、クリル列島、歯舞群島及び色丹島』)という英文の本文十頁、巻頭地図二葉、末尾付図七葉の調書を、GHQに提出したとされていますが(西村熊雄)、日本政府は今もって、
御指摘の調書の存否を含め、平和条約の締結に関する交渉(以下「交渉」という。)の内容にかかわる事柄について明らかにすることは、今後の交渉に支障を来すおそれがあることから、外務省としてお答えすることは差し控えたい。

「一九四六年十一月に外務省が連合軍総司令部に提出した北方領土問題についての調書に関する質問主意書」(平成十八年二月十五日提出 質問第七二号 提出者:鈴木宗男)に対する政府答弁

として、一切の情報公開を拒否しています。
60年前の資料すら公開しない日本政府の姿勢は、およそ民主主義の名に値しないと言えるでしょう。
外務省は速やかに情報を公開し、日ソ外交交渉の経緯を明らかにし、政府はそのデマゴギーについて説明責任を果たさねばなりません。
民主党の政権入りは、「情報公開」の一点だけ取っても大きな意義があると考える次第です。
posted by ケン at 23:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。

 書き込みは初めてですが、日本語教師をなさっていたころからの読者です。たいへん面白く読ませていただいております。

 さて、日本政府は北方領土を返してもらうつもりがあるのでしょうか? ソ連崩壊時にあれほど売り払いがっていたのを袖にしてますね。本当に国後、択捉が帰ってくるとしたら沖縄返還がもでるになりますから、日本国領土に地位協定の元、ロシア軍が駐留することになるわけです。宗主国様(ジャイアン)にどう説明するつもりでしょうか? あるいは旧東独の露軍のように実はどうってことないのかもしれませんが。
 私が思うに北方領土問題とは日露問題ではなくて日米問題だと思います。民主党に政権が移ってからなんらかの進展があるものかと期待しておりましたが、「不法占拠宣言」をするとか鳩山さんはなにを考えているか分かりません。

 ケンさんが秘書をされている先生はどう考えていらっしゃるのですか?
Posted by Агонёк at 2009年11月25日 11:30
Агонёкさん、長くお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

ご質問の件ですが、少なくとも自民党と外務省はまったく解決するつもり無いでしょう。
彼らは対米追従を外交の基礎においており、時代の変化について行くつもりもないので、日ロ関係を変化させる必要性そのものを否定しているわけです。
そこに、マフィアや御用学者が利権で釣られ、ねつ造された歴史がまかり通ってしまっているのが現状です。

民主党の議員たちも、ねつ造された歴史しか知らない人が大半で、前原大臣などは対米追従派の旗頭ですから、党内の外交方針も一致していないのが現状です。

まぁ昔から「外交は対外交渉よりも国内調整の方が難しい」と言われていますが、日本ではその傾向が一段と強いような気がします。

うちの議員は、まだきちんとレクをしたわけではないのですが、「二島返還で平和条約を結んで、あとは上手に棚上げしとけばいいのでは」ぐらいに考えているように見受けられます。

が、日本では、連合が北方領土返還運動を率先してやっている上に、日共に至っては「全千島返還」ですから、まだまだ相当に厳しいと思われます。
Posted by ケン at 2009年11月25日 23:39
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