2008年05月23日

ダレスの呪縛

「北方領土一括返還」が明らかに無理筋であることは、すでに述べた。
今日は敢えて、その続きを書きたい(長いデス)。
現在、職務上の関係もあって、北方領土問題について調査を続けているが、出てくるのは、明らかに日本側に不利なものばかりだった。

「サンフランシスコ講和条約で領有放棄し千島列島には、択捉、国後、歯舞、色丹の4島は含まない」
というのは、現在の日本の外務省・政府の公式見解である。

その(唯一の)論拠は、1855年の日露和親条約だが、和田(1990)や長谷川(2000)は、千島列島に関する部分における日本側の誤訳を指摘し、問題設定そのものに疑念を呈している。
ごく簡単に紹介する。まず、オランダ語。

Van nu af zal de grens tusschen de eilanden Itoroep(Iedorop) en Oeroep zyn. Het geheel eiland Itoroef behoort aan Japan en het geheel eiland Oerop, met de overige Koerilsche eilanden, ten noorden, behoren tot Russische bezittingen.

(外務省訳)今より後日本国と魯西亜国との境はエトロプ島とウルップ島との間に在るべし。エトロプ全島は日本に属しウルップ全島夫より北の方クリル諸島は魯西亜に属す。
『日露間領土問題の歴史に関する共同作業作成資料集』 日本外務省・ロシア連邦外務省(1992)

(ロシア語) Отныне границы между Россией и Японией будут проходить между островами Итурупом и Урупом. Весь остров Итуруп принадлежит Японии, а весь остров Уруп и прочие Курильские острова к северу составляют владение России.
同(1992)

(ケン現代語訳)今後、国境は択捉島とウルップ島の間にあるものとする。択捉全島は日本に属し、そしてウルップ全島は、その他北方のクリル諸島とともに、ロシアの所有に属する。

(以上、下線はケン)

日本政府は、「ウルップ全島夫より北の方クリル諸島」を根拠に、「クリル諸島」は千島列島全体ではなく、ウルップより北を指す、と主張する(クリル=千島ではない説)。
だが、少なくともロシア語を読む限り、「ウルップからの北のクリルはロシアのもの」としか解釈のしようがない(クリル=千島)。
上記の元ネタとなった「共同資料集」は、ソ連崩壊直後の1992年に、日ロ両国の公式文献として刊行された。にもかかわらず、解釈上の摺り合わせがなされなかったのは、意図的なものだったのか、偶然なのか。国会で明らかにすべきことの一つである。

だが、これは、百歩譲って、目をつむろう。
しかし、以下の答弁は、如何ともし難い。時は、1951年10月19日、
「日本との平和条約(サンフランシスコ講和条約)」の国会承認(衆院)に際して、「平和条約及び日米安全保障条約特別委員会」での議論。

高倉定助(農民党):「(前略)領土の問題でありますが、過般のサンフランシスコの講和條約の第二條の(C)項によりますると、日本国は千島列島の主権の放棄を認められたのである。しかしその千島列島というものはきわめて漠然としておる。北緯二五・九度以南のいわゆる南西諸島の地域の條文におきましては、詳細に区分されておるのでありまするが、千島列島は大ざつぱではつきりしていないのであります。そこで講和條約の原文を検討する必要があります。條約の原文にはクリル・アイランド、いわゆるクリル群島と明記されておるように思いますが、このクリル・アイランドとは一体どこをさすのか、これを一応お聞きしたいと思います。」

吉田茂:「千島列島の件につきましては、外務省としては終戰以来研究いたして、日本の見解は米国政府に早くすでに申入れてあります。これは後に政府委員をしてお答えをいたさせますが、その範囲については多分米国政府としては日本政府の主張を入れて、いわゆる千島列島なるものの範囲もきめておろうと思います。しさいのことは政府委員から答弁いたさせます。」

西村熊雄(外務省条約局長):「條約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。しかし南千島と北千島は、歴史的に見てまつたくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございます。あの見解を日本政府としてもまた今後とも堅持して行く方針であるということは、たびたびこの国会において総理から御答弁があつた通りであります。なお歯舞と色丹島が千島に含まれないことは、アメリカ外務当局も明言されました。しかしながらその点を決定するには、結局国際司法裁判所に提訴する方法しかあるまいという見解を述べられた次第であります。しかしあの見解を述べられたときはいまだ調印前でございましたので、むろんソ連も調印する場合のことを考えて説明されたと思います。今日はソ連が署名しておりませんので、第二十二條によつてへーグの司法裁判所に提訴する方途は、実際上ない次第になつております。」

もう一つは、同年11月6日、参議院の同委員会で楠見義男議員(緑風会)の同様の質問に対する政府答弁。

草葉隆圓(外務次官):「歯舞、色丹は千島列島にあらずという解釈を日本政府はとつている。これははつきりその態度で従来来ております。従つて千島列島という場合において国後、択捉が入るか入らんかという問題が御質問の中心だと思います。千島列島の中には歯舞、色丹は加えていない。そんならばほかのずつと二十五島でございますが、その他の島の中で、南千島は従来から安政條約以降において問題とならなかつたところである。即ち国後及び択捉の問題は国民的感情から申しますと、千島と違うという考え方を持つて行くことがむしろ国民的感情かも知れません。併し全体的な立場からすると、これはやつぱり千島としての解釈の下にこの解釈を下すのが妥当であります。その場合に将来今後どういう問題が起つて来るか。殊に千島にあらずとしている歯舞、色丹について現在軍事占領を行われておる。恐らくこれは引続いた情勢において考えられて来る問題であろうかと思う。この場合には、九月五日の午後サンフランシスコにおきまするダレスさんの演説では、国際司法裁判という方法もあるのじやないか、二十二條による方法もあると言われてゐる。併しそれはソ連がまだ調印をするかしないかわからない時で、会議に出ておりまするから、調印をすることを予想しながらの発言であつたと考えられます。九月八日にはソ連は調印しませんでした。つまりこの條約にソ連は責任を持たない。そうすると、今後はそういう状態において、日本が若しやこの歯舞、色丹の問題を国際司法裁判所に提訴いたしましても、ソ連が応訴をすることをしない場合には取上げられないということになつて参りましようし、従つてこれは総理からもたびたび御説明、御答弁申上げましたように、今後は国際関係において努めて最大の努力をしながら、日本が、これは千島と違い日本の純然たる領土であるということを了解してもらつて、そうしてその了解が円満に解決する方法をとる以外には方法はない。又そういう情勢は、独立後においては幾らでも出て来得る情勢は現在以上にある。こういうふうに考えます。」

敗戦を経て、連合国の占領下という独立すら認められない状況下にあったからか、今日の外務省の役人どもからは考えられないほどの真剣さと正直さが感じられる。
独立すらままならないギリギリの状態の中で、当時の政府が、「歯舞、色丹だけでも返還されれば御の字」と考えていたことが(痛いほど)分かる。
質問した両者は、ともに農水畑の議員で、根室近海の漁業従事者にとって、歯舞と色丹の返還、そして日ソ漁業協定の締結は、火急の問題だった。
それは、日ソ共同宣言となって具現化されるが、その頃には、米ソ対立が決定的となり、アイゼンハワー政権のダレス国務長官が、重光葵外相に対して、「日本が、二島返還でソ連と妥結した場合、沖縄は返還しない」と圧力を加えるに至った。
米帝に恐れをなした日本外務省が考えついた言葉が「北方領土」だった。
この「ダレスの呪縛」が、50年後の今日でもなお日ロ関係を大きく規定している。
この「北方領土」という言葉が初めて使われたのは、日ソ共同宣言(1956年10月)の前の1956年3月、日本社会党の森島守人議員の質問に対して、下田武三条約局長が以下のように使っている。

「(前略)講和会議では、日本政府の希望するような北方領土の定義は下されませんでした。そのかわり日本政府の希望するような定義は下されませんでしたが、他のいかなる定義も下されなかったのであります。そこで吉田総理は桑港会議の席上、南千鳥につきましてはそれが日本の固有の領土であるということを明言せられておる。(後略)」

5年前の条約局長は、明確に領土問題を定義していたが、この時になると、今時の官僚よろしく、言を曖昧にして、国民を誤魔化そうとする意図が見受けられる。
ちなみに、この「「南千島」という用語は、1964年、公文書で使用しないことが省庁に通達され、「北方領土」への語彙の統一が図られた。

日本政府は、きちんと真実を国民に明かし、米国に再度(50年ぶりに)お伺いを立てて(お許しを得て)、日ソ共同宣言の原則(二島返還)に立ち返るべきである。
ただ、純粋な二島返還では、国民世論が納得しないだろう(自民党政権のツケ)。
そこで、「プラスα」について、どうロシア人と交渉するかがカギとなるはずだった。
プーチン前大統領も、幾度となく「プラスα」の秋波を送ってきたにもかかわらず、「四島一括返還」にこだわる日本政府は、これを全部足蹴にしてしまった。
今後、日ロのパワーバランスは、ますますロシア側に有利になっていくものと思われるだけに、一刻も早い「カミングアウト」が求められる。
(だが、こうした質問を行うことすら難しいのが、国会の現状である。)

【参考】
「領土問題への新しいアプローチ」望月喜市『ロシア・ユーラシア経済調査資料』No.892
『北方領土問題を考える』 和田春樹 岩波書店(1990)
『北方領土問題と日露関係』 長谷川毅 筑摩書房(2000)
国会会議録検索システム(国立国会図書館)
posted by ケン at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック