2007年06月13日

ソ連における「インフレーション」

どうも駆け足で説明したのが、逆に気になってしまった。
復習がてら、もう少し詳しく説明してみたい。
ただ、すでにかなりの本を送り返してしまい、記憶に頼る部分が多くなるため、話半分で読んでいただければと思う。

ソ連は、スターリン時代に自らの産業構造を国策的に、軍需と重工業に特化した。
その手法は、甚だ野蛮で、農業を強制的に集団化させることによって、その労働力を収奪・集中させるといったものだった。
結果、産業構造の転換には成功したものの、その副作用が大飢饉となって表れ、数千万人の被害者を出すに及んだ。
スターリンの「大粛清」は、その不満を抑圧あるいは別方向に向けるためのものだった、と経済的側面からは解釈できる。

第二次世界大戦が終了した後、ソ連は東欧圏を自らの勢力範囲として、ブロック化させ、そのまま米ソ対立に突入する。
米ソ対立を恒常化させたために、ソ連の産業構造は、戦時体制のまま固定化してしまった。
批判を許さない独裁体制とイデオロギー偏重政治が、米ソ対立を優先し、民需転換への機会を失わしめた点も大きい。

その結果、重工業と軍需工業ばかりが膨張したいびつな産業構造と「物不足」があらわれた。
1928年と基準として、70年の生産財の生産が約138倍に達していたのに対して、非食糧消費財は約25倍、農産物はわずか2.5倍にとどまっている。
市場経済では、需要が供給を上回れば、価格が上昇し、生産・供給が増え、均衡していくのが道理だが、統制経済下では、需給にかかわらず価格は固定であり、供給は党・政府の指令をもってしか行われないため、物不足は慢性化する。

こうして、消費財とサービスの不足が日常化していく。
サービスの不足は、「サービス」を「資本主義的なもの」として否定するイデオロギーによって肯定され、サービス部門の発展は見込めなかった。
消費財とサービスの不足は、本来国民の所得が向かうべき消費対象が存在しないことを意味する。
分かりやすくいえば、「金はあっても買うものがないし、使う先がない」ということだ。

だが、「買えるものがない」一方で、ソ連人たちの賃金は上がり続けていた。
「生産量至上主義」に凝り固まっていたソ連政府は、ひたすらに生産における量的拡大にのみ腐心していた。
そのため、各企業はリスクを伴う技術革新よりも、工場の拡大と労働者の囲い込みに走った。
上から命令された「ノルマ(生産量)」さえ達成すればよく、生産物の「質」は問われなかったからだ。
工場の拡大は、市場の需要ではなく、「党の指令」によって行われる。
党もまたノルマの達成のために、工場の拡大を安易に許可した。
結果、工場ばかりが増え続け、労働力は慢性的に不足するという事態が生じた。
ソ連、あるいは今のロシアを見ても分かるが、廃墟となった工場の多さは、こうした「計画経済」の遺物でもある。
慢性的な労働力不足は、自然、賃金を上昇させていった。

賃金の上昇と慢性的な物不足は、市場に貨幣を滞留させる結果となる。
市場経済の場合なら、余った金を貯蓄に回すことによって、銀行が市場に再投資する機能を有する。
が、ソ連の場合、「不労所得は悪」というイデオロギーから、預金金利は無きに等しい状態に置かれ、政府・国家に対する歴史的不信も災いして、余った貨幣の大部分が「タンス預金」として家庭に留め置かれることとなった。
また、市場経済であれば、この状態ではインフレーションが起こるのだが、統制経済下では価格は政府によって公定される。
その結果、「行列」と「闇市場」が顕在化してくる。

慢性的な物不足下にあって、市民が物資を調達する方法は、

・自分でつくる(家庭菜園など)。
・商店に並んで、商品が来るのを待つ。
・闇市場で調達。

の3つしかない。
商店では、公定価格で物を買えるが、しかし商品そのものがない。
闇で調達すれば、いつでも手に入るが、闇物資に対して貨幣はだぶついており、闇価格は急上昇していく。
闇価格が上昇すれば、闇で儲けようとするものたちが、一層闇へ物資を流すことになる。
闇に流れる物資が増えると、商店に並ぶ物資はますます減り、さらに市民のモラルは低下の一途を辿る。
商店に並ぶ物資が減ると、行列が長くなり、職場へ行かずに行列に並ぶ「サボタージュ」が一般化してくる。
労働者が職場に行かなければ、生産は停滞していく。
イデオロギー上の理由から、ソ連には理論上解雇は存在せず、こうした労働者にも賃金は払われ続けた。
まさに悪循環だった。
そして、投資と生産が停滞し、貨幣ばかりが増えていく。
貨幣とは、いわば利子の付かない国家の債務である。

国際収支とルーブルに目を移すと、60年代にソ連は食糧輸入国に転じていた。
その食糧の代金は外貨で払わざるを得ず、その外貨の獲得は専ら資源と軍需物資に依存していた。
その資源や軍需物資も、多くを「友好国」に「友好価格」で提供していたため、常に厳しい状態にあった。
70年代は、石油価格の上昇で辛くもしのいだ格好だったが、80年代に入ると石油価格が暴落。同時にルーブルの実質的価値も大暴落。
レーガン政権による米ソ対立の再燃も相まって、食糧輸入が困難になり、ソ連国内における食糧事情は逼迫の度合いを強めていく。

ソ連が閉鎖社会であったため、さらに状況は悪化していく。
自由な資本移動と、海外からの投資が認められないため、ソ連は国内に投資すべき資本が完全に滞留し、石油価格の暴落で外貨も底を尽きてしまった。
状況的には「双子の赤字」を抱える現在の米国にも似ているのだが、米国がかろうじて生きながらえているのは、日本や中国などが莫大な資本を投下しているためである。

ソ連に死の宣告をしたのは、ゴルバチョフだった。
「ペレストロイカ」の改革は、すべてが裏目に出る。
「ウスカレーニエ(加速化)」では、残された数少ない国家資本をさらに生産財に投入するという愚を犯してしまう。
「国営企業法」や「協同組合法」では、公定価格を部分的に廃止したために、潜在的だった(闇市場のみの)インフレを現実のものとしてしまい、一気に物価を引き上げ、ルーブルを暴落させた。
中途半端に資本の自由移動を認めた結果、(元々あったとは言えないが)金融政策の自律性を失わしめ、ルーブルの固定相場制は崩壊していった。

こんな話をすると、無学な保守どもは「だから社会主義は……」などと言い出すが、実はその保守どもが大好きな大日本帝国の末期と酷似しているのだ。
それは、社会主義云々ではなく、現代における計画経済、統制経済、閉鎖社会の困難さを示すものと捉えるべきであろう。

貨幣論あるいは金融論の立場で言えば、資本移動の自由が認めつつ、統制的な金融政策を講じ、その上で世界一の外貨保有を誇り、通貨を安定させている現代中国は、私的に謎なのだが、その秘訣を、ぜひ中国人に教えていただきたいものである。
ただ単に私が無学なだけの可能性は高いのだが……
posted by ケン at 22:07| Comment(4) | TrackBack(0) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
インフレは金融政策の失敗なしには発生し得ない現象なので、その観点が欠かせないと思います。

 素人目には国家社会主義も共産主義も同じに見えるので、近親憎悪といったところですかね。

 中国は完全変動相場制ではないですよ。膨大な外貨準備は個々の経済主体の行動の積上でない以上、寧ろ自国通貨の過小評価に繋がり、却って産業構造の歪みを齎す懸念があります。
Posted by 胴田貫 at 2007年06月15日 00:42
私の経済知識は、永田町に行ってから、付け焼き刃的に学んだものなので、プロの方にお見せするのは結構恥ずかしいものがあります。

ソ連はそもそも金融政策の概念が弱かったのだろうと思います。
その失敗の経験が中国で活かされているのではないかと、愚考する次第です。

説明が悪かったですか、私が言いたかったのは、中国が資本移動の自由と自律的な金融政策と固定相場制を同時に維持できていることの不思議さについてです。

今度、帰国した折りにでも胴田貫さんのご意見を拝聴できればと思っております。
Posted by ケン at 2007年06月15日 23:23
とんでもない。そこらの経済学士より余程博識ですよ。
 僻目かも知れませんが、私の印象では計画経済論者は金融的側面の考察が等閑になる傾向がある様に思われるので、貴君の着眼点は流石と存じます。
 のっけから価格機能を無視する前提なら、金融的側面の捨象もご尤もな訳ですが、現実にはそうはいかないのが難しいところでしょうね。
 続きは帰国時に議論しましょう。
Posted by 胴田貫 at 2007年06月15日 23:47
胴田貫さんにそう言っていただけますと、私も心強い限りです。

「職業政治家(広義の)は、最低限の経済・経済学の知識がなければならない」
というのが私の信念で、勉強を続けてきた甲斐があるというものです。
それだけに、財政的裏付けのない政策をぶち上げる野党や、(広義の)経済を考えないで個別の政策を語る連中には、いつも怒りを覚えています。

帰国したら、また色々と教えてください。
Posted by ケン at 2007年06月17日 21:48
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