2014年07月16日

集団的自衛権容認の閣議決定を受けて・続・上

「集団的自衛権容認の閣議決定を受けて」の続編、もう少し妄想を広げてみたい。
集団的自衛権の行使容認は、確かに時代の大きな分岐点となるであろう。だが、それは突然表面化した課題ではなく、1990年代以降の国際情勢や日米関係の変化によって、国家戦略の変更が余儀なくされた結果だった。ただ、その変化の方向性と現れ方が、防衛的な内治主義ではなく、積極的な介入主義だったと考えるべきではないか。

例えば、明治初年には征韓論が生起して、革命輸出派と内治主義派が骨肉の争いを演じて、ついには西南戦争という内戦にまで発展した。それも一度は内治派が勝利を収めたものの、20年後には日清戦争という形となって帝国主義戦争=植民地獲得競争へと舵を切っていった。日清戦争については、最新の研究で従来の評価が覆されつつあるが、これは後日紹介したい。
日露戦争の10年後には第一次世界大戦が勃発し、積極参戦論と消極論が交わされたが、戦争の影響がアジアでは小さかったこともあり、一応は消極論でまとまったものの、土壇場でシベリア出兵という形で介入主義派が勝利を収めた。しかし、得られたものは小さく、介入主義に対する懐疑が強まったため、1920年代は国際協調主義が重視された。
ところが、1931年に満州事変が勃発すると、介入主義が国民的支持を受け、協調主義は「非現実的な内向きの論理」として葬られてしまう。昭和恐慌の中で、内治優先を唱える声もあったのだが、多数派にはなり得ず、我々の大先輩に当たる社会大衆党ですら介入主義へと舵を切っていった。しかし、当時の帝政システムは介入主義と武力行使に歯止めが掛けられず、最終的にはほぼ全世界を敵に回して戦争するところとなり、自国を焦土と化してしまった。
さすがに戦後になると、戦争経験者が健在で多数を占めていた頃は介入主義に対する拒否感が国民全体を支配していたものの、1990年代になるとその空気感は薄れ、同時に冷戦体制が瓦解して国際情勢にも変化が生じる。
90年代以降の情勢については「同盟のジレンマと非対称性」を参考にして欲しい。
日本で「同盟のジレンマ」が深刻化するのは、やはりソ連崩壊後の1990年代であろう。北方からの脅威と共産主義勢力の脅威が解消され、南北朝鮮の緊張の一時的に弱まったことで、アメリカにとって東アジアで軍事同盟を維持する必要性が低下した。さらに中国が著しい経済発展を遂げて米中間の経済関係が緊密になると、アメリカにとって中国はイデオロギー上の敵対者というよりも、重要な貿易パートナーとしての位置づけが強まり、対中国の点でも同盟の価値が低下していった。
米国にとっての同盟価値が低下するにつれて、日本側は「見捨てられ」の懸念を上昇させていく。この懸念を払拭するためには「同盟の価値を上げる」ことが必要となるが、それは2つの方法で対処された。一つ目は「東アジアにおける対米脅威を強化する」であり、アジア地域で米国の覇権を脅かす存在を強調することによって日米同盟の意義をアメリカに再認識させる、というものだった。具体的には北朝鮮や中国の軍事的脅威を過度に強調することと、歴史修正主義を利用することで新たに脅威を発生させる、という手段が採られた。

二つ目は「米国の世界覇権維持に対する協力強化」だった。従来の日米同盟は非対称の関係にあり、アメリカが安全保障を提供する代わりに、日本は軍事費の一部と基地を提供するというものだった。同盟価値の低下に対して、日本側は提供する軍事費(思いやり予算やミサイル防衛など)の増額で対処してきたが、日本の財政事情が逼迫しただけでなく、「増額だけでは見捨てられの懸念を払拭できないのではないか」といった危惧が強まっていった。また、経済発展を続ける中国に対して歴史問題などを持ち出してマッチポンプ的に危機を煽ってきた結果、尖閣諸島に象徴されるように潜在的だったはずの危機を自ら顕在化させた挙げ句、自前の防衛力強化と軍事的選択肢を広げざるを得なくなり、そのことによって本来友好国だったはずの韓国やASEAN諸国からも「アジアにおける脅威の一つ」として認識されるようになった。

中国脅威論が強まり、アジアでの孤立が深まるほど、日本政府や自民党内で「見捨てられ」の懸念が強まり、「同盟強化」と「国際(実際は対米)貢献」が声高に叫ばれるようになる。ところが、日本が防衛力を強化し、軍事同盟を強化して、海外派兵の兵力や頻度を上げるほど、アジアの緊張が高まってゆく構図に陥っている。だが、アメリカにしてみれば、中国はいまや敵対者ではなく米国債の最大の引き受け手、つまり最大のスポンサーになってしまっており、日中間で緊張が高まれば高まるほど、アメリカにとっての日米同盟の価値が下がる(同盟コスト・リスクが上がる)状態になっている。

90年代以降の国際情勢の変化の中で、日本は日米同盟を主軸とした「力による大陸封鎖」路線と、国連協力とアジア協調を主とした「新たな集団安全保障体制の構築」(非対称封じ込め)の二つの選択肢が遡上に上がったものの、90年代半ばには外務省から国連中心主義派がパージされて前者に大きく傾いていった。
「日米同盟堅持」路線は、政策転換にかかるコストが掛からない代わりに、上記のように「同盟を維持するコスト」が高まっており、日本(霞ヶ関と自民党)としては同盟コストを支払うために「米国の世界覇権維持に対する協力強化」という選択肢を採るほかなかった。

この点、旧式左翼内では「集団的自衛権はアメリカの要求であり、日本の従属を示すものに他ならない」という論調が強いが、私の解釈は「同盟を維持せんがために、日本が積極的に集団的自衛権を行使して米国への貢献を果たす」というもので、米国の要望では無く、日本側の熱望と考えている。

だが、「同盟のジレンマと非対称性」に記している通り、安倍政権は「安全保障体制を強化するために」「アジア諸国との緊張を高め」「日米同盟を強化」「集団的自衛権を駆使して全世界で軍事介入」という選択肢を採ってしまっている。
アメリカが介入主義から孤立主義へと回帰しつつある中で、その穴を埋めるべく、日本が積極介入主義を採るという戦略が成功するという論拠がどこにあるのか、一度じっくり伺ってみたいものである。
以下続く
posted by ケン at 12:42| Comment(4) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今回の「集団的自衛権」に関する閣議決定では、説明が極端な例であったこともあり、大きな誤解を与えたまま、賛成する者、反対する者が出てきているように思います。

従来からの「個別的自衛権」で済むような話と一緒くたにされているのが実情かと思います。

『これでようやく自分の国を守ることができる』『反対するやつは非国民』というわけのわからん状態になっていたりして、大丈夫か、本当に?と別の意味での危惧も出てきます。(わざと混乱させている面もあるのですが)

1980年代、鈴木首相が「日米同盟」なる言葉を発し、1990年代は国連主導のものに限定した形で「派兵」ができるようになり、ゼロ年代には国連を無視した形でも派兵、後方支援を可能にしてきたという経緯がありますね。

昨日の国会では、社民党の徴兵制の可能性に関して、憲法上ありえないという首相答弁がありましたが、憲法で制約されてました?

「集団的自衛権」とはなんぞや、「個別的自衛権」で済むことがほとんどじゃねぇの?というそもそもの話になかなかならないのがもどかしいですねぇ、実際にはそういうやりとりが主でニュースになるとヘンテコなところだけ切り取られているのかもしれないけど。
Posted by TI at 2014年07月16日 14:48
集団的自衛権の行使に明確に反対しているのは共産党と社民党だけで、あとは「生活」と「結い」が慎重姿勢という感じなので、議会構成が全く民意を反映していないため、結果として質問も「よいしょ」になるか突込みが甘くなるわけです。
集団的自衛権もちょっと前まで「憲法上ありえない」ものだったはずですが、一政権の解釈で容認されるわけですから、「徴兵」という言葉を使わなければどうにでもなるでしょうね。ただ、安倍一派のやりたいことは日本の高度な軍事技術者を米軍のために役立てたいというものであって、質の低い国民皆兵は望んでいないでしょう。
Posted by ケン at 2014年07月17日 14:17
選抜ちょうへ
Posted by o-tsuka at 2014年07月18日 12:49
選抜徴兵制という話も聞きますが、実際のところ戦前の日本を見ても、明治初年でわずか%、日中戦争が始まった1937年でも25%程度しか対象者から入営しておらず、選抜か一般かという議論はあまり意味が無いのでは無いかと思います。
Posted by ケン at 2014年07月20日 19:57
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