2014年10月02日

テロルの効用について

【吉田証言記事の元朝日記者、脅迫文届き教授辞職】
 帝塚山学院大(大阪府大阪狭山市)に今月13日、元朝日新聞記者の教授(67)を辞めさせないと学生に危害を加えるとした脅迫文が届き、教授が同日付で辞職していたことがわかった。大阪府警黒山署が威力業務妨害容疑で捜査している。教授は、いわゆる従軍慰安婦問題で「女性を強制連行した」とする吉田清治氏(故人)の証言記事を執筆したとされる。
 捜査関係者らによると、脅迫文は13日午前、同大学の理事長や学長ら宛てに封書で届いた。文面はいずれも「教授を辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。クギを入れたガス爆弾を爆発させる」との内容で、差出人は不明。クギが同封されていた。大学によると、教授は2012年4月から人間科学部の非常勤講師として勤務。昨年4月に教授となり、メディアに関する授業を受け持っていた。
(9月30日、読売新聞)

いよいよ時代は昭和初期の様相を呈しつつある。まず思い出されるのは美濃部事件(天皇機関説事件)だ。
1935年2月、貴族院で菊池武夫議員が美濃部達吉議員(東京帝大名誉教授)の天皇機関説を攻撃したことに始まり、「国体を否定するもの」「国賊」「学匪」などといった非難、攻撃が激化、美濃部家には続々と脅迫が届き、本人や家の周囲に不審者がつきまとうようになった。甚だしきは、文部省から「右翼テロに注意するよう」旨の警告に続いて「転向」を求める文書までが来たと言われる。
ところが、実際には美濃部説は当時の学界、官界における通説で、官僚採用のための高等試験も全てこれに基づいていた。しかも、当の貴族院では美濃部が自説を説明したところ、大きな拍手が起きて理解を得たはずだった。にもかかわらず、美濃部は不敬罪で告発され、マスゴミの攻撃にさらされ続け、ついには貴族院議員を辞任、その後右翼テロリストに銃撃されて重傷を負った。その間、政府は「国体明徴声明」を出して美濃部説を否定している。恐ろしいことに、美濃部を負傷させた銃撃犯はついに逮捕されず、同じく銃撃し命中しなかった犯人は懲役3年で済んでいる。
これら右翼人士の多くは、「天皇を機関車呼ばわりするとは何事だ」程度の理解だったと言われる。昭和帝が自ら「天皇機関説の何が問題なのか」と言い、取調べに当たった検事はみな美濃部の教科書を読んで受験していたのだから、今日から見ればナゾすぎる事件だったわけだが、当時はそういう世相だったのである(私の祖父は典型的な大正リベラリストだったので、この辺の雰囲気は話に聞いている)。

一般的にテロリズムと言えば、一連の9・11テロや中東における自爆テロ、あるいは日本の地下鉄サリン事件などが思い出され、社会に対して直接的被害を与えることが目的であるかのように考えられており、政府やマスコミもそのように捉えている。だが、本来のテロルの効用は、文字通り社会・大衆に「恐怖」を植え付け、熱狂を促進させ、価値観の変容を強制することにある。

昭和のテロリズムは、個々の政治家や財界人や学者を死傷させたことではなく、明治憲法に明文化されていない多元支配の構造(明治末年から大正期にかけて理論化された)を否定し、天皇による一元支配と擬装された軍部支配を実現した点に真の効果がある。同じ意味で、大正期の国際協調主義を否定し、軍国主義を促進させた点も大きい。テロルの副次的効果として、マスコミが便乗して大衆を扇動、リベラル派の知識人が沈黙し、官僚が自らこぞって国家主義・軍国主義に転向していった。また、(左翼)テロに対する警戒を理由に治安維持法などが制定されて恐怖支配が正当化された。

ここで問題なのは、テロルが大衆の熱狂と暴力の容認を生み出す点である。1932年の血盟団事件では、茨城県の若者らが井上準之助前蔵相と団琢磨三井財閥総帥を暗殺したが、裁判に際しては30万通を超える減刑嘆願書が届き、犯人を英雄視する傾向が広まっていった。続く5・15事件では、首相官邸が襲撃されて総理大臣が暗殺されるが、犯人の裁判には100万通を超える減刑嘆願書が届き、嘆願のための自害まで起きた。その結果、反乱罪は適用されず、共同謀議による禁固刑に終わった。
アメリカにおける9・11事件に際しては、米国内でイスラムに対する憎悪がかき立てられ、アフガニスタン侵攻に対する支持は軽く9割を超え、市民権や人権を制限する愛国法の採決に際して上院で反対したのはわずか1名に止まった。
1930年代のソ連における大粛清も、その発端は大衆的人気のあったキーロフが暗殺されたことで、スターリンが犯人捜しを始めたことにある。

オルテガ・イ・ガセは『大衆の反逆』で大衆社会を、ある価値観が社会を構成して大衆を啓蒙するのではなく、「何となく多数」の価値観が基準として「何となく」共有されている社会であると規定している。そこでは「皆が言っていること」が常識で、「皆が信じていること」が真理で、「皆が望んでいること」が希望、ということになる。
テロリズムは、この「何となく」と「皆」を強制的に変容させる力を持っている。何となく共有されていた天皇機関説は暴力的に否定され、リベラル派の知識人が沈黙することで天皇主権説が「皆」となり、軍拡と侵略が「希望」へと変わっていった。
アメリカでは、国際協調主義と寛容の精神が否定され、対テロ戦争の貫徹が「真理」となり、そのために市民的権利が制限されるのは「常識」となった。

冒頭記事にある、元朝日新聞記者の教授に対する脅迫は、戦後何となく共有されてきた「戦前、戦時中の日本は悪いことをした」という理解を暴力的に否定、戦後民主主義を肯定する知識人を沈黙させることで、歴史修正主義の「多数」を確立するのが真の狙いだと考えられる。一部では「辞職はテロへの屈服ではないか」との意見も聞かれるが、恐らくは辞職を拒めば物理的なテロが行われるだけの話であり、それはますます大衆的熱狂と官憲の転向を促進させる恐れがある。個人あるいはリベラリズムの立場から元記者の立ち位置を考えても、「わざわざ殉教者になってやる必要もなかろう」と思うのは当然だろう。
先にも記したが、土井たか子元議長が逝去して、親族が密葬を済ませて一週間後に公表、関係者が「葬儀をするとしても会場を貸してもらえるかどうか」と言っていることは、すでに右翼によるテロルの効用が社会全体に浸透しつつあることを示している。

昭和のテロルを生き延びた祖父、1960年代にテロルに従事した父を持ち、ソ連・東欧学徒として官憲テロルを研究、実際にテロルが吹き荒れた90年代ロシアを生きたケン先生としては、「変に頑張らないで、個人として生き延びる術を考えた方が良い頃合いですよ、亡命も含めてね」というのが正直な感想である。もちろん、私がどうするかは別の話なのだが。

【追記:10月3日】
北海道で起きた同様の事件の場合、地元紙記者が一カ月前には把握し記事にしていたにもかかわらず、上層部の判断によって掲載を握りつぶされていたという。柳条湖事件に際して特派員たちは関東軍の謀略であることを承知しながらも、大手紙上層部は軍の意向に沿って「中国側の犯行」と報道する判断を下した。言論自粛という点で、テロルの拡散は我々が考える以上に深刻になっている。
posted by ケン at 12:10| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 戦前と同じように官僚とマスゴミがこの国を滅ぼした上で逃げ失せて、馬鹿な政治家が責任をとらされるのでしょう。亡命して外国で生活する器量もないので、我が国がおかしくならないように努力してきたつもりですが、この国は行くところまで行かないと目が覚めないような気がするようになりました。
 かえすがえすも残念なのは、朝日が一番自分たちを守ってくれたであろう小沢氏を嬉々として潰したことですね。その後に出てきた安倍氏に朝日が叩かれているのは自業自得としか言いようがありません。政権交代が何らかの実を上げていれば違った未来もあったのですが。今は自分より若い世代の今後の労苦を思うと、申し訳ない気持ちで涙が止まりません。
Posted by hanamaru at 2014年10月02日 22:13
件の事件では、教授の親族が通う学校まで右翼が押し寄せて街宣車やメガホンで恫喝を続けたというのですから、それは辞任もするでしょう。それを報じないマスコミも、脅迫罪などで取り締まれない警察もほぼ同罪です。
これは右翼テロを放置した戦前と同じ構造なのですが、それはやはり戦後改革の中で天皇制が護持されてデモクラシーの導入が中途半端に終わったことが大きいと考えます。日本人が自ら望んだのでは無く、外部注入によって民主主義が成立したことも大きいでしょう。
恐らく日本は、戦後のドイツでは無く、今この瞬間がワイマールドイツと同じような状況に置かれているのではないかと思う次第です。だとすれば、もう一度敗戦しないとデモクラシーの真の価値は定着しないと考えられます。

いずれにせよ、祖父たちが「何で軍部独裁に反対しなかったのか」と詰問されたのと同じように、我々も20〜30年後に「何で全体主義に反対しなかったのか」と難詰されるのは避けられないかと。その時にちゃんと反論できるように、ギリギリまで主張を続けるつもりではあります。そして、今度こそは官僚もマスゴミも含めて徹底的に「脱ナチ」を行う必要があるでしょう。その時まで自分の生命を長らえさせる必要があります。

話は違いますが、土井さんの件では「日比谷公会堂か憲政記念館で大々的に偲ぶ会をやればいいじゃないか」と先輩に言われて、「なるほど」と思った次第です。どうも現場にいると悲観的になりすぎていけません。
Posted by ケン at 2014年10月03日 12:56
天皇が悪い
Posted by あ at 2017年07月26日 11:06
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