2014年10月22日

まともな人間は議員なんてならない?

松島氏の法相辞任は私が考えていたよりも根が深かったようだ。聞くところでは、問題の団扇を「討議資料」(一般配布禁止の内部資料)としてそこかしこで無差別に配布していたらしい。一般的に選挙期間外に街中で政治家が配布しているのは政党機関紙の号外であり、公選法上は唯一の合法配布物と言える。
つまり、松島氏が配布した団扇にせめて「自由民主」(自民党の機関紙)の号外ロゴでも入っていれば、言い逃れも可能だったろうし、あるいは後援会や自民党員向けに配布したが「たまたま」外部に流出してしまったという形をとるならばギリギリセーフだったかもしれない。だが、違法印刷物を無差別に配布し、国会で問題になってからも議員会館や法務省内で「いま話題になっているヤツよ、オークションで高く売れるんだから!」と配りまくっていたというのだから、全く問題意識が無かったことを示している。
聞くところによれば、政権復帰以前はやっていなかったものを、政権復帰後に大規模にやり始めたというから、「大政権党なのだから選管も警察も遠慮するだろう、まして大臣をあげることなどあり得ない」という大与党、国務大臣の驕りが高じてのものだったと考えられる。相当にタチが悪いようだ。

なお、噂によれば、前法相は初登庁に際して「出迎える人間が少なすぎる」として、省内の役人を全動員して「歓迎式」をやり直させたという。これでは官僚もかばうわけがない。それどころか、松島氏を追い出す材料を野党に提供したものもいたかもしれないほどだ。
関係者の話では、その他にも松島氏のパワハラ類や特権意識丸出しの言動は枚挙にいとまがないという。

もっとも、参議院で同問題を追及し、得々としているレンホー氏も人格的には同レベルらしい。事業仕分けのパフォーマンスに象徴されるように、官僚に対するパワハラは誰もが知るところだが、全般的に他者に対して高圧的な態度を取り、威嚇的な言動を繰り返すとされている。
直接私が見聞きしたところでは、政権党時代に彼女が議員会館でエレベーターに乗っていた際、老軀をおして上京してきた元職の旧社会党の超ベテラン議員(政治に関心のある40代以上なら知らない人はいないくらい)が杖を突きながら乗ろうとしたところ、「これは議員専用ですから、一般の方は乗らないでください(向こうのエレベーターを使ってください、とも)」と言い放った事件がある。
いかに彼女に人倫、人権意識あるいは目上を敬う心といったものが欠けているかを象徴していよう。

自民党のK山Sツキ女史、I口K子女史、民主党のT中Mキコ女史など程度の差はあれど、党派に関係なくこの手の議員が増えている気がする。個人的な印象では少なくとも国会議員の3割前後はこうした輩だ。
問題は人格破綻者が議員になるのか、議員になって人格が破綻するのかだが、そこは半々くらいだろうか。恐らくは、昔と違って社会的高位につく経験の無い者が急に巨大な権力と権威を手にすることで自分と社会の関係性を見失ってしまうのだと思われる。
私の近しいところでも、議員になる前は周囲に気を配り、声を荒げるようなことはせず、諍いがあると率先して仲裁するような、典型的な人格者が国会議員を二期もやってみると、いつの間にか、自分よりもはるかに年上の官僚を怒鳴り散らし、秘書を次から次へとクビにするような議員に成り果ててしまったケースがある。彼の場合などは、若くして国会議員になってしまっただけに、「馬鹿にされまい」として自我の鎧を強化し続けた挙げ句、自分を見失ってしまったものと思われる。

己を律する(己の中にある権威主義を抑制する)というのがいかに難しいかということだが、今日では家庭教育でも社会的訓練でもなされないだけに、ますます難易度が高くなっているのかもしれない。とはいえ、T中氏の父親やI口氏の夫などは人格者として知られているだけに、家庭教育や身近に人格者がいれば大丈夫という話でもなさそうだ。
しかし、自分の一族で考えた場合、例えば艦隊司令、兵学校長、次官を歴任し、大将にまで上り詰めた大伯父は、戦後三浦半島にささやかな家を建てて隠棲し、世に出ることを拒んだ。その墓の慎ましさは、今日でもわが一族の精神を戒めている。
もう一人、父方の系譜にある大伯父は、終戦時に総理秘書官を務め、さらに警視庁警察部長(ナンバー3)、某県知事(官選)、調査局長を歴任、衆議院議員に転じて農水大臣や防衛庁長官などを務めたスーパーエリートだったが、ずっと赤坂のマンションで妻と犬と暮らしていた。1960年代、父が母を連れて結婚の報告に上がるのだが、「自民党の大物議員」と聞いて大磯の吉田邸や目白の田中邸のようなものを想像していた母は、マンションの一室でダックスフントに出迎えられたことが非常に印象的だったと話している。公安畑を歩んだ大伯父はプーチン張りに怖かっただろうと思うのだが、母は「いつもニコニコしていて、しゃべり出すと止まらなかった」と述懐している。ちなみに、プーチンも身内だけの時は冗談を連発する別人になるという。この大伯父の墓も位階に比すれば慎ましいもので、明治人にもかかわらず妻と連名の墓碑になっている。「先進的タカ派」とも言える面白い人なのだが、いずれ改めて記事にしたい。
位階を極めた先祖がこれだけ慎ましく暮らし、自己を律しているのを見聞きして育った私としては、権威を振りかざし自我を肥大化させることの「おぞましさ」を肌身で知っており、「偉ぶる自分」というものが全くイメージできない。そもそも国会議員などというものは、二人の大伯父のような超絶スペックを有するものが担うべきものであって、私のような低能、経験不足の人間の手に負えるものではない。

総じて言えるのは、苦労と相応の段階を経て偉くなった人は、すでに威厳と権威が身についており、今さら偉ぶる必要がないわけだが、ポッと出ていきなり国会議員になってしまったような者は「ヤクニンに軽く見られてはならない」と自らを大きく見せようとして、ありもしない鎧をまとおうとして自我が肥大化していくのだろう。あるいは、求められる能力と自己評価を勘違いしてしまった人間が国会議員になってしまった結果、能力が要求に追いつかず、精神論や官僚叩きに走ってしまうケースも多そうだ。
まぁ私に言えることは、良心や人間性を保ちたいならギインなぞやるべきではない、ということである
posted by ケン at 12:53| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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