2015年05月28日

宗教の恨みは恐ろしい

先日90近い大叔母を母と共に訪ねた。この叔母は、祖母の異父妹に当たる。曾祖父が早世したため、曾祖母は祖母を養女に出して再婚、再婚先で生まれた1人である。故に血は薄く繋がっているものの、家系的には全く異なる関係にある。

叔母はやや認知に難があり、何度も同じことを言われるのだが、中でも驚いたのは、「わが一族は先祖代々浄土真宗だったのに、両親(特に曾祖母)の一存でカトリックに改宗(幼児洗礼)させられた」旨の話を恨みがましく3度もされたことだった。80年以上も前の話で、彼女はずっと敬虔なクリスチャンだったはずで、どうやら再改宗するつもりもないようなのだが、それとは全然別次元のことらしい。何やら心の奥底にしまい込まれて80年間塩漬けにされた、精神の深淵を遺言として開示された気分だった。

私のことはともかく、母のことは姪として認知しているように見えるのだが、話が一段落すると「わが一族は先祖代々浄土真宗……」の話に戻ってしまうのだ。ひょっとしたら顔を合わせるのはこれが最後になるかもしれないのに、「大事なのはそこなんだ……」と母共々思わざるを得なかった。
不可知論者の私としては、宗教は知識としては理解できても、根源的なところは自分の想像力を上回ってしまう。叔母にしても、永年心の最奥部に封印し、必ずしもキリストの教えを否定するつもりもないのだろうが、「改宗を強制された」という事実は余りにも重いものだったのだろう。

もっとも、祖母の養家の場合、三河一向一揆(1563年)で真宗の菩提寺の求めに応じて主君である松平元康に対して挙兵、約半年にわたって戦い、一度は岡崎城を攻め立てるも、最終的には和議となり、「お咎め無し」の条件として浄土真宗から浄土宗に改宗(宗旨替え)させられている。
ところが、祖母の家にはそのことについては恨みがましい伝説や口伝は残っていない。時間的な問題なのか、完全な異教への改宗と宗旨替えの違いなのか、その辺のところもサッパリわからない。まぁ常識的に考えれば、家康に仕えたことで300年に渡って禄が保証されたのだから、文句など言えるはずも無いのだが。

母方の家は基本的に宗教に淡泊、徹底した合理主義者であり、亡くなった祖母からして「墓はもう不要」と言ってしまうほどだった。故に母も私も、叔母に遺言のように「うちは本当は真宗」と言われても迷惑なだけなのだが、敢えて仏教に帰依するとしても真宗は無いかなと。弟子に「いくらお経を読んでも悟りを開ける気がしないのですが」と聞かれて、「そうか貴方もか、実は自分もなんだ」と素直に答えてしまう親鸞は非常に好感が持てるのだが、どうにも真宗によって宗教的確信が得られるとは思えず、入信するからには何らかの「確信」が欲しい。そうなると、仏教の中で最も近そうなのは、無条件で即身成仏を目指す真言密教というのが私の見解なのだが、その修行過程は苛烈で10万人に1人も入定できるのかという感じで、これはこれで現実離れしている。いずれにせよ、悟りを目指すかどうかは別にしても、老後は種智院大学で仏教美術を学んで自らの手で曼荼羅を描いてみたいとは思っている(笑)
posted by ケン at 12:26| Comment(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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