2015年06月03日

原発国民投票に見る社会的選択のあり方について

「原発の是非を国民投票で決めよう」という趣旨の請願を受ける。仮ボスは嬉々として受けていたが、個人的にはかなり疑問を抱いている(請願自体に反対なわけではない)。先に全く別の例を挙げよう。

現在放映されている京アニの『響け!ユーフォニアム』の冒頭、新たな顧問が着任し、吹奏楽部の年次方針を決めるに際して部員の投票が行われる。その選択肢は「皆一丸となって頑張って全国大会を目指す」と「(頑張らずに)皆で吹奏楽を楽しむ程度に止める」というものだった(正確には取っていない)。採決はその場の挙手で行われ、映像上は前者が半数程度、後者が1、残りは棄権という感じになり、「全国大会を目指そう!」ということに決まった。
現実政治を担うものからすると、民意集約の手法としては極めて問題のある方法で、意地悪な意味で「リアル」だった。第一に、部員の意見を十分に聴取しないで採決に及んでいること、第二に「頑張る」か「楽する」かという選択肢(二択)の設定、第三に秘密投票では無く挙手による採決、第四に相対的多数による決定である。
もともとこの部は過去に方針をめぐる対立から士気の高い部員が大量に退部しており、総じて士気が低く、本音を聴取すれば「そんなに頑張らなくても楽しめればいいじゃん」という意見が続出するはずだった。士気の低い意見が続出すれば、場の流れが後者に傾くため、意見が出る前に採決したのであろう。
そして、選択肢を「全国大会」と「楽する」という二択にすることで、建前論から実質的に後者を「選び得ない」ものにしている(無効化)。これは設問や選択肢を恣意的に設定することで、回答を誘導する手法だ。実際に大手マスゴミの世論調査で多用されている。
さらにその場での挙手採決ということで、これも建前上「楽する」という選択肢を採りがたくしている。もし秘密投票だったら10票くらい入っていたかもしれない。事実、棄権者が多かったことがその可能性を示している。
さらに3分の1強の部員が棄権をしている中で、半数程度の部員が「全国大会」に投票したことをもって「全部員が一丸となって全国大会を目指す」ことを「吹奏楽部の総意」としてしまって良いのかという問題がある。実際のストーリーでも、「一応決めた」という感じで多くのシコリを残しているように見える。
「高校の部活なんだからいいじゃん」というのは簡単だ。だが、社会に出る前の高校生が、このような民意集約(意思決定)システムをもって「世の中そういうものだ」と考えてしまうのは、デモクラシーの未来を閉ざしてしまっているように思えるのだ。あらためて高校の公民で社会的選択理論を学ぶべきだと確信したわけだが、アニメを見てそんなことを考えているのは私だけかもしれない(笑)

さて、原発国民投票に話を戻そう。まず思いつくままに問題点を挙げてみると、

・原発立地住民(利益享受者)、近隣住民(利益は少なく事故被害だけ被る可能性)、遠隔居住者(事故被害が少ないフリーライダー)という利害関係がマッチングしない複数の層を抱え、利害調整や意見聴取をしないまま是非のみを投票にかけるのは民主的あるいは公正と言えるか。

・原発の是(推進)か非(廃止)かという二択は公正あるいは現実的か。

・仮に51対49で賛否が決まった場合、推進にせよ廃止にせよ否定された側は納得できるのか。

・低投票率だった場合の投票結果の正統性あるいは正当性をどのように評価するか。仮に投票率30%で賛成45、反対40、白票・無効票15となった場合、全有権者のわずか13.5%の賛成票をもって原発推進が決まることになる。

・仮に是となった場合、核政策が是認されたことになり、原発の大増設に繋がる可能性があるが、反対派はそのリスクを受け入れられるか。逆も然りで、非が確定し、即時停止と全面廃止という結論を賛成派は受け入れられるか。

・国民投票の実務を担うのは国会ではなく政府(総務省)になるが、原発の推進役が公正かつ公平な投票を担保できるかどうか。設問、選択肢、投票方法、投票期間など公正性や民主性が保証されるかどうか。


といった感じになり、「国民投票を実施して国の方針を決めました」という形式は整うかもしれないが、民意を集約して国政に反映させる機能は全く保障されないことが分かる。
なお、現在のところ国民投票は憲法改正のみについて法律で規定されているが、その他の目的のための国民投票は法的根拠が無く、実施するためには新たな法律を制定する必要がある。一般的な国民投票のための新法制定を、自民党一党優位体制下で公正に行えるとも思えない。

憲法改正の国民投票や独立のための住民投票のように、全ての人が概ね利害を共有し、利害の内容もほぼ共通している案件については、是か非かの二択投票にも一定の正当性が担保されうる。それでも低投票率だった時の評価(どれほど民意や主権を反映しているのか)は難しい。だが、原発や大型公共事業の住民投票はより利害関係が複雑で、是か非かという単純な二択が適切であるか、かなり疑問を禁じ得ない。また、単純な二者択一の強要は、コミュニティの対立を激化させる恐れがある。

一般的な夫婦や恋人において「私と仕事とどっちが大事なの?!」とパートナーに迫るのが禁じ手とされているのは、不可能な二者択一を相手に強要することで互いの信頼関係を破壊してしまうためだ。
武田信玄が名君とされたのは、並み居る国人衆を等しく扱って会議で発言の機会を与え、根気よく耳を傾け、容易に自分の意見を述べずに熟議と熟慮を重ね、意見が出尽くし議論が終わったのを見据えて決断を下したためだった。議論の過程が民主的であるのに投票採決をしないのは、採決をして票の行方が明らかになることで家臣内の対立が激化することを恐れたためだったと思われる。賛否を明らかにすることは一見民主的に見えるが、意見集約の点では困難を伴うため、無理に採決すると参加者の信頼や納得を失う恐れが出てくるのだ。例えば、独立の住民投票を強行して否決されたとして、それで独立派がテロに走ったのでは元も子もないだろう。

日本の選挙制度と議会が大きく信頼を低下させており、新たな民意集約システムや意思決定システムが望まれるのは私も理解できるが、だからと言って住民投票や国民投票のような直接民主制を安易に導入したところですぐに解決される訳ではないのだ。
posted by ケン at 12:12| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 滝先生は全国大会出場が多数になるように強引に採決しながら、それを錦の御旗にして、学生にけっこうひどいことを言ったり、無理難題をふっかけたりしているんですよね。高坂さんみたいな一生懸命やりたい学生さんは滝先生に心酔するでしょうが、そこまでの覚悟がない学生にとっては騙されたという気持ちが強いでしょうね。滝先生=選挙で多数を占めるや公約の隅に書いてあったことも「信任を得た」として強行するJM党、吹奏部員=毎度JM党にうまく言い含められてしまう国民、高坂さん=JM党を盲信するネトウヨと思うと、このアニメが途端にブラックなものに思えてきますw今のところ視聴者(海外の視聴者含む)にも吹奏部員にも滝先生が支持されているのは実績を出しているからで、彼の立場は意外と脆いですね。
 国民投票や住民投票は結果が接戦となった場合、大阪の住民投票がそうであったように国民または住民の間に大きな亀裂を残しますし、圧倒的に大差になった場合は敗北した側にトラウマを残します。リンカーンを暗殺したブースは南北戦争を背景に圧倒的な世論の支持を得たリンカーンが絶対権力を確立することを警戒していたと言われていますね。日本的な徹底的な話し合いによるなあなあ解決が日本人には合っているのかもしれません。
Posted by hanamaru at 2015年06月04日 00:51
滝先生は音楽家としては有能かもしれませんが、教員としては甚だ問題があるように思えます。まぁ最後まで見てみないと分かりませんが。成果が目に見える部活だからまだ良いものの、普通の教室であれをやっても上手くいかないかと。現実ならもっと退部者が出ているようにも思えます。

私が公民の先生だったら、生徒にこのシーンを見せて、班分けして問題点とその理由と改善方法について議論させ、発表させるところです。

話し合いは重要ですが、核廃棄物の中間貯蔵施設や最終処分場のようにいつまで経っても決められない問題もあるので、そこは上手いこと使い分ける必要があるのですが、そこが難しいところなのです。だからこそ、権威者が最終裁定を下す方が皆が納得する(諦めがつく)ということもあり、これもデモクラシーの難しいところです。少なくともトップダウン式は日本で上手くいった例が殆ど無いことは確かです。
Posted by ケン at 2015年06月04日 12:54
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