2015年07月09日

都解体構想を全面支持!

いや、持つべきはイデオロギーの異なる友人である。彼に言わせると、東京がオリンピックに熱狂するのは、巨大な権力と巨額の予算を有するからで、そもそもオリンピックを開くだけの権限と予算が無ければ、「やろう」という話にすらならない、ということだった。
具体的に言えば、東京都の予算は約13兆円(特別会計を含む)で、これはスウェーデン、インドネシア、イランなどの中規模国の国家予算に相当する。原発を有するような中規模国に匹敵する予算を、一都市で賄っているのが東京であり、金と権限が集中すればそこに腐敗が凝縮するのは避けられない。

オリンピックを強行した結果、インフラ整備が都心部に集中、本来インフラ整備が遅れがちな多摩地方のインフラ整備が先送りされている。また、治安強化が謳われることで、警視庁が焼け太りし、警官の増員はおろか、「テロ・組織犯罪対策」としてメールやSNSの監視システムを整備しつつある。情報を真っ先に入手できる都議会議員は、都心部のマンションを買いあさって転売、ボロ儲けして高級車を乗り回してふんぞり返っている始末だ。

対する都民はオリンピックという名のサーカスに酔いしれて、自分たちの自由権と財産権が侵害されていることに誰も気づいていない。言うなれば「パンとサーカス」あるいは「リヴァイアサン」である。前者は、愚民化政策を指す世界最古の言葉で、無償の食糧と見世物を与えておけば、市民は政治に対する関心を失い、ローマ皇帝と貴族に盲目的に従うだろう、というもの。後者は、ホッブズの著作名で、本来は国家(共同体)そのものを指す表現だが、市民の主権者意識が失われると、固有の自然権も放棄させられて、国家に集約されて制御不能な巨大権力と化してしまう寓意でもある。
つまり、オリンピックに目がくらんだ東京都民は、自らの税金が際限なく祭典につぎ込まれ、いつの間にか自身が治安当局の監視対象にされていることすら気づかないうちに、東京都政府は制御不能な巨大権力と化してしまっているのだ。
東京オリンピックの問題点についての過去ログを再掲しておくので、参考にして欲しい。
東京都は直接的な経済波及効果を約3兆円と試算しているが(需要増で1兆2千億円)、民間では最大150兆円規模との見方もあり、相当に幅のある数字になっている。
東京都の数値に従って見てゆくと、国立競技場を5万4千人規模の開閉式屋根付きに建て替えるだけで1300億円が見込まれており、水泳の会場となる「アクアティクスセンター」(2万席)などの大規模施設が並んで合計4750億円となっている。さらに関連のサービス業で6500億円、小売業で2800億円、保険業で1200億円などが連なる。
民間の試算では、「観光業が倍増」とか「安倍政権の国土強靭化計画で55兆円」などが加えられて「経済波及効果」として100兆円を上回るものがある。
対して東京都は「コンパクト」を売りにしているものの、予算として80億ドル(8千億円)を計上しており、うちプール金が4千億円であることから、今後さらに4千億円の新規予算支出が求められる。
つまり、「8千億円の予算支出で3兆円の経済効果」こそが東京都官僚と推進派政治家の本音ということになるが、言うまでもなく8千億円は都民が納めた税金であり、経済効果は官僚の試算に過ぎない上に特定の業者に偏るだろうと考えられる。実質的な需要増で言えば、4千億円の増加でしかなく、たとえ試算上といえどもリスクの大きい賭けではなかろうか。
オリンピックは儲かるか?」 

今回の東京オリンピックは国内の世論調査でも「賛成5割、反対2割」といった具合で招致活動の盛り上がりが今一つで、東京都が37億円も費やすことで何とか維持してきたが、それでも自信がなかったため、皇族を大量投入することで国家の権威を示さざるを得なかった。それは、開催の名目や大義名分が曖昧で、税収の2倍の予算を組んでいる極度の財政難と原発事故が未収束という背景がありながら、「お祭り」に4千億円も大盤振る舞いすることに十分な説明が与えられなかったためだ。
言うなれば、夕張市やデトロイト市が巨大な花火大会を開催するような話であり、「これは基金として別枠の予算ですから」と言ったところで、納得できないのは納税者として当然だろう。

他方、1964年の東京オリンピックは、第二次世界大戦で日本が全世界50カ国以上(連合国、後の国連)と戦争を行い敗戦に至ったことから国際復帰するという象徴的意味があった上に、非白人種の国における初めての開催という大義名分があった。また、国内的には焦土と化した敗戦からの復興という意味合いがあり、それを理由にしたインフラ整備も正当化され、実際に支持されていた。

オリンピック開催が決まったことで、首都高や上下水道など老朽化したインフラや地震での崩落が予想される体育館やプールなどの全面改修が急務となるが、それらを理由に巨額の予算が組まれ、またぞろ不要不急の建造物が大量に増築されることになりそうだ。終了後には無用のインフラと巨額の赤字が残るだろう。4千億円のプールがあるだけに、帳面上は負債にはならないかもしれないが、その維持費だけでも重くのしかかってくる。
東京オリンピックを消極的に評価する

制御不能な巨大権力と化してしまった東京都は、分割することでのみ、都民の自然権と主権を回復することが出来る、というのが友人の主張である。具体的には、東京都を四分割、つまり23区を東北西に三分して三つの県にし、プラス「多摩県」に分ける。そうすれば、分割された県は、予算規模において千葉や埼玉と同レベルになると想定され、巨大祭典を開いて一儲けし、税金で花火を上げて見世物にしようなどという発想にはならないはずだ。
友人の言葉を借りれば、「都解体構想こそが本来の自由主義の発露なのだ」ということである。

やべぇ、リベラリズム美し過ぎる……
以前、秘書が運転するレクサスに乗ってゴルフに行く名古屋市会議員を見たことがあるが、腐臭しかしなかった。友人の構想に比べれば、橋下の大阪都構想など、「東京だけズルい」という醜悪な嫉妬でしかない。
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という、ジョン・アクトンの言葉は現代の自民党や霞ヶ関だけでなく、東京都や名古屋市にも適用できよう。
個人的にも、東京都議会なんてどうでもいいが、「多摩県議会」とか言われると俄然ナショナリズムが刺激される気がする。「初代多摩県会議員」の名誉に対する誘惑に、果たして私は抗しきれるだろうか。
posted by ケン at 12:25| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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