2015年07月17日

安保法制衆院通過を受けて雑感

7月16日、衆議院本会議において野党が欠席する中、安全保障関連法案が可決された。思うところを縷々述べておきたい。
この間、最も強く感じたのは、政府側の余りにもお粗末な論理と答弁であり、本音をベースに堂々と「日本のあるべき(霞ヶ関と自民党が考える)安保戦略」を述べれば、ここまで国民世論を硬化させることはなかったと思われる。それを変に対米従属性、兵站支援・後方作戦への関与、中国脅威論などを隠蔽し、国際貢献などの美名で覆おうとしてしまったが故に、野党からの質問に正面から答えられず、はぐらかし、質問と関係ない答弁で時間稼ぎするばかりで、胡散臭さのみを露呈する形になった。
90年代以降の国際情勢の変化の中で、日本は日米同盟を主軸とした「力による大陸封鎖」路線と、国連協力とアジア協調を主とした「新たな集団安全保障体制の構築」(非対称封じ込め)の二つの選択肢が遡上に上がったものの、90年代半ばには外務省から国連中心主義派がパージされて前者に大きく傾いていった。
「日米同盟堅持」路線は、政策転換にかかるコストが掛からない代わりに、「同盟を維持するコスト」が高まっており、日本(霞ヶ関と自民党)としては同盟コストを支払うために「米国の世界覇権維持に対する協力強化」という選択肢を採ったと考えられる。
この一連の考え方は、私自身は首肯し得ないものの、政策判断としては十分な合理性を備えており、理解は出来る。例えば、

「中国の脅威がかつてなく増大しているが、対抗すべき基軸となる米国はアジア関与を弱めている」

「中国の脅威に対しては、アメリカと連携してこれを封じ込める必要がある」

「だが、米国は衰退傾向にあり、日本はそれを補うだけの軍事的貢献をしなければ、アメリカはアジアから手を引くだろう」

「東アジアの軍事バランスを維持するためには、日米同盟をより強化する必要があるが、アジアから退場しようとしているアメリカを繋ぎ止めておくためには、日本が全世界で積極的にアメリカの軍事行動を支援しなければならない」

という論理で首尾一貫主張していれば、維新や民主のような自民党の補完政党は反論の術を失い、ここまで図に乗ることはなかったものと思われる。維新にしても民主にしても、安全保障政策の基本を「日米同盟基軸」としている以上、対中国戦略として「力による大陸封鎖」路線しか選択し得ないからだ。ちなみに、民主党はかつて、鳩山・小沢路線が国連協力とアジア協調を主とした「新たな集団安全保障体制の構築」路線を掲げていたが、両者がパージされたことでほぼ消滅している。
自民党は本音で安保を語るべき
 
この場合も「違憲立法」の批判にはさらされるだろうが、すでに自衛隊を創設し、個別的自衛権を容認している点で憲法9条に違背しており、「どこまでのルール違反なら許容されるか」という論争にしかならないだけに、ここは最初から強行突破可能だった。現行制度では違憲立法審査機能が非常に弱く、司法は行政に従属しているだけに、裁判になったところで違憲判決が下される可能性はゼロに近い。つまり、違憲立法批判さえ強行突破してしまえば、あとは少なくとも維新、民主からの攻撃は軽く撃退できるはずだったのに、敢えて全面砲火を浴びてしまっている。
特に衆院可決の前日にアメリカとイランが手打ちをしてしまったことは、「ホルムズ海峡で機雷掃海」という政府の主張がいかに現実とズレていたかを物語っている。

この間、事務所にかかってきた電話でも、面会に来た人も、「民主党政権が続いていればこんなことにはならなかっただろうに」と言ってくれる訳だが、残念ながら実情は全く異なる(そうは答えられないが)。
先に述べたとおり、民主党は鳩山・小沢体制において、国連協力とアジア協調を主とした「新たな集団安全保障体制の構築」路線を掲げたが、党内抗争に敗れて全否定され、「日米同盟基軸」路線に復帰した。「日米同盟」が、日米安保体制の片務的関係を否定し、双務的軍事同盟に昇華させようという発想・主張である以上、集団的自衛権に行き着くのは不可避だった。現に民主党政権下で、集団的自衛権行使容認に向けた内部勉強会が設置されたのは菅政権の時であり、本格的検討に入ったのは野田政権の時だった。仮に民主党政権が続いていたとすれば、米国側からの要望もある以上、菅直人氏がTPP加盟や消費増税を打ち出したように、マニフェストに反する「騙し討ち」の形で今回同様の法案を出したと思われる。そうなれば、今の安倍政権への非難など比較にならないほどの怨嗟の声が上がったことだろう。「公約に反する増税」と「公約に基づく違憲立法」のどちらの罪が重いかと言えば、議会政治の原理からすれば前者の方が重罪、統治論(立憲主義)からすれば後者の方が重罪ということになろう。

また、民主党内は超大ざっぱに言って、右派と中間派と左派に3分しており、右派は集団的自衛権行使を容認、左派は反対、中間派は「野党だから反対」という感じで、もし民主党が政権にあったとしたら中間派が賛成に回り、党は「行使容認」を決めたであろう。
その意味で、民主党に期待を寄せる方には申し訳ないが、民主党は「野党だから」反対しているだけで、その内実は非常に無責任かつ無分別だと言わざるを得ない。
繰り返しになるが、「日米同盟は維持します。でも集団的自衛権は認めません、個別的自衛権で対処します。今まで通りの国際貢献は続けますから問題ありません」という民主党の主張は、仮に政権を再奪取したところで早々に米国からクレームが付けられて、鳩山氏が基地移転を撤回したのと同様の大恥をかくことになるだろう。
集団的自衛権行使や海外派兵を本気で回避したいのであれば、NK党か社民党に投票するほか無いと思われるが、NK党の場合は「右翼権威主義を忌避するために左翼全体主義を選ぶ」という選択肢に他ならないし、社民党はすでに政党として機能しているとは言えない状態にあり、これも選択肢になり得ない。党員組織を基盤とする民主的左翼政党の設立は、我々にとって常に大きな課題である。

今回、民主党は主に「違憲立法」の視点から政府を攻めたが、先に述べたとおり、自衛隊と個別的自衛権と日米安保を肯定する立場から論じてみたところで、「俺の違憲は合憲だが、お前の違憲は違憲だ」という禅問答のような話にしかならない。
現実には違憲立法の疑いのあるものは山ほどある。例えば、私学助成が1つの典型で、憲法89条は、
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

と規定しており、普通に読めば、私学助成が違憲であることは明らかだが、「私学は公の支配に属する」という解釈が採られることで「合憲」とされている。
また、通信傍受は憲法21条の「通信の秘密」に明らかに違背するが、犯罪捜査(公共の福祉)と裁判所の許可や事業者の立ち会いなどを理由に「合憲」とされている。現実には裁判所の許可は99%以上とされているので、司法の独立性は機能していないも同然だ。また、今回の法改正で事業者の立ち会いが不要になり、傍受対象はほぼ無限大に拡大されるので、国民の「通信の秘密」は実質的に失われることになる。その意味で、日本国憲法は実効性を失いつつあると言える。
自民党の戦略は、現行憲法を実質的に無力化することで権威主義体制を復活させることを目的としているようだが、それに対して「違憲だ」と騒ぎ立てたところで、「暖簾に腕押し」になってしまうのは避けられない。そして、司法が行政に従属している現状では、違憲立法審査には一切期待できない。司法の独立性を担保し、デモクラシーと立憲主義の原理を徹底させない限り、根本的解決はならないであろう。これは「第二の敗戦」に向けた課題としたい。

そして、強行採決の問題。右派からは「あれは強行採決ではない」「強行の定義が曖昧」「多数決で決めなければ何も決まらない」などの批判が上がっているが、殆ど「相手の合意無くしてお金を出させたかもしれませんが、恐喝ではありません」みたいな話で笑える。反対側の同意なくして、一方的に行われる採決は全て強行採決である。また、デモクラシーの要諦は、「決める」ことではなく、可能な限り多数の意見を反映させてより多くの人の納得が得られることで、統治の安定を確保し、組織の運用を円滑にすることにある。国民の半分が反対するオリンピックと、国民の圧倒的多数が支持するオリンピックを比べて、どちらがやりやすいかを考えれば明らかだ。
ただ、日本の議会制度は「会期制」を採っており、会期中に議決されなかった法案は、「会期不継続の原則」によって継続審議の手続きがなされないと、審議未了で廃案となってしまう。そのため、通常国会の会期は150日で一回だけ延長が認められているが、野党が「引き延ばし戦術」で「時間切れ」を目指す要因となっている。今回の民主党が採った戦術も同じだった。逆に政権党側は政権党側で、「時間切れ敗北」を回避するために10本ある法案を1つにまとめて提出しており、「審議時間が110時間を越えたから」と強弁したところで、「法案一本当たり10時間足らずじゃねぇか!」という話にしかならない。その結果、野党は同じ委員が同じような質問を繰り返し、政府側は正面から答えずに無駄話で時間を稼ぐという、およそ近代議会とは思えない状況が現出している。これに対しては、通年議会と議会期制を導入する必要があるが、これも「第二の敗戦」に向けた課題としたい。

【参考】
複式投票制度を考える 
国会機能の充実と効率化に向けて 
posted by ケン at 12:41| Comment(4) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
教師の給料削減反対とおっしゃられていましたが↓貼り付けた掲示板をみれば教師が夏休みいかに有休を使い無駄使いしているかわかります。
あと35年連続出生率2、0を割っているので今から産まれる子供を増やすのは35年分のツケがあり手遅れです。
故に確実に学校に通う子供の数は激減します。逆に社会保障費は増加。
故に教員給料削減は正しいと思います。
Posted by かた at 2015年07月18日 23:09
コメントは当該記事のところにお願いします。混乱の元になりますので。

給与削減については、30人学級や25人学級の原資とすべきですし、あるいは教員の労働時間の3割以上を占めるようになった事務作業の代替や部活動の外部指導員のために使うべきだと主張しています。
Posted by ケン at 2015年07月19日 09:02
最近の一連の安保法制の流れを眺めていて、幕末の鎖国廃止の顛末を想起させられています。
後世の我々は、当時の日本が国際社会の中で鎖国を放棄せざる得なかった事情を理解しています。「合理的」で「正しい」政策であったのです。
しかし、鎖国を廃止した当事者である幕府は潰れることとなった。
何故か。

結局、その国家にとって「祖法」レベルに血肉化したドクトリンを転換するのは、それだけ困難である、ということです。
それまで「黒」と言い続けていたことを、ある日を境に「白」と為政者がひっくり返れば、権力自身にも、市民にも「何をどこまでやってよいのか」のガイドとなるべき論理規範を喪失する。
論理的正当性を喪失した政権が、権力を執行しようとすれば、剥き出しの暴力に頼るしかない。
結局、国内の広範な反発に晒された幕府は、既存法規の「解釈を拡張し」弾圧を開始したが、それは却って国内の秩序意識の崩壊を促し、市井の暴力のレートを高めてしまった。……。

まぁ、そこから先はご存じのとおりなので端折りますが、歴史の繰り返し性とそこから外れたものについて、いろいろ考えさせられる今日この頃です。
Posted by 義忠 at 2015年07月19日 21:41
歴史評価の難しいところは、どうしても後世の人間が後知恵を前提に断罪してしまう点にありますが、当時決断する立場にあった人は非常に限られた情報しか無い上に、様々な条件や人間関係に縛られていて、どこまで「自由」な判断ができたのか、分からないところがあります。

だからこそTPPはできるだけ情報を出さずに、政策決定者だけの間で決断してしまおうということなのでしょうが、とても上手くいくとは思えません。そもそもブロック経済圏の発想が否定されたのが、第二次世界大戦の枢軸ブロックと冷戦期の東欧ブロックだったはずです。今さら同じことをやろうとしている米日って何なんでしょうね。
Posted by ケン at 2015年07月21日 15:21
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: