2015年07月22日

日本人と財産権

90歳になるパリに住む大叔母が友人と話をしていて戦時中の話になり、そのフランス人が「戦時中はアパートをドイツ人に接収されて帰ってきたときには殆ど家財も残っていなかった」と語ったので、叔母も「自分の家でも金やダイヤモンドを政府に供出したし、戦後は戦後で米軍に自宅を接収された」と返したところ、「それは返還されたの?」と聞き返されたので、「日本政府のは取られっぱなしだけど、米軍は家財含めて全部返してくれた」と答えた。すると、その友人は「なぜ日本政府に返還を求めないの?受領証は無いの?」と突っ込んでくるので、叔母が「戦争中なんだからそんなものは無かったと思う」と返したところ、生暖かい目で「帝政時代だから人々には財産権も認められていなかったのね、フランス革命前と同じようなものだわ、それでもちゃんと政府に返還を求めるべきよ」と厳しく追及されて答えに窮したことがあったという。

叔母上はこの時まだ女学生だったこともあり、やや事実と異なることがある。正確には、日本政府は貴金属を無償で強制回収して回ったわけではなく、政府から委託された団体が「対価」を支払う形で「戦争協力」を呼び掛けていた。ただ、戦後の農地改革と同じで低く抑えられた公定価格による「買い取り」だったため、戦時中の物資不足とインフレによって実質的にはほぼ無償供出と同様だった。そして、現時点で確認はできないが、どうやら受領書の類いは叔母が言うとおり発行されていなかった形跡がある。発行されたとしても、誰もその価値を認めていなかったことは確かだ。少なくとも老人たちの記憶はほぼ「貴金属の供出を強制された」「断れば周囲から非国民扱いされて村八分になるのは間違いなかった」と一致している。

また、占領軍もまた日本政府が回収した貴金属を始め、民間に残された貴金属についても改めて接収を行った。こちらは無償による強制供出だったが、概ね受領証が発行されていたため、後日全てでは無いが返還されている。ただ、占領軍が接収した貴金属については「戦争に協力しなかった非国民が隠し持っていた金やダイヤモンドだけ返還されるのはおかしいだろ!」という感情論が根強く、返還法案が成立するまでに相当時間が掛かっている。

逆に戦時中に供出された貴金属は、当時の日本政府が売却するための国際市場へのアクセス権を有していなかったため、結局国庫にしまい込まれたまま占領軍に一度接収、後に返還されたものの持て余し、1960年代に「大蔵省大放出、大ダイヤモンド展」などと全国のデパートで国民に「販売」されるところとなった。戦後生まれの私などからすれば、恐ろしいほどの背任行為だと思うのだが、日本政府とはそういうものだった。
要は、ヤクザに「お前らを守ってやるけど武装する金が無い」と貴金属を供出させられた挙げ句、紛争が終わると「結局使わなかったから金払えば返してやる」と言われたような話なのだ。

もっとも、戦後確認された統計によれば、民間で回収された貴金属は、金が1637kg、銀が28万2407kg、プラチナ587kgと必ずしも多くは無かった(例えば田中貴金属が本前半期に販売したプラチナ地金は4600kgに及ぶ)。これは当時の日本人がやはり相対的に貧困だったことと、わが一族を筆頭に供出した人々が信じているほど「皆」が供出したわけではなかった可能性が想定される。その意味では、皇族や華族などがむしろ積極的に供出に協力した点で、「富の平等」を強制実施した効果があったことは否めない。

考えてみれば、1985年にゴルバチョフが初めてフランスを訪問したとき、シャンゼリゼの沿道に帝政ロシアの債券を持った老人の一団が現れて、「払い戻せ!」と大騒ぎしたことがあった。逆に革命後のロシアでは、農地や財産の供出を拒んだ農民が続出したため、ボリシェビキは暴力をもって収奪する他なかった。
果たして、政府に言われるがままに、財産も農地も供出してしまう日本人とどちらが「人間的」なのか、深刻に考えざるを得ない。同時に、現代の日本人は70年前よりも「市民権」というものを理解していると言えるのだろうか、これもかなり疑問だ。
わが一族は、明治政府に家禄と武家特権を奪われ、軍閥政府に貴金属供出と国債購入を強制され、戦後政府に農地を強制収容されるという、わずか80年間で3度も財産接収を経験している。「革命期のロシアやフランスのように殺されないで良かったな」と言われればそれまでだが、果たして人間のあり方としてそれで良いのか疑問を禁じ得ない。

近い将来、日本は再び預金封鎖や貴金属の強制供出、あるいは貧困層に対する軍役などが課される恐れが強いが、若い人々は覚悟しておいた方が良いだろう。いや、つくづく子どもをつくらないで良かったと思う。

【追記】
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国民総背番号制と預金封鎖に向けて準備中。現金と貴金属を貸金庫に預けるとか発想がフランス人的かもしれない(笑) ちなみに今年前半期に田中貴金属が販売したプラチナ地金は4600kg、2000億円以上に及ぶという。なお、戦時中に政府が民間から接収したプラチナは587kg、金が1637kgであり、戦後どれだけ裕福になったか想像される。もっとも、わが一族のように唯々諾々と政府に供出したのが実は「馬鹿正直すぎ」だったのかもしれないとは思うのだが、まぁこれもノブレス・オブリージュの一種なのだろう。もう二度と出しませんけどね!
posted by ケン at 13:44| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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