2015年07月23日

国と保守派が君が代を強制するワケ・上

片山杜秀先輩に触発されたので私なりの考えも述べておきたい。
いわゆる「国旗国歌法」が制定されたのは1999年のことだが、学校教育の現場で君が代と日の丸が強制あるいは推奨されるようになったのは90年代に入ってからのことで、先鋭化してきたのは90年代後半のことだった。国旗国歌法の審議に際して、政府は繰り返し「国旗国歌が制定されたからと言って強制することは無い」旨を答弁してきたが、現実には教育現場での強制が進み、ほぼ100%近くなっているようだ。その背景には、国旗国歌に冠する職務命令をめぐる裁判の多くが、反対派(思想の自由に反する)の敗訴に終わっていることがある。つまり、政府(行政)と政党(立法)と司法が一体となって国旗国歌の強制を進めている構図なのだが、なぜ国旗国歌に固執するのかという疑問がある。

まず国旗と国歌は前近代には存在せず、近代国民国家の形成とともに誕生している。中世から近世に至る国の場合、王家の紋章を旗印にすることはあっても、国旗は存在しない。敢えて言えば、中世の独立都市で採用された旗や紋章が原点と言えるかもしれない。日本の江戸時代も徳川家の紋や皇室の紋はあっても、国旗は存在せず、外国と通商するに際して識別用に日章旗が使われるようになっていった経緯がある。
中世の統治構造は、国王と貴族(あるいは教会)による連合体で、国王は貴族の代表・利害調整者という態で、人民はその従属物あるいは付随するものでしかなかった。従って、国家主権は国王が占有するか、国王と貴族が共有しており、国土防衛の責務は一義的に国王が担った。国王はその責務を果たすために徴税し、兵を動員するわけだが、人民はあくまでも収奪されるだけの存在だったが、逆を言えばただ直属の貴族や国王に従っていれば良かった。つまり、国王は自らの責務を果たすために自分で税を取り、兵を雇い、戦争するのであるから、掲げるのが王家の紋章であるのは当然のことだった。

より正確を期すならば、国防の義務は国王に帰せられるが、貴族は国防の義務を負わず、貴族は国王から領地保全を保障される対価として軍の動員に応じているに過ぎなかった(御恩と奉公)。これは、基本的に日本も同じで、国防の義務は征夷大将軍である徳川家が一手に負っていただけで、諸大名は徳川家が領地保障する対価として徳川家の軍事要請に応じるという関係にあった。故に、国防義務が十分に果たせず、領地保障機能に疑問符が付けられるようになると、長州戦争時のように動員要請を婉曲に断る大名が続出したのである。

ところが、近代国民国家は全く異なる原理の上に成り立っている。王政を否定して成立したフランス革命政府は、社会契約の概念に則って、全市民に主権を分与する対価として、それまで国王が負ってきた国防の義務を市民に課した。主権を担うということは、国政の責任を引き受けることを意味する。従来であれば、政治的失敗の責任は全て国王一人に帰せておけば良かったものを市民一人一人が自分で負うことになった。今日、日本を筆頭に、民主主義国における統治が機能不全を起こしつつあるのは、「市民一人一人が政治的責任を負う」という理想と現実の乖離が広がってきていることが大きい。

近代以前は「王様に言われたから」村として税を納め、村のロクデナシを兵士として供出してきたわけだが、近代以降は個々人に課された義務として税を納め、兵卒になることが要求されるようになった。だが、「今日から貴様は主権者の一人だから納税と兵役は義務である」と言われて、「はい、そうですか」と答えるものはまずいないだろう。そこで「全ての市民は共同体を同じくする一員であり、我々が共有する共同体(の理想)はこういうものである」というイメージ(幻想)が必要となった。アメリカ独立戦争やフランス革命、あるいはロシア革命を見れば分かるとおり、近代国家の設立と同時に旧体制の支持者が外国結託して体制打倒を試みており、「市民的義務」の概念をどれだけ普及させ、動員と納税に応じさせるかが最重要課題となった。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」第3番の歌詞はあまりにも象徴的だ(ちなみに私の母校の副校歌でもあった)。
何と! 外国の軍勢が  我らの故郷に来て法を定めるだと!
何と! 金目当ての傭兵の集団が  我らの気高き戦士を打ち倒すだと!
我らの気高き戦士を打ち倒すだと! おお神よ! 両手は鎖で縛られ
頚木をはめられた我らが頭を垂れる 下劣なる暴君どもが
我らの運命の支配者になるなどありえない!

武器を取れ 市民らよ 隊列を組め 進もう 進もう!
汚れた血が 我らの畑の畝を満たすまで!

フランス革命の場合は、国歌で市民の危機意識を煽りつつ、国旗で自らの理想を表明した。有名なフランスの三色旗(青白赤)は、本来はブルボン王家を意味する白と、パリ市民の青と赤が並んで1つの共同体をなすものだったが、ルイ16世が死刑になり王政が廃止されると、「自由、平等、博愛」へと置き換えられ、今日に至っている。「共和国の原理と理念を守るためにはファシズム(あるいはイスラム)と戦わなければならない」という政府の主張が、現代においても左右双方に受容されるのは、国民の間で共有されているからに他ならない。

【参考】 三色旗が意味するもの 

フランスに比して、日本の近代国家の成り立ちと市民意識の醸成は非常に遅れた。まず、明治維新は「革命=統治機構の否定」ではなく、「維新=政変・政権交代」という見解が採られた。江戸期までの日本の統治システムは、天皇が有する軍事外交権を征夷大将軍に委託、内政については諸侯が自治権を持ちつつ、幕府が総覧するイメージだった。その自治権についても、本来は律令制や班田収授法を見れば分かるとおり、天皇がその権限や王土の一部を委任したものであって、維新(王政復古)の成立と同時に全ての権利と権限は、天照大神を皇祖とする古代神の子孫である天皇に帰せられるというのが、明治帝政の根幹理念だった。
ところが、これでは中世から古代への「反動」ということになってしまうため、主権は天皇一人に帰属するが、実際の行使は臣下が代行する形が採られた。結果、日本国民は主権が認められないまま、納税と兵役の義務が課されてしまった。「代表無くして課税無し」は米国独立運動の標語だったが、日本は逆を行ったのであり、その反動として自由民権運動と国会開設運動が起きた。
そして、人民に主権を認めないまま、納税と兵役の義務を課すための共同体幻想として「大日本帝国」が提起され、それを象徴するものとして日章旗と君が代が見いだされた。天皇は太陽神の子孫という設定であり、日章旗は皇祖である太陽をあしらっている。世界の国歌の大半が、国の成り立ちや大切にする価値観を謳い、それを守るために国民の一致団結が必要であるとするものであるのに対して、君が代は「今上帝の世が永遠に続きますように」と祈願するだけの呪歌だった。

つまり、フランスやアメリカなどの近代国家が、国旗や国歌に理想を謳ったのは、人民主権者に対して理想を保障しつつ、その対価として納税と兵役の義務を求めるためだった。ところが、明治日本の場合、国は人民に何も保障することなく、納税と兵役を始め天皇に対する一方的忠義のみを求めていた。しかも、帝国憲法下では、主権は天皇にあったが、実権は臣下が代行し、代行者は天皇に対して責任を負うものの、天皇は完全免責という仕組みであったため、為政者(実際の支配者)にとってこれほど「楽(無責任)」な統治システムは古今東西なかったのではなかろうか。
明治帝政は、自らの欠陥によって全面戦争を起こし、自壊していった。だが、国土が灰燼に帰し、全世界を敵に回し、敵による本土上陸が近い中にあっても、日本政府が「一億総玉砕」を呼号しつつ、「国体=天皇主権」を唯一の(一方的)条件としてポツダム宣言を受諾したことは、当時の支配層にとって何が重要だったのかを物語っている。
フランスやアメリカで戦死した者は「共和国(合衆国)市民の義務を果たしてその理念に殉じた」と扱われるが、日本で戦死した者は「帝国臣民としての義務を果たして国家(天皇)に殉じた」と扱われる。前者の場合、戦死者は市民間で共有される理念を守るために死に、その代償として政府は市民に基本的価値を保障する義務を有する。だが日本の場合、戦死者は国家もしくは天皇を守るために死ぬわけだが、国や天皇に保障すべき基本的価値はなく、いかなる義務も有さなかった。
以下続く
posted by ケン at 12:36| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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