2015年08月10日

新国立競技場の責任者は誰?

【<JSC>新国立工事費、「3000億円」設計会社提示無視】
2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設問題で、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が昨年5月、基本設計の概算工事費を過少に見積もって公表していたことが、関係者の証言で分かった。設計会社側が約3000億円と提示したのに対し、JSCは資材の調達法や単価を操作するなどして1625億円と概算していた。正確な額が公表されていれば、計画見直しが早まった可能性がある。1625億円の根拠は7日に始まる文部科学省の検証委員会でも議題となる。JSCは昨年5月、基本設計を発表した。8万人収容で開閉式屋根を持つ新競技場は地上6階、地下2階の鉄骨造りで延べ床面積は約21万平方メートル。概算工事費は1625億円とした。関係者によると、昨年1月から本格化した基本設計の作業で、設計会社側は概算工事費を約3000億円と試算した。
しかし、JSCは「国家プロジェクトだから予算は後で何とかなる」と取り合わなかった。JSCは1625億円を「13年7月時点の単価。消費税5%」の条件で試算した。さらに実際には調達できないような資材単価を用いるなどして概算工事費を過少に見積もったという。基本設計発表の半年前の13年末、財務省と文科省は総工費を1625億円とすることで合意しており、JSCはこの「上限」に合わせた可能性がある。ある文科省幹部は「文科省の担当者が上限内で収まるよう指示したのではないか」と指摘している。
今年2月、施工するゼネコンが総工費3000億円との見通しを示したことでJSCと文科省は総工費縮減の検討を重ね、下村博文文科相が6月29日、総工費2520億円と公表した。しかし、膨大な総工費に批判が集まり、政府は7月17日に計画を白紙撤回した。JSCは「政府部内の調整を経た結果、13年12月27日に示された概算工事費を超えないよう基本設計を進めた。基本設計に記載した1625億円は、設計JV(共同企業体)側とも確認のうえ算出した」と文書で回答した。
(毎日新聞、8月7日)

ザハ・ハディド「自分はデザインしただけ」
安藤忠雄「自分はデザインを選んだだけ」
森喜朗「組織委員会は何の権限もない」
河野一郎JSC理事長「政府の指示に従っただけ」
下村文科大臣「決めたのは民主党」
民主党「政府の責任」


あ〜もう終わってるよな。統治不在による無責任の連鎖。インパール作戦や日米開戦の経緯と死ぬほど似てる。さて、一体本当の責任者は誰なのか、誰が真の戦犯なのか。
実はこれは簡単な話で、国立競技場の運営主体にして所有権を有するのは、日本スポーツ振興センター(JSC)であり、そのトップである河野一郎氏こそが最終責任者であり、「戦犯」指定されるべき存在と言える。ただし、JSCは文部科学省傘下の独立行政法人であり、森喜朗氏は自民党文科族の顧問的存在として君臨している。
【JSC河野理事長「プロセスはしっかり踏んできた」】
 迷走の末に白紙に戻された新国立競技場建設計画。時間を空費したつけは大きく、スポーツ界には2019年ラグビーワールドカップ(W杯)の会場計画見直しや、国際オリンピック委員会(IOC)への事情説明など対応が急務の課題を課せられた。早速、事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)は17日、デザインを手掛けたザハ氏側と、一部建設工事契約を結んだ大成建設に伝達。「政府の判断を大変、重く受け止めている」と述べた河野一郎理事長は、斬新なデザインについて「五輪招致(成功)のカギだったと思う」とした上で「少なくとも招致段階からプロセスはしっかり踏んできた。政府の指示に従って動き、最善のことをやってきた」と強調した
(産経新聞、7月17日)

背景事情についてはまだまだ分からないことが多いのだが、推測するに、オリンピック誘致を推進する政府とラグビーワールドカップをゴリ押しする森氏らの圧力を「斟酌」したJSCは、「有識者会議」でデザイン選定の任に当たった安藤氏に「できるだけ目立つデザイン」を要望、その要望を満たすべく安藤氏はザハ案を採用する。しかし、費用についての検討はどこでも無視されていたのだろう。実際、安藤氏はより現実的(実現可能性の高い)な案を「現実的すぎる」としてコンペの2位にしている。コストについては、安藤氏は「自分の責務では無い」と判断、JSCと森氏は「政府が何とかするだろう」とタカをくくり、文部科学省を筆頭とする政府は「オリンピック(放漫財政)なんだから、コストについては後からどうにでもなる、東京都にも負担させれば良かろう」くらいに安易に捉えていた節が強い。
まさに統治の不在である。

ここで少しインパール作戦が成立した経緯を見てみよう。
1944年3月に発動されたインパール作戦は、作戦構想としては43年から存在した。太平洋戦線などの戦局が悪化する中で、ビルまでもイギリス軍による空挺侵攻が行われていた。そのような時に第15軍の司令官に牟田口廉也が就任した。当時、航空戦力を中心に戦力が他戦線へと引き抜かれつつあり、牟田口としては「彼我の戦力が逆転する前に攻勢を行って敵戦力を打ち減らしつつ、侵攻拠点を抑えたい」と考えるようになった。その背景には、盧溝橋事件の当時者として日華事変を引き起こし、本格戦争に突入させてしまったという「汚名返上」の気持ちがあったという。牟田口は構想に反対する参謀長を更迭してまで自説を貫くが、計画がまとまる前に雨期を迎え一旦延期となる。

作戦計画はさらに進められるも、ビルマ方面軍や南方総軍の参謀部から兵站などの理由から疑問符が付けられ、防衛中心の限定攻勢に修正案が提起される。だが、盧溝橋事件を共にした牟田口の上司である河辺正三がビルマ方面軍司令官という立場にあり、修正案が採用されることもなく、また先送りになっていたところ、43年8月に大本営から南方総軍に対してインパール作戦の準備命令が下る。これは、他の戦線で後退が続き、「どこか勝てそうなところで勝ちを挙げておきたい」という大本営の「色気」と、東アジアの傀儡政権が連合国に靡くのを防ぎつつ、インド独立運動を刺激するという東条内閣の政治的要請に基づいていた。
8月末から南方総軍を中心に作戦内容の検討が行われ、様々な修正案が提示されるも結論を見ず、先延ばしになっていたところ10月15日、反対派の筆頭である稲田総参謀副長が突然更迭され、反対派は沈黙してしまった。12月には15軍司令部で兵棋演習が行われ、牟田口案が無修正のまま裁可され、南方総軍に上申、寺内司令官の決裁を受けて大本営に作戦発動の許可が求められた。かくして、1944年1月、大本営からインパール作戦の実施が南方総軍司令官に発令される。命令を受けた南方総軍は一部の参謀が工作して、一応攻勢の限定化をビルマ方面軍に指示するも、無視されて終わった。兵站を考慮しない徒歩による山岳地帯の全面攻勢が発動されたのは1944年3月8日のことだった。恐ろしいことに、牟田口が自らの作戦構想を開示した43年初頭以降、15軍の作戦会議や兵棋演習に配下の3人の師団長は殆ど参加していない。特に第31、33の両師団長は一度も参加して居らず、意思疎通が全く図られていなかったことは異常性が際立っている。
なお、6月5日に河辺方面軍司令官がインタギーにいた牟田口を訪ねるも、双方とも作戦中止を切り出せずに終わり、作戦はさらに一カ月続くところとなった。後に牟田口は、
「河辺中将の真の腹は作戦継続の能否に関する私の考えを打診するにありと推察した。私は最早インパール作戦は断念すべき時機であると咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」

と回顧している。
本稿はインパール作戦の是非を問うものではない。だが、同作戦の責任は一体誰に問うべきであろうか。一義的には作戦責任者である15軍司令官たる牟田口であることは確かだが、上官であるビルマ方面軍司令官の河辺には作戦を中止させるだけの権限があったと考えられる。実際、現実にはこの2人が馘首される形で責任をとらされるわけだが、いかんとも釈然としないものがある。というのも、直接的な作戦指令は、大本営が発した1944年1月の大陸指令第1776号にあり、仮に大本営を通じての東条内閣の政治的要請が無かったとしたら、現地でウヤムヤにされたたま時間切れになっていた可能性があったからだ。そう考えると、大本営の責任は重大なわけだが、だからと言って天皇や参謀総長を最終責任者として断罪するというのも無理がある。結局、責任の所在を限定するのは困難と言える。

責任の所在を曖昧にし、最終権限が誰にあるのか判然としない日本型統治機構(組織論)は、戦争の反省を経ぬまま今日も健在のようだ。今後も同様の「統治の不在による無責任の連鎖」が繰り返されるのかと思うと目眩がしそうである。
なお、ソ連のアフガニスタン介入については以前の稿で意思決定過程を検証しているが、共産党政治局が責任を持って最終決定を下しているので、以下を参照していただきたい。

【参考】
・ソ連のアフガニスタン介入における意思決定過程
posted by ケン at 12:17| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

新国立競技場問題とインパール作戦との相似、大変興味深いです。

下記の記事を信じるならば、腹を切るつもりがないのに腹を切ることに言及している点も河野理事長と牟田口将軍は共通していますね。
ttp://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/new_stadium/list/CK2015080802100004.html

ちなみに民主党は下村文科相辞任ばかり要求して、河野氏の辞任には言及していないように思われますが、河野氏を任命したのが民主党政権だったからでしょうか?

腹心である河野氏をJSC理事長にゴリ押しし、それまでJSCが進めていた旧国立改修案を反故にして新国立建築への暴走へと進ませたのは、政権に関係なく日本のスポーツ界を支配している森元首相なので、新国立競技場問題における、自民党と民主党のどちらに責任があるかの論争は、正直不毛と感じております。

なお、一介の医師である河野氏が森氏の腹心になった経緯や新国立と神宮外苑再開発の関係は、雑誌「ZAITEN」の9月号の記事に詳しいです。

河野氏は9月末をもってJSC理事長を任期満了してしまうので、このまま責任追及がもたつくと、経歴に傷をつけずに逃げ切り成功してしまいますが・・・

河野太郎氏が河野理事長更迭を要求していますが、安倍首相は新国立白紙見直しの件で森元首相に負い目を持っていると思われますので、受け入れないと思われますし・・・
Posted by 城島 呉蘭 at 2015年08月10日 21:05
今日の毎日新聞ですが、

2020年東京五輪・パラリンピックの主会場の新国立競技場の新たな整備計画を策定している政府が14日に次回の関係閣僚会議を開き、基本方針を示すことが10日、政府関係者の話で分かった。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150811-00000007-mai-pol

などと出ており、ますます「じゃあJSCの権限は何?」という疑問を強くしています。これでは特殊法人不要論が高まるのは当然のことで、日本型組織の悪弊は今後ますます露呈してくるだろうと見ています。
Posted by ケン at 2015年08月11日 13:10
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