2016年01月26日

著作権と肖像権−個人が一方的に叩かれる時代

スキーバス転落事故の報道で、一面に被害者の顔写真が掲載されたが、その多くはSNSからの引用だった。朝日や東京は出典を載せていたが、読売と毎日は載せていなかった。出典の有無に関係なく、そもそも事故や事件報道で顔写真を掲載する必要があるのか、仮に誤報だった時の責任を負えるのか、疑問は深まるばかりだ。少なくとも個人的な印象では、自分が事故で死んだとして、新聞やネットにさらし首にされるのは不名誉極まりないとしか思えない。

かつては、マスゴミも遺族から写真の提供を受けて掲載しており、少なくとも遺族の合意があるということで相応の納得もできたが、SNSの写真を無断転用することが許されるのかとなると、全く別の次元のはずだ。
そこでその合法性について調べてみたが、そもそも肖像権そのものを対象にした民法は無く、過去の判例によって判断されているようだ。新聞協会の見解としては、「公共の利害に関わる」「公益に資する」「内容に妥当性がある」場合は肖像の利用が認められる、というもののようだ。要は「本来は遺族の承諾などは必要ないのだが、写真を借りる以上はやむを得ない」ということだったらしく、SNSの存在によって写真借用の必要がなくなったので、無断使用が横行することになったようだ。民間の防犯カメラも同じ理由から説明される。
個人の側が新聞の記事やテレビの動画を下手に引用すれば、著作権法違反に問われるのに、マスゴミ側は「公共・公益」をタテにやりたい放題なのだ。

マスゴミの肖像利用については疑問がある。まず、顔写真を掲載しなければならない具体的な理由が存在せず、公益や公共の必要性についても説明できないことが挙げられる。新聞やテレビが顔写真を載せるのは、単に「売れる」からであって、大衆の煽情的な欲求を満たすだけの理由しか無い。仮に個人情報が必要だとしても、氏名を報じれば十分目的を果たせるはずだからだ。つまり、マスゴミが顔写真を報じることについて、いかなる公益性も説明できない。
同じことは、警察によるデモ隊参加者の撮影にも言える。警察側は、「公共の安全」をタテにデモや集会参加者の顔写真を撮って、内部リストを作成している。だが、民主主義社会において、デモや集会に参加することは正当な主権の行使であって、公共の安全を脅かすものではなく、むしろ警察による個人撮影の方が、デモクラシーを脅かしている。

そして、もう一つの大きな問題は、誤報や冤罪のリスクである。事故や犯罪に巻き込まれて死亡したとして顔写真を掲載したところ、実は別人の写真だった場合、掲載されてしまった個人が受ける社会的損失は計り知れないだろう。一方、マスゴミの側は社会面にベタで謝罪して終わりで、刑事罰や行政処分あるいは社会的懲罰を受けることは無い。これは冤罪事件ではより甚大な被害が生じる。事件が起きてある人物が逮捕されると、その姓名と顔写真が報道されるが、その裁判で無罪になっても、被疑者の名誉を回復するような報道や謝罪広告が載ることはまずない。結果、たとえ無罪になっても大衆は報道によって「逮捕された」ことのみを記憶することになる。日本における事件報道は、冤罪リスクが一切考慮されていないのだ。これは、(マスゴミを含む)権力にとっての公益性が重視される一方、個人の人格権(名誉)が不当に低く評価されていることの表れである。個人情報保護法ができても、個人情報漏洩の民事賠償が「数千円から数万円(過去の判例)」に過ぎないことも、個人情報や人格権の評価が著しく低いことを示している。

私の主張は、事故・事件報道における顔写真・情報の提示を一切禁じること、そして民法において肖像権と人格権を確立し、著作権やパブリシティ権と同等以上の権利を保障するというものである。
日本人は、「自由と民主主義」を標榜する自国において、個人の人格権がここまで蹂躙されていることについて、もっと自覚すべきだ。
posted by ケン at 12:34| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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