2016年02月17日

公募議員の質が低いワケ

先に「育休サギ」で某議員が辞職表明し、その前には「URあっせん」で大臣辞職、「未公開株サギ」での離党表明があった。正直なところ、不倫はプライベートな問題であり、代議員として職責を駆使して不正を働いたわけではなく、個人的不祥事で議員辞職するのは議会制度や代議員制度にそぐわないと考えている。
とはいえ、「潔く辞任した(させた)」ということで、自民党のリスク管理は「さすが」としか言いようが無い。ミンス党ではこうはいかなかっただろう。補選は無理としても、仮に次回の総選挙で再選を果たせば、「ミソギは済んだ」と言えるのだから。もっとも、今回のM議員の場合は、公募候補なので地元の自民党支部やKM党が公認、支援を拒否する可能性も十分に考えられる。

大臣は別にして、「育休サギ」や「未公開株サギ」、あるいは私的旅行で本会議を欠席した維新議員たちはみな「公募候補」だった。ネトウヨ丸出しのツィートで知られる自民党のY議員も公募だという。候補者公募制度の問題点はすでに述べているが、一部再掲しながら再考したい。
かつての中選挙区制では、政党の公認は立候補希望者同士の政治的競争に勝ったものが取得し、そこで敗れたものでも無所属で出馬して当選すれば、後付で公認された。
また、各政党あるいは中間団体には青年部があり、政治的訓練を積み、政治力を身に付ける場になっていた。自民党の場合は、徒弟制度のような形で議員の秘書を務め、修業していた。
競争があるということは、政治力−才能、技術、人脈、経験、影響力、資金力、運といったものを有しているものが勝ち残ることを意味する。
だが、小選挙区制の下では、政党公認は書類と面接によって政党支部で選定されるだけになり、かつてのような競争はなくなった。書類で問われるのは、学歴と経歴であり、特に「経歴詐称がないか」が重視される。面接では、「人当たりの良さ」「アピール力」「清潔さ」が問われる。
そして、選定の基準は「選挙で他の候補者よりも票が取れるか」に絞られる。
つまり、小選挙区で勝つ条件と選定方法において、肝心要の政治力が問われなくなってしまったのだ。
議員の質が低いワケ

政党が選挙の候補者を公募するのは、単純に自前で用意できないためであり、それは党組織の弱さ、具体的には党員がいないことに起因する。民主も維新も自前の組織、党員が存在せず、ただ議員と個人後援会があるのみなので、まず党員から候補者を選ぶことができない。
政党員は党の理念に共鳴し、他の党員と運動を共にするものであり、その中で経験と人脈と技術を蓄積して行く。
ところが、公募候補は「次の選挙に勝てそうな党」に「当選すること」を目的に集まるだけで、理念に対する共鳴力が弱いだけでなく、「運命を共にする」連帯意識も弱いため、「次は勝てそうにない」となると容易に離れて他党に行ってしまう。また、運動経験や党内抗争によって培われた政治技術も経験も無いため、本人の才能とは別に政治家として非常に未熟なまま議員になってしまう。
RPG的に言うならば、政党員や労働組合員が数レベルで初冒険に出るのに対して、公募候補はゼロレベルで冒険に出るので、あっという間に霞ヶ関モンスターに潰されてしまうのである。
候補者公募に見る政党劣化) 

かつての中選挙区制の時代には、自民党なら党青年部を始め、農協や商工会の青年部、あるいは業界団体といったところで「修業」をして、一定の業績が認められ、人間関係を築いてきた者でなければ公認は得られなかった。それでも公認を得るために熾烈な争いが繰り広げられ、公認を得られなくても無所属で立候補する者が後を絶たなかった。そして、無所属で立候補しても、当選さえすれば「実力」が認められて当選後に党公認が下りるという事象がまま見られた。社会党の場合には、労働組合や農民団体で一定の業績を上げたものが党公認を得て出馬していた。
この場合、中間団体で認められるだけの実績を上げ、一定の人脈を築いて、ある程度の「地盤」「看板」があるものが党公認を得て立候補していたわけで、つまり中間団体の中で長い時間をかけて選別されていたことを意味する。結果的には、能力が極端に低いものや、政治的偏向が著しいもの、人格的に大難のあるものは、容易に公認を得られない構造になっていた(もちろん例外はある)。良くも悪くも、中間団体は自らの利害を議会に反映させるために代表者を出すのだから、無能な者を選ぶインセンティブは低い(現実には疑問を覚える議員も少なくないのだが)。何よりも長期間にわたる活動実績や人柄が評価された上での選抜であるため、「実はこんなヤツだった」みたいなことは滅多に起きない。
中間団体幹部が国会議員に魅力を感じず、リスクが大きくなって出馬を忌避するようになっているという側面もある。

政党と中間団体が没落し、小選挙区制が導入されると、今度は「中間団体の代表」では当選が難しくなり、政党は候補者を自前で用意できなくなり、より「一般ウケする候補」を公募するようになった。公募になると、公平の建前上、就職試験と同じで面接や論文のテクニックが重視されるようになった。ただ、就職試験と異なるのは、試験官が素人であることと、議員としての能力よりも「有権者ウケしそう」なことが重視されるようになったことだった。結果、見た目は良いのだが、中身の水準は急落していったと考えられる。
中選挙区制から小選挙区制に移行したことで、「田中金脈」に象徴される利権政治はなりをひそめ、せいぜいが甘利事件程度の規模になったのは確かだ。しかし、それと引き替えに個々の議員の質は大幅に低下、「まともな人」は立候補しようとは思わず、「一発逆転」を目指す若者が公募に群がるところとなった。彼らは良く言えば「普通の人」かもしれないが、一般社会で出世できない人が、「一発逆転」で国会議員になってしまうことで、人間としてのタガが外れ暴走してしまったり、地盤の無いところで無理して支持を得ようとしてポピュリズム的言動に走るという弊害が目立っている。
果たしてどちらが良かったのか、いまからでもよく考える必要があろう。もっとも、今から中選挙区制に戻したからといって、議員の質が回復するという保証もないのだが。
posted by ケン at 12:42| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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