2016年03月25日

批判する前に権限強化を

【<中学生虐待>警察や児相指導むなしく 自殺図り2月死亡】
 相模原市児童相談所は22日、両親から虐待を受けて児相に通所していた男子中学生が自殺を図り、今年2月末に死亡していたと明らかにした。生徒は虐待が続くため保護を求めていた。児相は「切迫した緊急性がなく、家庭環境は改善の方向に向かっている」として、親の承諾なしに強制的に親から引き離す職権での保護を行っていなかった。鳥谷明所長によると、生徒が通う小学校の教師が2013年11月、生徒の額が腫れて顔に傷があるのを不審に思い、市に通報した。児相が経過を見ていた14年5月末、生徒は深夜にコンビニエンスストアに逃げ込み「親に暴力をふるわれた」と店員に助けを求め、警察官に保護された。
 児相は両親から事情を聴いた上で虐待事案と認定。虐待をやめるよう両親を指導し、6月から男子生徒と両親を一緒に毎月1〜3回程度、児相に通所させた。だが10月上旬、生徒は親の体調不良を理由に通所しなくなり、児相職員が学校を訪れて生徒と面談していた。生徒は11月中旬、近くの親族宅で首つり自殺を図って意識不明となり、重度心身障害となった。昨年6月、児相に入所して暮らしていたが、容体が悪化して今年2月末に死亡した。
児童相談所は、虐待を受けた子どもを親から引き離し、一時保護することができる。子どもの安全を確保することが目的で、情報収集や保護者への調査がしやすくなる。原則は子どもや保護者の同意を得るが、放置することが「子どもの福祉を害する」場合は、職権で強制的に保護する権限を持っている。鳥谷所長は「一人の尊い命がこういう形で失われたことについて大変深く、重く受け止めている。職権で生徒を保護するだけの緊急性、差し迫った状況はないと判断した」と説明している。
 厚生労働省は、職権による一時保護について通知で「保護者の反発をおそれて控えるのは誤り」としており、子どもの救出のための積極的な活用を求めている。厚労省虐待防止対策室は「今回の事案については事実関係を相模原児相に確認中」としている。
(3月22日、毎日新聞)

児童相談所は、基本的に都道府県の管轄だが、政令市は希望して厚労省に申請すれば設置が認められるものの、そのハードルは高く、相模原市の場合、ようやく許可が下りて設置した矢先の出来事だっただけに、不幸としか言いようが無い。
この手の事件が起きると、決まって児相や行政機関が非難される。この件でも私の知る自治体議員が「児相を厳しく追及しなければならない」旨を宣言していたが、全く人気稼業というのは度しがたいもので、果たしてこの連中がどこまで児相の実態を知っているのか、甚だ疑問がある。
私の場合、政党機関紙の編集に携わっていた時に、児童相談所の問題について調べたことがあるし、母親が児童福祉の専門家であることから、少なくともその辺の議員よりは実態を知っていると思う。

児童相談員(正確には児童福祉司など)は、「虐待された子どもを保護し、子どもに最適な進路を提示して支援する行政官」と定義されよう。理念としてはその通りで、その仕事に憧れる学生も少なくない。
だが、その実態は非常に危険を伴う仕事で、例えば児童虐待を行う親は、ヤクザやチンピラ、精神不調者、あるいは意思疎通が困難な外国人(それも滞在許可が無かったり)であるケースが多い。少し想像力を働かせれば分かると思うが、ヤクザや精神不安定な者の家に、その子どもを「奪」いに行くわけなのだから、何らかの抵抗があるのは当然なのだ。だからこそ警察官は強制執行権と武装を持っているわけだが、児相にはそれが無い。危ないことをしたくないのは誰も同じだろう。子どもを虐待していると分かっているとしても、ヤクザの家に丸腰で行くのは、とてつもない勇気と義務感が求められるが、個人的な勇気と義務感に頼らざるを得ないというのは、行政システムとして間違っている。
また、ある家庭で虐待が行われていると通報があったとしても、相談員は捜査権が無いため、「行くだけ」になってしまうケースが多いことも保護の難易度を上げている。

厳密には、法改正を経て児相にも一定の執行権が付与されたが、警察のように強いものではない上、強制権を発動させるためには非常に多くの要件が課されている。そのため、強制執行権が発動される前に、「手遅れ」となるようなケースが起こってしまう。現に、記事のケースでも両親が拒否したことで、児相側は強制執行を断念している。
全体的に見れば、日本の児童相談所は、ロクな権限も与えられていない中で、十分以上の効果を上げていると思われるだけに、個別の事件で全体が強く非難されるのは不条理にしか思えない。
また、強制執行(児童保護)などを行う際に、警察官の協力を得ることは、ようやく理解を得つつあるが、それ以外の家庭訪問時にも相談員は大勇を振るわなければならない状態に置かれており、個人的勇気に依存するシステムは改善されてしかるべきだろう。

民法が改正されて、虐待を理由に家裁が親権停止を命じられるようになったのは、わずか5年前のことであり、それも停止期間はわずか2年と短すぎるものだった。それすらも、民主党政権で無ければまず実現不可能だっただろう。日本では、虐待防止よりも親権保全が優先されており、このことも虐待を助長していると言える。
新しい男と付き合うために、わが子を養護施設に入れてしまう母親。かと思えば、「別れたから」と平然と子どもを引き取りに来る。
「医療費がかかる」「ケガ(虐待)がバレる」と受診はおろか、健康診断や予防接種すら拒否する親。
十年も連絡なかったくせに、生活保護や障害年金目当てで、突然子を引き取りに来る父親。しかも、「金はもらえない(増えない)」と分かった途端にまたトンズラしてしまう。

常人には信じられないような話だが、児童相談所では「ごく当たり前」の話であり、同様の案件を児童福祉士が一人で下手すれば何十件と抱えている。
人手不足で手が回らず、故に虐待を十分に察知できず、虐待が発覚すると、今度は「オンブズマン」などから非難されて、精神を壊していく、児童福祉行政の現場がある。
こんな親たちでも、親権は絶対的なものであり、「引き取る」と言われれば、拒否できないのが従来の法制度だった。子どもはもちろんのこと、児童福祉士たちの苦悩や心痛は察するにあまりある。
「親権の停止」に向けた民法改正はずっと以前から叫ばれてきたが、ことごとく拒否してきたのが、自民党を中心とした保守派(民主党の中にもいる)であり、「親子の絆を割くのか」というのが彼らの主張だった。
虐待防止で親権停止へ

自治体における生活保護や児童相談部門は、最も激務な上、児相については身の危険すらも伴うわけで、現実問題として配置された新人職員の多くが一年以内に辞めてしまったり、病気休職したり、あるいは異動願いを出すという。いわば、自治体業務の中でも有数の「ブラック部門」であり、その認識を持たずに批判するのは控えるべきだろう。
posted by ケン at 13:16| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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