2016年04月21日

日本再軍備の条件

「日本が核武装する日」の補足。
改めて宣言しておくが、私は憲法9条否定論者であり、再軍備論者である。

・侵略されても戦わないのか 
・日米安保の原点 
・中道左派ライトウイング視点による憲法9条と日米安保のおさらい

第二次世界大戦の戦後処理の過程で、西ドイツは脱ナチと民主化を徹底させることを条件に再軍備が認められた。それに対して日本では、天皇制を一部温存させる代償として軍事権が放棄された。だが、朝鮮戦争が始まり、冷戦構造が確定する中、日本は情勢に合わせる形で憲法改正を経ぬまま自衛隊をつくった。それでも、しばらくの間は、自衛隊は共産国からの「盾」としての役割のみを期待され、西側ブロック防衛の主体はあくまでも米軍だった。故に自衛隊は軽武装のまま置かれ、日本の軍備負担は長いこと軽いもので済んでいた。
天皇制を始めとする権威主義体制の一部温存が容認される対価として、日本の非武装(半永久的武装解除)が行われ、米軍の常時駐留の確定と同時に新憲法第9条に明記された。このプロセスは、日本国憲法の条文を一目見ればわかる。第1条から第8条までが天皇のあり方を示す一方で、それに蓋をするような形で第9条の「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」が盛り込まれた。なお、日本側から提示された草案には第9条に相当するものは存在しなかった。アメリカの解釈は、「帝国日本の侵略性は、権威主義(天皇制)という動力と軍閥(軍部)という車輪の上に成り立っているから、車輪さえ奪っておけば車が暴走することは無いだろう」というものだった。
分かりやすい歴史解釈のために:日本の戦後処理について

だが、ソ連が崩壊して冷戦が終わると同時に米国の衰退が始まり、米国の国益の力点が中東に置かれるようになると、日本は米国から自力による防衛を求められるようになった。気づいてみれば、日本は軍事費で世界7位前後、海軍力では世界第二位という規模の「軍隊」を持つに至っているのだが、日本政府だけは憲法上の理由から「軍隊では無い」と言い張る状態になっている。
そして今日、米国大統領が「もはや世界の警察官ではない」と発言し、大統領予備候補が「アジアからの撤退」を明言するに至っている。アメリカの衰退に伴う、アジアからの引き上げは時間の問題であり、米軍撤退後の「軍事的空白」をどうするかが問われているが、日本政府は問題そのものを否定し続けている。これはいわば、東独の社会主義統一党の党官僚が「ソ連軍が撤退するなどあり得ない」と主張しているのと全く同じで、希望的観測でしかない。
この軍事的空白を埋めるのは、国連軍が存在しない以上、中国人民解放軍か自衛隊でしか無い。だが、自衛隊は、日本国憲法第9条と日米安保条約の矛盾を解消するためにつくられた擬装組織でしかなく、その実力は長いこと「米軍が到着するまでの盾」に押しとどめられてきた。「お前らいい加減自立しろよ」と言われて始めたのが、1991年のペルシャ湾の機雷掃海であり、本格化したのは2003年のイラク派兵だった。今ではジプチに海外基地を設営するに至り、スーダンでは戦闘参加や軍政まで視野に入れているという。このように、なし崩し的に任務が拡大しているが、「憲法と安保の矛盾を覆い隠すための擬装」としての自衛隊の立ち位置は変わっていない。
米軍の存在を前提とした自衛隊は、軍隊では無いがための問題が存在する。例えば、交戦規定が存在しない(つくれない)ことや、兵站機能が非常に脆弱であること(米軍が来るまで戦えれば良いという前提)、防衛省の下部組織という設定であるが故に議会の統制を受けないこと、そして軍警や軍法会議が存在しないこと、などが挙げられる。これらを解決するためには、自衛隊を辞めて「軍隊」にする必要がある。ところが、ここで大問題が生じる。

もともと日本は第二次世界大戦の戦後処理として、天皇免責の代償に軍部に全責任を負わせ、権威主義体制を一部温存する代償に軍事権を放棄したはずだった。だが、米帝の事情(冷戦)と、国内反動派の策謀によって「軍隊では無い米軍を補完するための実力組織」として自衛隊が創設された。確かに、「米帝の勝手な事情で帰国するのだから、後は俺の好きにさせてもらう」と言うこともできようが、それでは中国もロシアも納得しないだろう。つまり、日本が再軍備するに際しては、天皇無答責(免責)と権威主義体制がネックとなる。具体的には、「天皇制権威主義体制のまま再軍備を図るのか」「帝国軍と新たな軍に違いはあるのか」「天皇の戦争責任を改めて問うのか」という問題が発生する。これをクリアしないと、連合国(国連)憲章の「敵国条項」に引っかかる可能性があり、特に中国が指摘してきた場合、非常に厄介になるだろう。これをクリアするためには、

・天皇制を廃止して共和制に移行する、あるいは
・天皇の地位は温存するが、徹底した民主化を行う

・自主的に昭和帝の裁判を行う、あるいは
・改めて帝国軍部に全責任を負わせて、新軍が旧軍とは全く無縁の民主的存在であることをアピールする

・「我が国の平和と独立を守る」という入隊の宣誓を改め、ドイツなどに倣い「国民の権利と自由を守る」とする


などの手筋が不可欠となろう。
西ドイツがナチスとの決別を大前提として再軍備を果たしたのに対し、日本では天皇制を温存したまま自衛隊が創設されたため、帝国軍・皇軍との違いが非常に不明確なままになっている。特に近年、自衛隊が叙勲対象者の拡大や高官に対する天皇認証を要求していることからも、自衛隊内でデモクラシーを否定し、権威主義へ回帰する傾向が強まっていることが分かる。こうした状態のまま、自衛隊を「国防軍」などにしてみたところで、またぞろ自国民に飢餓を強制し、見殺しにし、殺戮するだけの道具になることは火を見るよりも明らかだ。
例えばスイスは憲法で民兵の原則を謳いつつ、「軍隊は、国及び住民を防衛する」と規定しており、これこそが本来の意味での「国民の軍隊」と呼べる。また、フランスは国防法典において「国防は、常に、あらゆる事態において、また、あらゆる形態の侵略に対し、領土の安全及び一体性並びに住民の生活を保障することを目的とする」と規定している。フィンランドも同様に軍の主要な役割について、領土保全に続いて「人民の生活、基本的権利、自由を保障し、法と秩序を守る」と規定している。こうした法的根拠があれば、沖縄戦の様相は今少し違っていたものと思われる。
そして、現代の自衛隊もまた自衛隊法において、

第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

とあるように、「国民の保護」を規定しておらず、「国民個々人の生命保護は我々の任務外」と主張できる根拠を形成している。官僚は法律を守ると同時に、法律に書いていないことは「やってはならない」という縛りがある。例えば、租税法律主義や罪刑法定主義は、国民の合意無き課税や国民の合意無き刑罰を禁じるために存在するが、これは法律に根拠を持たない課税や刑罰が横行すれば、必ず市民に害をなすという考え方である。戦前で言えば、軍の統帥権の定義や内容を規定しなかった結果、文民統制が全く効かなくなって軍の暴走を止めることが出来なくなってしまったことがある。同じ過ちを犯す基盤はすでに出来上がっているのだ。
軍隊のあり方について続・日本軍の場合

【参考】
和平条件としての沖縄と「固有本土」 
軍隊のあり方について続・日本軍の場合 
分かりやすい歴史解釈のために:日本の戦後処理について
posted by ケン at 12:08| Comment(2) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
天皇をそのままに徹底した民主化。具体的にどうなるのですか?
Posted by うじ at 2016年04月25日 13:39
日本が進めるべき民主化については、こちらをご参照ください。

ttp://kenuchka.seesaa.net/article/400326410.html
Posted by ケン at 2016年04月25日 14:22
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