2016年07月22日

日本社会の将来を占う

大層な表題だが、戯れ言として読んで欲しい。現時点において政治の現場にある私が、将来の社会像をどう想定しているか、という話である。

戦後の日本は、今から思えば信じがたいほど経済成長を遂げた。その主な要因として、まず軍事費と植民地統治の負担がなくなったことが挙げられる。
例えば、日華事変が勃発した昭和12年(1937年)の戦費を除く一般会計軍事費は12億円で、一般会計歳出27億円の何と44%以上に達していた。しかも、この年の租税・印紙収入は13億円で、要は借金以外の収入のほぼ全てを軍事に充てていた。また、朝鮮総督府に対する交付金は7千万円を超え、植民地統治の赤字分を補填していた。ネトウヨが何と言おうと、戦前の「大帝国」は財政的に破綻しており、これを改善しようとする努力(例えばペレストロイカのような)すら行うことなく、連合国(現在の国連)との全面戦争に突入していった。敗戦により、植民地が失われ、巨大な軍隊が廃止され、巨額の赤字(国債)がインフレで無価値に帰したことは、少なくとも国家財政にとっては僥倖だった。
今日、どれだけ自衛隊が肥大化しても(世界第二位の海上戦力)、その軍事費は一般歳出の5%程度に収まっており、アメリカが連邦予算の15%をつぎ込んでいることを考えれば、ギリギリのところで国家理性が保たれていると言える。だが、今後は国内の不満を海外の「敵」に向ける必要が生じると同時に、将来的には米軍の撤退もあり、軍拡に向かう可能性が高いが、一方で税収は低下する可能性が高く、国民の負担は重くなる一方だろう。

もう一つの要因は、「戦後和解体制」の構築である。戦後和解体制とは、共産主義の脅威に対抗すべく、西側で成立した資本家層と労働者層の協同的体制を指し、資本主義と自由経済を容認しつつ、再分配と社会保障制度の充実を図ることで、労働者層の体制参加(取り込み)を進めるものを指す。これにより、いわゆる「分厚い中間層」が誕生し、消費が拡大することで市場経済が活性化するという経済成長の好サイクルができると同時に、政治的安定が確立した。日本において、社会党の伸張が止まったのは、岸内閣が国民年金と健康保険を創設し、社会党の「やりたいこと」を先に実現してしまったことが大きい。

ところが、ソ連・東欧ブロックが崩壊したことで、戦後和解体制はその意義を失ってしまう。東側陣営の「社会主義」に対抗すべく、労働者層の取り込みを図ってきたが、その政治的意義が失われ、配慮する必要がなくなった。
また、時期を前後して、社会保障の財政負担が急激に増し、慢性的な赤字に悩まされるところとなった。「民主的な選挙」で選ばれる政治エリートは、選挙に勝つために社会保障費の削減を主張できないため、財政赤字は肥大化する一途にある。
さらに経済のグローバル化によって、国内産業の多くが賃金の安い海外に移転、海外市場との低賃金競争が始まって、国内の失業ないしは低賃金が蔓延していった。
結果、戦後和解体制は、政治的意義を失い、財政的に継続困難となり、基盤となる国内産業や労働待遇が切り崩されることで、崩壊しつつある。欧州における「極右」勢力や、アメリカにおける「ポピュリズム」の伸張は、その表れと言える。
日本の場合は、自ら戦後和解体制を築き上げた自民党が、自ら「改革」と称して同体制を解体、国民が意味も理解せずに支持するという形になっている。

他方で、戦後和解体制は、旧植民地・第三世界から資源や労働力を不当に安く買い叩き、高い付加価値を付けて売りつけることで膨大な利潤を得ることによって成立していた。だが、中間国が工業化を遂げ、経済発展したことで、労働賃金や資源価格が相対的に上昇していった。同時に資金供給が常に過剰となり、利息が低下を続け、いまやマイナス金利すら当たり前となっている。そのため、先進国では利潤を上げ続けるためには、国内で労働力や資本を収奪するほかなくなっている。
日本でも、この20年間、実質賃金は低下し続け、非正規雇用の割合は10%から40%に激増、家計貯蓄率に至っては10%以上あったものがマイナスになってしまっている。これは、大衆の多くが借金しないと生活できない状態を示しているが、大学で学ぶ学生の5割が有償の奨学金を得ていることに象徴されよう。

戦後和解体制を維持するためには、社会保障制度を維持する必要があるが、そのためには肥大化する同費を補うだけの、保険料や税が必要となる。ところが、保険料は高齢世代の増大と現役世代の縮小により、放っておいても現役世代の負担は上昇するばかりとなっている。現役世代の負担が重くなればなるほど、少子化が進み、縮小再生産のスパイラルに陥っている。
また、税収を上げるためには、所得税、消費税、法人税の3つが主な対象となるが、所得税を上げても、高額所得者は「タックス・ヘイブン」を利用し、中低所得層の負担が重くなるだけ。消費税は消費を抑制すると同時にヤミ市場を蔓延させよう。法人税は、国際的に引き下げ競争を行っている上、会計粉飾を蔓延させる。つまり、増税はデモクラシーの制度上難しい上に、増税すればするほど実際の徴収が難しくなるというジレンマを抱えている。
それ故、富裕層の支持もあって、自民党は「増税せずにパイを増やす」戦略を採っているが、結果的には、インフラを含む生産財に集中投資した上で、奴隷労働を強化し、賃金を引き下げる(非正規雇用を増やす、残業代を出さない)ことで実現しようとしているため、使いもしない生産財ばかり増え、固定維持費が高騰、一方で消費がますます低下するという負の連鎖に陥っている。ここ数年、税収は伸びているが、増える要素は何も無く、今後は増税しない限り、低下の一途を辿りそうだ。
その行き着くところは、社会保障や教育を切り下げ、その不満を国内外の「敵」(具体的には中国や韓国、あるいは国内に住む外国人)に向ける社会となる。

貧富の格差が激しい社会というのは、まず消費が低迷するため、国内市場が発展せず、有能な人材が海外に流れ、少数のエリートが政治的実権を握っているため増税もできず、社会保障や教育に十分な投資ができないため、貧困と犯罪と腐敗が蔓延、連鎖すると同時に、強権的な政府の下で暴動が頻発する状態を意味する。かつての開発独裁国、現在でも中東、アフリカ、アジアなどに多く見られるが、自民党が支配する日本も、遠からずここに辿り着くだろう。

【追記】
戦前の日本には、極めて限定された自由と民主主義しかなかったが、第二次世界大戦における連合国側の休戦条件として、本格的にリベラリズムとデモクラシーが導入された。講和条約の成立に伴い、自由と民主主義を後退させる「逆コース」が模索されたが、今度は共産主義国と国内の社会主義勢力との対抗上、自民党と霞ヶ関は「戦後和解体制」を構築する方向で合意した。自民党の綱領に自主憲法の制定が盛り込まれているのは、「逆コース」路線に配慮してのことだった。ところが、東側陣営が瓦解し、中国が普通の開発独裁国になり、国内の社会主義勢力が共産党を除いて絶滅寸前に追い込まれると、戦後和解体制は「財政上のお荷物」でしかなくなり、自民党を支持する富裕層にとっては解体すべき対象となった。また、戦後日本は、帝国を否定せずに、その官僚組織と支配構造を引き継いだため、権威主義的な官僚支配の構造が濃厚に残り、官僚の登用に際しては「自由と民主主義に対する忠誠」は問われなかった。自民党の超長期支配による政官業の一体化もあって、霞ヶ関もまた戦後和解体制の解体に向けて、自民党と歩調を合わせている。労働時間規制を撤廃し、裁量労働を無制限に導入する労働基準法改正案は、その象徴と言える。一般的には、安倍政権の改憲志向は「戦前回帰」で説明されることが多いが、「戦後和解体制の解体」という視点で見た方が、政治の現場にいる者としてはピッタリくるものがある。
posted by ケン at 12:52| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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