2016年12月25日

反骨の血

1941年(昭和16年)7月3日の臨時局部長会議で、次官から「南部仏印進駐を閣議決定した」旨の報告を受けた伯父は航空本部長として、「大臣あなた、こんな航空戦備で本当に対米戦などできると思っているんですか!」と詰め寄り、まともに答えようとしない大臣に対し、「そんなことで大臣が務まりますか!」と怒鳴りつけたという。75年経たいま記録を読んでも、「伯父上、お止め下さい」と背中にすがりつきたくなってしまう(秘書的に)。

母も某市の子ども児童福祉本部長として、局部長会議では激しく議論に参加、疑問や提案・要望があるとすぐに市長に直言、直談判に行くことで知られたそうだから、一族の「血」としか言いようが無い。

そんな伯父でもさらに出世を続け次官に至るのだから、戦前の組織は単純には語れそうに無い。
posted by ケン at 00:00| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ケンさんの本日の文章を読んで、私の意見を述べさせていただきます。

あなたの伯父上様は敗戦後責任をとって田舎暮らしをされたようです(Wikipedia)。
私は戦前の権力者たちが戦後何の責任も取らず、のうのうと暮らしているのに立腹している一人です。
私はソウルから幼児の時引き揚げてきたので、昭和20年代の生活を思い出すことがあります。
高齢者が当時のことを忘れて年金を増やしてくれと選挙の時に言っているのを知り、無性に腹が立っています。

それにしてもなぜ昭和天皇は責任をとって退位しなかったのか、いつも考えています。
Posted by 九州人 at 2016年12月25日 09:21
三国同盟にも日米開戦にも反対したのですから、親族ながら最も戦犯から遠い存在だとは思うのですが、「止められなかった」ことへの悔恨は強かったようです。嶋田元大臣が、戦後海上自衛隊の結成式で音頭を取ったと聞いたときは、文字通り激怒したと聞きます。

高齢者の皆さんが「俺らが苦労して戦後復興させたのに年金を下げるとは何事か!」と怒ることには一理あるとは思いますが、日本の賦課方式というシステム上、給付額を下げないことは現役層の負担を上げることでしか対応できず、ただでさえ貧困下が著しい現役層をさらに貧しくすることは、高齢者層にとっても不利益が多いだろうと思います。

昭和帝については、退位してしまうと訴追される、あるいは自分がなした大正帝のように永久に禁錮状態に置かれてしまうと言う恐れがあったとみています。
Posted by ケン at 2016年12月25日 12:11
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