2017年01月01日

新年の挨拶:2017年を迎えて

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明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いします。
本ブログも無事12年目を迎えることができました。永田町で日々感じ、考えていることを備忘録的に書くことから始まりましたが、マスメディアが本来の機能を発揮しない現在となっては、現場で直接見聞きしたことや、周辺情報から類推される政府・政権党の内部事情を伝えるツールにもなっていると自覚しております。

昨年はやや読書量が減ってしまいましたが、論文類や政策資料は相応に読み込んでいるので、「知的退化」には至っていないと自覚している次第です。その中で考えているのは、「これからの日本はより厳しい状況に追い込まれるだろう」ということです。昨今傾斜を深めつつある権威主義、国粋主義の流れは、資本主義の停滞や中間層の没落、あるいは貧困化の中で起きていることであって、これを放置して右傾化を叩いてみたところで、巣を放置したまま目にしたゴキブリのみを叩くようなものであって、何ら根本的には解決しないでしょう。

米国のとある研究には、小学生になった子どもが成人する頃には、今ある仕事の4割近くが自動化やAI化によって無くなるだろう、という予測があります。これは一瞬「そこまでは無いだろう」と思う人が多いでしょうが、誇張とは言えません。先の年末にも、「富国生命はAI(人工知能)を使った業務の改善で、医療保険などの給付金を査定する部署の人員を3割近く削減します」とのニュースが流れたことに象徴されるように、この流れは今後さらに加速するでしょう。
少し考えてみても、自動運転は実現の目処が立っており、その場合、バス、タクシーを始めとする運転手の類いは全て失われます。小売店のレジや清掃関係も間もなく自動化されるでしょう。受付やテレアポインターの関係もかなりの部分がAI化されます。
言語関係ですら、翻訳や通訳の仕事は自動化されます。20年以内には分かりませんが、教職関係も相応部分がAIに移行するでしょう。報道関係ですら、「客観報道」という点では、権力や権威に影響されず、ネットで一瞬にしてファクトチェックが行えるAIの方が人間よりもはるかに優れており、これも相当部分がAIに移行するものと思われます。
つまり、「人間ができる仕事は何か」を考えるべき時代に来ており、果たして失われる分の仕事が創出されるのだろうか、というのが私の疑問になります。政府や経済界では「労働力不足」などと大騒ぎしていますが、介護や児童・福祉関係以外は、労働力はAIに取って代わる可能性が高いということです。

この場合、問題は労働力不足よりも大量の失業、あるいは「人間がやるべきなのに必要なスキルが無い」者が大量に発生しそうなところにあります。
欧州の場合、失業しても最低限度の生活が保障される「生存権」が認められ、制度化されています。ところが日本の場合、失業保険は失業者の2割強、生活保護も水準以下の生活状況にある者の4人に1人しか受給できていません。また、日本政府は政策的に住宅政策を民間に丸投げして、低所得者用の公的住宅を削減してきたため、例えば東京の都営住宅や市営住宅は倍率20倍を超えるのが常態化しています。
これらはセーフティネットの網目が大きすぎて、こぼれ落ちる者が続出していることを意味します。こういう中で「AI時代」を迎えた場合、生活困難者が溢れかえり、しかもそれを制度的に救済することもできないという状況に陥る可能性が高いわけです。
霞ヶ関官僚や自民党議員が無関心なのは当然としても、野党第一党である民進党もまたエリート化し過ぎており、この問題を自覚していないことは非常に将来を暗いものにしています。

これに関連して、日本が資本主義としても難しくなっているのは、制度的に労働力の移転、移動に厳しく、組織的に責任を不明確にしていることに起因していると考えられます。日本では、「太平洋戦争の開戦を誰が決めたのか」「インパール作戦は誰が決済したのか」「原発再稼働は誰が決めるのが」といった具合に、意思決定の責任の所在を曖昧にする傾向が強く、その結果、大きな失敗があっても誰も責任をとらず、問題を引き起こすシステムが改善されずに放置されるシステムになっています。福島原発事故で、誰も責任が問われず、刑事訴追もなされなかった結果、欧米よりも低い安全基準で再稼働がなされていることが象徴的です。これは、日本が資本主義の競争力が低下しても、自国民の労働賃金を引き下げ、長時間労働を強要することでしか対処できない要因にもつながっています。

もう一つは、解雇規制が厳しすぎる点にあります。日本では法制度上は、会社都合による解雇が許されていますが、裁判の判例もあってほとんど適用できない状況にあります。その結果、古い会社は収益の悪い部門、部署を潰すことができないまま、大量の人員を抱え、逆に新たなビジネスを開拓しようとする会社は人集めに苦労するという状況になっています。これは、実は日本人がずっと馬鹿にしてきたソ連型社会主義と全く同じ状況なのです。不採算部門を解体し、会社を潰すことで、余剰人員をより収益の高い部門や、新たな需要を満たす新会社に回すことで、資本主義は新陳代謝を図っていくわけですが、日本ではそれが非常に難しく、低収益構造がいつまでも温存される社会構造になっています。この辺は、1980年代の社会主義国とよく似ています。
2000年代以降、政府はずっと「規制緩和」を続けてきましたが、それは正社員を雇わず、低賃金の非正規社員に転化しただけの話で、単純に国民の所得が減り、消費が減退して国内市場を縮小再生産させただけの結果になっています。
他方で、日本は(他の欧米には見られない)企業に巨額の補助金(あるいは税制優遇)を出す国で、それが低収益の企業を温存し、ビジネスを新規開拓する可能性を潰してしまっています。例えば、ソ連末期には国家予算に占める、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%にも達していましたが、これが国家予算を食いつぶすと同時に、不採算な企業を温存させ、市場を縮小再生産させていたことに気づいていたソ連人は殆どいませんでした。ですが、現代の日本人もこれと同じ過ちをしているのです。
この辺については、いずれ稿を改めて考えたいと思いますが、問題意識として読者の皆さんと共有しておきたいということです。

興味深いのは、ソ連では「計画経済の停滞」という困難を「民主化」で乗り越えようとしたのに対し、日本では「自由経済の停滞」を「権威化」で対処しようと試みている点にあります。この視点は、ソ連東欧学を学んだ私ならではのものであり、今年も引き続き読者の皆さんと分かち合えたらと願っております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
posted by ケン at 12:23| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「人間がやるべきなのに必要なスキルが無い」
というのは、もう深刻化しつつあります。
バブル崩壊後の20年、新人を定期採用して鍛えていくシステムを破壊してしまったツケです。
いい年したおっさん(具体的には45歳以下)が、ロクなスキルを持ってない(具体例はわたしとか)。

例えば建築土木の世界でも、これからの需要は新築・新規プロジェクトではなく、改築や改修がメインになる筈ですが、下手くそでも何とかなるようにしてきた新築・新規プロジェクトと違い、だいたいの工事がセミオーダーメイドになる改築・改修はスキルが無いとどうにもなりません。

どうなっちゃうんでしょうねぇ。
Posted by o-tsuka at 2017年01月02日 07:03
会社が必要とするスキルもまた凄いスピードで変化しているので、オンザジョブトレーニングが失われた今、それを大学などで代行してもらおうという昨今の高等教育方針は必ず失敗するでしょう。

人への投資を怠る国は必ず衰退します。ソ連や東欧諸国が意外と早く「復興」したのは高等教育の普及率や水準が高かったからだと見ていますが、さて日本はどうでしょう。
個人負担が多すぎる高等教育は階層化を促進し、公正な競争を失わしめるので、この点でも厳しいかと。

子どもを持つ人は親としても非常に難しいところです。
Posted by ケン at 2017年01月03日 09:56
あけましておめでとうございます。
悲劇なのか喜劇なのか、業務の自動化AI化は、規制改革が進まないおかげで?以外に雇用の削減をもたらさないのが日本の現状かと。
例えば自動運転中の車両が起こした事故の責任はどうなるのかとかですね。
ベーシックインカム論者なので、生活の最低保障はしつつ規制は緩和しなけりゃとは思っていますが、そのバランスが悪すぎるのが日本の実情ですね。
ところでまた暇があれば芝居に行きましょう。
今度はガラッと変わってコメディとかいかがですか?
Posted by ケンケン at 2017年01月06日 14:41
AI化は世界的潮流なので、日本だけ乗り遅れれば、それだけ後れをとるだけなので、別の問題が生じるでしょうね。
自動運転については、むしろ人間の運転を基本的に禁止して全自動化することで事故を極小化できるだけに、その方向で進んでいくのでは無いかと思われます。
いずれにせよ、最低保障が色々不十分な日本は、自動化や高度化に対して非常に脆弱であろうと考えられます。

コメディもいいですね。何かお勧めがあったら教えてください。
Posted by ケン at 2017年01月09日 13:00
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