2017年03月10日

いざ!1億総スポーツ社会

【「1億総スポーツ社会を実現」 基本計画を答申】
 スポーツ庁長官の諮問機関、スポーツ審議会は1日、2017年度から5カ年の施策の指針を示す「第2期スポーツ基本計画」の内容を鈴木大地長官に答申した。20年東京五輪・パラリンピック開催を契機に、スポーツ参画人口の拡大による「1億総スポーツ社会」の実現を掲げ、施策の数値目標を現行計画の8から20に増やした。新計画ではスポーツによって「人生が変わる」「社会を変える」「世界とつながる」「未来を創る」の4つを基本方針に、医療費抑制や地方創生など国の課題解決に取り組む姿勢を示した。施策の数値目標としては、▽障害者のスポーツ実施率(週1回以上)を現状の2倍の40%にする▽スポーツが「嫌い」「やや嫌い」の中学生を半減させ8%にする▽国内スポーツ市場の規模を20年までに10兆円、25年までに15兆円にする――などを追加した。五輪とパラリンピックでの過去最多の金メダル獲得に向け、支援も充実させる。今月下旬にも松野博一文部科学相が最終決定する。鈴木長官は「非常に重要な5年間になる。教育としてのスポーツだけでなく、楽しさを伝えることに注力したい」と語った。
(3月1日、日本経済新聞)

東京五輪と合わせて、巨大な「東京スポーツ宮殿」が建てば、ナチ化完成。まぁギガントマニアに成りきれないところが日本人の弱いところかもしれないが、奈良大仏や戦艦大和の前例もあるからなぁ。

ナチに限らず全体主義国家はほぼ例外なくスポーツが大好きで、五輪のメダルの数を競う傾向が強い。これは、スポーツが、国家と国民を結ぶ紐帯としての機能として高く評価されているためだ。ソ連でもナチス・ドイツでも、国が各種スポーツ団体を主宰し、国民を動員、統合の手段としてきた。
同時にスポーツは容易に軍事に転用することができる。ドイツのグライダー協会が新設空軍の人材供給源になったことは良く知られている。

五輪で獲得メダル数を競うのは、国家威信に固執する権威主義精神の発露であり、国を挙げてメダル数を騒ぎ立てる日本は、表面上は民主主義を奉じているが、潜在的には権威主義に親和的で、自民党一党優位体制の根幹をなしている。

政府・自民党がこうした政策を打ち出すのは、根源的には森氏に象徴されるように、自民党の利権がスポーツ団体に集中しているためだが、背景的には企業福祉国家の瓦解に伴って国民統合力が低下する中で、国民統合を下支えする装置が求められていることがある。また、国民の不満を逸らす「サーカス」として東京五輪が準備されているが、1936年のベルリン・オリンピック同様の国威発揚の機会としても考えられている。

だが、現実には五輪を開催するために限られた予算を投じるため、社会保障を切り下げるほかなくなっている。また、スポーツに国民を動員しようとしても、高齢者ばかりで1億人をスポーツに参画させようとすれば、60代まで動員する必要があり、とても現実的とは言えない。東京五輪も、もともと4割以下しか賛同者がいなかったところを、必死に情報操作して6割まで水増しして誘致を果たしているだけに、伯林五輪のような熱狂を期待するのは難しいだろう。まして、近隣諸国がボイコットでもすれば、「斜陽国での五輪開催」としてモスクワ五輪を彷彿させる事態になりかねない。
いずれにせよ、自民党員や官僚が期待するような結果にはならないとは思うものの、今後さらに権威主義、全体主義にシフトしてゆくのかと思うと、憂鬱にならざるを得ない。
posted by ケン at 12:02| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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