2017年03月27日

忖度と斟酌の違いを考える

森友疑獄に絡んで「忖度と斟酌は何が違うのか」という質問を受けたので考えてみたい。まず辞書的に言うならば、忖度は「他人の気持ちを推し量る」で、斟酌は「相手の事情を考慮に入れる」になる。今少し踏み込むと、忖度は「明確な要求や主張があったわけではないが、特定の誰かの気持ちや希望を推量する」であり、斟酌は「要求や主張の有無に関係なく、何らかの行動を起こす上で、特定の誰かの希望や気持ちを考慮する」という感じだろうか。
用例を見てみよう。まず忖度から。
先生の博士問題のごときも、これを「奇を衒う」として非難するのは、あまりに自己の卑しい心事をもって他を忖度し過ぎると思う。先生は博士制度が世間的にもまた学界のためにも非常に多くの弊害を伴なう事実に対して怒りを感じた。
和辻哲郎「夏目先生の記憶」

山へ遊行するにも此かくの如き有様であるから、登山になれた我々の感情によつて、祖先達の山の感情を忖度することはできない。
坂口安吾「日本の山と文学」

一体防衛庁の予算というのも少しでたらめですね。債務負担行為が非常に多くなったり、繰り越し明許に全部使ってみたりして、それは、実につかまえにくいアメリカの気持ちを忖度して、その上に立った予算だからなんです。
1963.12.4 衆議院予算委員会 淡谷悠蔵議員(日本社会党、のり子の叔父)の質問

次に斟酌。

私は、年少の友に対して、年齢の事などちっとも斟酌せずに交際して来た。年少の故に、その友人をいたわるとか、可愛がるとかいう事は私には出来なかった。
太宰治「散華」

なおこの土地に住んでいる人の中にも、永く住んでいる人、きわめて短い人、勤勉であった人、勤勉であることのできなかった人等の差別があるわけですが、それらを多少斟酌しんしゃくして、この際私からお礼をするつもりでいます。
有島武郎「小作人への告別」

在監者には、朝、昼、夕三回とも、米麦をたしか四・六の割合で、一回ごとに八百カロリー、計二千四百カロリーですから、国民の最低のカロリーはまあ保有しておると思うのです。ところがこれに関連して、三十四条を見ますと、「在監者ニハ具体質、健康、年齢、作業等ヲ斟酌シテ必要ナル糧食及ヒ飲料ヲ給ス」こういうふうに明記してあるのですが、実際こういうふうに、体質とか、健康状態等々によって斟酌して、量を斟酌をして、そういう配慮を実際なされておるのですか。
1960.2.18 参議院内閣委員会 伊藤顕道議員(日本社会党)の質問

学術研究であれば、膨大な使用例を精査する必要があるが、そこはブログという媒体であることを斟酌していただきたい。
つまり、忖度も斟酌も、「他者の背景、事情、気持ちを考慮する、そして可能であれば行動に反映させる」という意味があるのだが、斟酌の場合は背景事情や気持ちが明示されていることが多いのに対し、忖度は明示されていない背景事情や気持ちを推量することに重点が置かれている。
また、文学表現の場合、忖度は必ずしも行動には結びつかず、単に推量に止まることもあり得るが、政治上で使用する場合は推量と行動が直結しているケースが多いようだ。推量するだけでは、政治上の要請に応じられないからだろう。

森友疑獄に際して、斟酌では無く忖度が使用されるのは、便宜供与を求める森友学園や、仲介者となったであろう総理夫人などが具体的な要求をせず、「願望」や「問い合わせ」を行政側に伝え、行政側は慣例に従って政治的要求に従って政治的配慮から行政の裁量権を行使したことに基づいている。

蛇足になるが、忖度は日本の伝統芸ではない。例えば、スターリン体制下の大粛清などは「忖度」が超大規模で行われた結果起きた大惨事だった。そもそも発端となるキーロフ暗殺からして、スターリンの命令では無く、スターリンの感情を「忖度」した治安機関などが勝手に実行した可能性が高い。そして、その後起きた大量粛清も、一々スターリンが具体的に指示したわけではなく、スターリンの恐怖、願望、妄想を忖度した治安当局(エジョフあるいはベリヤ)が粛清リストをつくり、実行していったのである。現代ロシアで起こっている反体制派などに対する暗殺も、プーチン大統領らの意向を忖度して行われている可能性が高い。スターリンにしても、プーチン氏にしても、容易に自らの意思を明らかにしない人物なのだ。但し、チトー暗殺を始め、明確に指示を出した例も散見される。
例えば、スターリンが「フルシチョフ同志の御母堂は確かポーランド人だったな」と言っただけで粛清対象になりかねなかったので、フルシチョフは顔を真っ赤にして全身汗だらけになって全力で否定しなければならなかった。

日本に戻せば、今国会で審議される共謀罪の恐ろしいところは、権力者の意向を忖度した警察が、明確な犯罪容疑や捜査目的も無く、あらゆる市民を監視下、捜査対象にすることを可能にするシステムであることにある。
もちろん、現在でも大手メディアを見れば一目瞭然で、官邸が具体的な情報統制を行わずとも、メディア側が勝手に忖度して政権に不利な情報は隠蔽する態勢になっているので、せいぜいのところ「ファッショにまた一歩」でしかないのだが。
posted by ケン at 12:09| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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