2017年04月04日

最高裁のくせに穏当だ?

【GPS捜査 令状なし違法 異例の立法措置言及 最高裁大法廷、初判断】
 裁判所の令状なしに捜査対象者の車両に衛星利用測位システム(GPS)の発信器を取り付けた捜査の違法性が争われた連続窃盗事件の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は15日、「GPS捜査は強制捜査に当たる」との初判断を示し、令状なしに行われた捜査を違法と結論づけた。また、現行法上の令状で対応することには「疑義がある」として、GPS捜査のために「立法的な措置が講じられることが望ましい」と指摘した。
 15裁判官全員一致の結論。刑事裁判で最高裁が立法措置に言及するのは極めて異例。警察庁はこれまでGPS捜査は令状の不要な任意捜査との立場だったが、同日、全国の警察に対しGPS捜査を控えるよう通達を出した。
 大法廷は判決で「GPS捜査は行動を継続的、網羅的に把握するもので、個人のプライバシーを侵害しうる」と指摘。憲法が保障する「私的領域に侵入されることのない権利」を侵す強制捜査に当たり、「令状がなければ実施できない」と判断した。また、「公正担保の手段が確保されていない」などとして、現行法の定める令状で実施することに疑問を呈した。
 違法性を争っていたのは、平成24〜25年、店舗荒らしなどを繰り返したとして窃盗罪などに問われた建築業、岩切勝志被告(45)。捜査員らは令状を取らずに車両計19台に発信器を取り付けた。
 上告審で弁護側は「位置情報はプライバシーの中でも保護の必要性が高く、強制捜査に当たる」と主張。検察側は「プライバシー侵害の程度は小さく、任意捜査。現行法の令状でも実施できる」としていた。被告は犯行の事実関係は認めており、1、2審の懲役5年6月という結論は最高裁も支持した。
(3月16日、産経新聞)

権力(行政)に限りなく従属し、「国家の三位一体(行政、立法、司法)」を最重視する最高裁判所が、珍しく人権に配慮した判決を下している。
この問題はちょうど一年前に扱っているので、一部再掲しておきたい。
基本的には、技術革新に対して法整備が追いつかず、技術運用が先行してしまって人権侵害の疑義が生じている、という状態にある。現行憲法には、プライバシー権の記載こそ無いものの、13条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が明記され、移動の自由もある。だがこれらは、「公共の福祉に反しない限り」という前提があるため、刑事捜査によるプライバシーの侵害は一定程度認められている。それだけに、従来型の追跡調査は合法だが、GPSは著しくプライバシーを侵害するから令状が不可欠という、地裁の判断は、人権原理上は妥当だが、現行法の中ではやや無理があったと思われる。

とはいえ、位置情報は個人の重大なプライバシーであり、治安当局が無制限に把握できるとなれば、それはもはや旧東側諸国の「監視国家」と何ら変わらないものになる。現状は、技術的に可能で、実際に利用が進んでいるが、一切の法規制や制度整備がなされていない状態にあるだけに、「警察の暴走」が危惧されるのもまた当然なのだ。日本の警察がその気になれば、携帯電話を始め、市内の防犯カメラやNシステムを利用して、全市民の位置情報を把握するだけでなく、あらゆる通話やメールを傍受することも可能だからだ。そして、それは一部実現されている。

まずは最低限、裁判所の令状を取り、一定の条件下で事後にでも令状開示を可能にする法規制が必要だろう。だが、日本の裁判所は99%以上の確率で捜査令状を出している現状を考えると、果たして一定の歯止め・人権擁護になるのか疑問はぬぐえない。とはいえ、警察の独自判断で、無制限にGPS捜査が許されてしまっている現状は、早急に改善する必要があろう。
GPS捜査は法整備を

私のスタンスに変わりは無い。技術が進化する一方で、警察の人的資源には限りがあり、GPS捜査そのものは肯定すべきだと考える。先の記事でも書いているように、ヒューマン刑事による尾行や張り込みは令状無しで合法なのに、同じ用途で行われる機械を駆使しての尾行、位置確認は非合法というのは、公平性の点でも時代性の点でもそぐわない。考え方によっては、常に刑事に尾行されている状態より、GPSで単に位置情報が知られている方が、警察にとっても容疑者にとっても「マシ」かもしれないのだ。
ただ、現状のように法律を始めとするルールが存在しない状態で、GPS捜査を全て合法化してしまうと、警察にノーチェックの「使い放題」を許すことになり、理論上は全市民の位置情報を常時入手できることになってしまう。かつてなら人員上の制限で、自然と捜査範囲が制限されていたが、技術進化によって、位置情報取得も盗聴も個体識別も無制限に可能になっているだけに、今まで以上に人権とプライバシーに配慮する仕組みをつくらないと、容易に監視社会化してしまうだろう。
posted by ケン at 12:27| Comment(4) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 裁判所は警察から令状を要求されればほぼ100%発行するので、最高裁の判決は警察の行動を抑止することにはならないようです。要は「俺たち(裁判所)を無視して勝手にやってんじゃねえ。こっちの顔もたてろ」という判決だったようです。ただ、令状が出るにしても、裁判所にいちいち請求するのは警察にしては面倒でしょうね。
 コナン・ドイルのシャーロックホームズシリーズの「ギリシャ語通訳」で捜査令状がなかなか出なくてやきもきするくだりがあったと記憶しています。その程度くらいには警察の行動を抑止するでしょうが。
Posted by hanamaru at 2017年04月04日 12:41
有罪率99%、令状却下率1%、保釈率15〜25%というのが日本の現状なので、大した効果は見込めないかもしれませんが、それでも「無いよりはマシ」で、「裁判所に請求する手間」だけでも最低限の抑止にはなるだろうと思う次第です。それに、なんと言っても対テロ捜査に厳しい欧米に比べれば、日本の通信傍受やGPS捜査は件数そのものが非常に少ないようなので、今のところはこれで妥協せざるを得ないでしょう。
Posted by ケン at 2017年04月04日 13:01
連邦最高裁判決も出てますし、監視カメラの判例からしても驚くほどではないと思います。
それはそれとして、監視社会、安全と自由のバランスは哲学的な問題ですね。

パラノイアの一種に集団ストーカー妄想がありますが、人間の精神には監視されることの恐怖があるように思います。
Posted by taka at 2017年04月05日 12:34
日本はおろか、ドイツでもイギリスでも「街頭に監視カメラつけてくれ」という方が多数派なんですよね。本当にやっかいな問題です。

もともと中世型の相互監視社会がいやで近代化が進んだところもありまして、地方から都会に出てくる人が多かったのも同じ理由によるところが大きかったはずです。ところが、結局のところ「誰かに見ていてもらわないと不安」という精神が表に出てきてしまっているという皮肉。監視は、恐怖と同時に安心(よく言えば見守り)でもあるところが、厄介なのです。
Posted by ケン at 2017年04月05日 12:54
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