2017年04月18日

英語主兵論を放棄せよ!

【中3と高3の英語力、政府目標達成は僅か36%】
 文部科学省は5日、全国の公立の中高生らを対象にした2016年度「英語教育実施状況調査」の結果を公表した。政府が17年度までに目指す英語力のレベルに達した中学3年生は全体の36・1%(前年度比0・5ポイント減)、高校3年生は36・4%(同2・1ポイント増)だった。政府目標は50%で、達成は厳しい状況だ。教員の英語力についても調査し、政府目標に達した英語教員は、中学校が32・0%(同1・8ポイント増)、高校62・2%(同4・9ポイント増)にとどまった。政府は、グローバル化に対応するため英語教育の充実を掲げ、13年6月の閣議決定で、中学卒業段階で「実用英語技能検定(英検)3級程度」以上、高校卒業段階で「英検準2級程度」以上の英語力を持つ生徒の割合を17年度までに50%にする目標を掲げた。
(4月5日、読売新聞)

相変わらずバカげた話をしている。何度も述べていることだが、10年以内にも機械翻訳が実用水準に至るとされている中で、いつまでも英語に重点を置いて、他教科を犠牲にしてでも強化しようとしている。これは、旧海軍が自らハワイとマレー沖で航空時代の到来を証明しながら、自らは1944年に至るまで戦艦主兵論を破棄できなかった故事とよく似ている。

近い将来、実用外国語の大半は機械翻訳に置き換えられると見られるが、これは必ずしも外国語教育を不要にするわけではない。機械翻訳は技術を代替するだけで、コミュニケーションそのものまで代替してくれるわけではない。仮に高精度の自動翻訳が完成、駆使したところで、言語が置き換えられるだけの話で、話者の認識や社会的背景は母語に依存したままなのだ。歴史、社会的習慣、文化、文学などの共通認識を持たないまま、言語だけを置き換えてみたところで、コミュニケーションとしては十分には成立し得ないし、深い共通理解は得られないだろう。つまり、言語が機械で代替されるだけに、言語以外の要素が重要となる。
結果、これからの外国語教育は、現在取り沙汰されている会話能力ではなく、教養としての外国語、文化こそが求められると考えられる。

コミュニケーションは意味が通じれば良いというものではない。旅行会話や日常生活に必要な最低限度の会話は、それこそ現状の機械翻訳で十分なのだ。会話や文章の表象には現れない隠された意味や意図を読み取ると同時に、こちら側も明言しない(言質を取られない)形で意思を伝えるテクニックこそが求められ、それは機械翻訳では再現できない(少なくとも当面は)。
また、言語以外の部分でコミュニケーションを深化させなければ、関係性も深化しない。例えば、ある一つの営業活動であれば、機械翻訳のみで成立させられるだろうが、そこからさらなる契約を結んだり、新たなプロジェクトに進めるためには、表象的なコミュニケーションだけでは難しいものがある。
具体的には、どれだけ中国語がペラペラでも、孔孟や老子、あるいは史記や水滸伝を読んだことが無ければ、エリート層の中国人と深い関係になるのは難しいだろう。ウオッカが飲めなければロシア人と深い仲になるのは難しいし、プーシキンの詩をそらんじることが出来れば敬意をもって遇されるに違いない。
ところが、日本の現状は、漢文を必修から外して英会話の授業を増やしている。大学では第二外国語の廃止が進んでいる始末だ。

実用英語論を放置するとしても、文科省の目標は現状を完全に無視している。公立中高の教育水準が低いのは、単純に授業時間が足りないのと、教員の質が低下しているためだ。
授業時間が足りないのは、必要性の低い行事・イベントが多すぎることと、課外活動が多すぎるためであり、入学式と卒業式以外の学校行事を全て廃止、部活動も全廃して授業に充てれば解決するだろう。
教員の質が低下しているのは、労働環境が恐ろしく悪化しているためで、例えばOECDの調査で、教員の平均週勤務時間53.9時間のうち部活動関連が7.7時間を占めている。ちなみにOECD平均は38.3時間に対して2.1時間に過ぎず、日本の教員の労働地獄ぶりが伺われる。東京などの大都市部では、教員採用の競争率は3倍を切る有様であり、英語を自在に使えるような高度人材が中等教育の教員を目指すような環境には全くない。
共産党系の全教のデータなので注意が必要だが、小中高校などの教員の残業時間は月平均約95時間半で、10年前の調査より約10時間増えているという。うち、学校での残業が約73時間で、自宅で仕事をする時間が約22時間半となっている。小中別では、小学校の残業時間が月94時間21分、部活動が増える中学は114時間25分。月100時間以上の教員の割合は小学校34%、中学52%だった。
(教員給与削減という愚策) 

文科省は、教員研修や外部人材の活用を考えているようだが、何の解決にもならないだろう。この凄まじいまでの無策、無能は一体どこから来るのだろうか。
posted by ケン at 12:24| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
『週刊東洋経済』2017年4月8日号で、筑波大助教の落合陽一氏は「英語力はいらなくなる。東京オリンピックまでにはグーグル翻訳で大抵の問題は解決する。ヘッドマウントディスプレイさえあれば、互いの言語が翻訳表示される。自分が何が出来る人材なのかということを考えたほうが良い」、駒澤大学専任講師の井上智洋氏は「役に立つものはすぐに陳腐化する。自動翻訳任せだと会話のテンポが遅れるので、得意な人は自分で話したほうがいいが、機械翻訳に勝てない人は無理する必要はない。やりたいことを追求してクリエイティブな人材を育てたほうが良い」といった趣旨のことを述べられています。両氏の予測の方が的を射ているような気がします。文科省の英語偏重の方針は時代に逆行するもので壮大な資源の無駄遣いと役に立たない知識を身に着けてつぶしの効かない若者の大量発生を引き起こすでしょう。
Posted by hanamaru at 2017年04月21日 13:17
技術進化の著しい今日、学校で学んだ技術が社会に出て役に立つ機会はまれで、社会に出てから必要な技術を吸収できる、柔軟に対応できる素地こそが必要で、基礎知識・体力こそ十分に学ぶべきなのです。ところが、即戦力を求める財界に押されて、無駄な知識や技術ばかりが詰め込まれているのが現状です。
また、自由な発想や独自に判断できる思考が求められているのに、日本の学校や組織はマニュアル人間しか育てられないので、この点でもとても世界に通用しそうにありません。
Posted by ケン at 2017年04月22日 13:57
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