2017年06月05日

加計疑獄に見る規制緩和問題など

共謀罪や加計疑獄につけて、「野党は審議拒否して欲しい」とのファクスやメールが続々と届いている。これも一種のポピュリズムの表れであろうが、旧式左翼どもの後先考えない浅はかさである。「民主主義の危機」とか言うのはマジで勘弁して欲しい。そのデモクラシーの定義は何よ。

審議拒否は議会戦術の一つだが、「伝家の宝刀」であり、一度鞘から抜いてしまったら戦を終えるまで収められない。にもかかわらず、敵にダメージを与えられる保証はどこにもない。
具体的に想定してみよう。仮に現状で「安倍内閣ケシカラン、審議拒否する」と言った場合、与党側の選択肢は2つある。1つは、「すみませんでした。こちらが悪かったです。できるだけ野党の言うとおりにしますから許してください」と条件付き、または無条件降伏する。2つは、「内閣は誠実に応じているのに、野党は議会での議論を拒否した。これでは国政が全面ストップしてしまう。仕方ないので、与党だけでやらせてもらいます」と完全無視するパターン。

審議拒否や議員総辞職は1つ目のパターンが成立することが前提となり、有り体に言えば、与野党の国対が最初から「話がついている」状態で無いと成立しない。
つまり、現状ではほぼほぼ後者のパターンになる。結果、政権に従属するマスゴミは官邸の意向に従って「野党の横暴」を全面的に報じ、「審議拒否する野党は自らの責任を放棄して国政を停滞させようとしている」なる「印象操作」がなされるだろう(しかも、あながち間違っていない)。そこで、与党は審議を全部スルーして、共謀罪などの悪法の数々を予定を繰り上げて成立させることが可能になる。もちろん森友・加計疑獄の追及も不可能になり、内閣にとっては「ラッキー」くらいの話だ。政府・与党の圧勝に終わり、野党にとってはマイナスしかない。
「国民政府を対手とせず」との声明を出した近衛内閣がどうなったか、日華事変・日中戦争の故事を学ぶべきだ。

さて、加計疑獄を見る視点として「規制緩和」は欠かせない。今回の場合は獣医学部の新設だが、例えば私の家の周りには、徒歩数分のところに少なくとも5軒の動物医院があり、競合している。ところが、全体的にはペット数は微減傾向にあり、特に犬の減り方は顕著だ。酪農家の廃業も急速に進んでいる。
にもかかわらず、地方では獣医師が不足しているという。これは人間の医者も同じ構造にある。地方での開業は様々なリスクがあり、閉鎖的な地域社会に溶け込める保証はどこにもない。ビジネスとしても、地方ではペットを獣医師に診せないケースが非常に多く、酪農・畜産業の衰退もあって、長期的な経営計画が成り立たない。また、個人的にも、獣医師や医師が自分の子を自分と同レベルの大学に入れようとしても、低レベルの学校しか無く、とうてい高度な教育を受けさせられる環境に無い。その結果、たとえ競合が激しくても都市部で開業した方が「まだマシ」であり、「都市か地方か」というのは選択肢として成立していない。

その結果、獣医師会は「医師数は適切」と主張するのに対し、酪農・畜産業者を始めとする地方財界は獣医師増を要望するというギャップが生じている。安倍内閣は自分で規制を掛けながら「岩盤規制の打破」などと言っているが、不必要な規制緩和を行った結果、弁護士、歯医者、タクシーなどがどのような末路を迎えたか、考え直すべきだ。
そして、日本の選挙制度は小選挙区制であるため、地方財界から献金付きで陳情を受ければ、与党だろうが野党だろうが、これを拒否できない。そのため、民進党でもE田前参議やT井議員などを筆頭に複数の議員が、加計学園等から献金(パーティー券の購入を含む)を受けて政府に働きかけ(圧力)を行っていた。
要は、加計学園は「ロビー活動が上手い」というだけなのだが、財界から献金を受けた政治家が、法や行政の逸脱を強いているという腐敗こそが問題なのであり、それは自民党が「より酷い」というだけで、民進党も汚染されているのは間違いない。
魚は頭から腐る。(ロシアのことわざ)

国家というものは、下から上へ向かって腐敗が進むということは絶対にないのです。まず頂上から腐りはじめる。ひとつの例外もありません。(銀英伝・ルビンスキー)

獣医学部の新設は、医師の偏在という問題を解決することなく、闇雲に地方に学部を新設したところで、都市部の医師数が増えて競合が激しくなるだけの話であり、地方での開業が増える保証はどこにもない。

かつては医学部には医局制度があり、医局の教授が圧倒的な権力をもって若い医師を地方に送り込み、地方で任務を無事遂行した医師は出世や開業が保証されるという仕組みだった。ところが、これが様々な理由から「権威主義的」として実質的に廃止され、「個人の自由」に委ねられた結果、誰も地方に行かなくなってしまった。医局制度は確かに権威主義的ではあったが、少なくとも一定の需給調整機能を果たしていた。それを代替させるものを容易せずに廃止してしまった結果が、地方の惨状を招いている側面は否めない。

また、「規制緩和」は緩和する側が圧倒的な権力を有するため、そこに腐敗が集中する。それだけに、意志決定過程を全て明らかにしなければ、腐敗を加速させることになるが、日本の場合、先進国最低水準の情報公開がこれを妨害、自民党の超長期政権が腐敗を加速させるというスパイラルに陥っている。
posted by ケン at 12:47| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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