2017年06月19日

ロシア人の安保観を代弁する・上

どうやら安倍政権は内々に「第五次日露協商」に向けて舵を切っているが、対米従属の外務省や防衛省が激しく抵抗しており、財界の支持も弱く、必ずしも上手く行っていない。そのアメリカでも、親露派のトランプ氏が大統領になったものの、日本の鳩山政権よろしく激しい攻撃にさらされている。その根底にあるのは「ロシア脅威論」であり、その背景には軍産複合体の利益がある。

実際、プーチン大統領下のロシアでクリミアが併合され、ウクライナ内戦が起こり、極めつけは「デンマークに対する核攻撃脅迫」が行われた(ロシア側は否定)。こうした動きに対し、アメリカではオバマ政権のカーター国防長官が「冷戦時代は終わったが、ロシアを牽制するために核兵器が必要だ」と述べ(2016.9.28)、英メイ政権のファロン国防相は「ロシアに核の先制使用も辞さず」と宣言(2017.4)した。事実、ルーマニアではNATOのミサイル防衛システムが稼働を開始し、ポーランドでもミサイル基地の建設が進められている。これに対し、ロシアは飛び地であるカリーニングラードに長距離ミサイルの配備を進めている。
日本ではあまり報道されていないが、米欧とロシアの緊張度は冷戦以後、最高度に高まっている。米国あるいはNATOの脅威度認定は、1ロシア、2イスラム国、3イランの順で、中国は5位以下でしかない。そうした中で、ドイツのメルケル首相が緊張緩和を志向、アメリカでも対露対話路線のトランプ氏が当選、日本でも安倍政権が協調路線に舵を切っている。

日本の一般的な報道や解説だけ見ていると、「ロシア悪玉論」に誘導される傾向が強い。これは、日本の海外情勢報道や分析が、99%米英の情報源に依拠しているからだ。ロシアに滞在する日本人記者ですら現地の英文報道に基礎を置いているのだから話にならない。
日本の外交官や情報屋は口を揃えて「ロシアの報道は信用に値しない」と言うが、対ソ諜報の基本は「プラウダの裏を読む」ことにあるのはソ連学徒にとって基本中の基本であり、これも話にならない。

いずれにせよ、日本で流布されている視点はあくまでも「軍事的脅威を受ける側」のものであり、「ロシアの脅威」を前提に全てが論じられている。だが、ロシア側の視点に立ってみると、全く異なる風景が見えてくる。これは本ブログの主旨の1つで、「相手側の視点から見て考える」というもの。この視点からロシア人の安保観を大きく見てみたい。
最も重要なのは、ロシア以外の国では圧倒的に「侵略者としてのロシア」としてのイメージが確立しているのに対し、ロシア人は「常に外国の侵略にさらされてきた。そして今もさらされている」という一種の被害者意識を抱えている。これは、ロシア史を学んだものにとっては「常識」だが、欧米視点で世界史を学んだ者からすると「ロシア人の被害妄想」としか考えられない。ここから見てみよう。

近代以降、ロシアは東進政策と南下政策を推し進めたが、同時に欧州等からの侵略にさらされ続けている。まず19世紀初頭、フランス革命以降、ロシアは数次にわたってフランスと戦争を行っていたが、1806年のイエナ会戦でナポレオン軍に敗れ、同07年にティルジット条約を締結して和睦する。その条文には大陸封鎖令への参加が含まれていたが、イギリスに農産物を輸出して工業製品を輸入していたロシア経済はあっという間に行き詰まり、1810年には条約を反故にして対英貿易を再開する。この「大陸封鎖令違反」を理由に開戦したのが、1812年の「ロシア戦役」だった。確かに条約反故の非はロシアにあるのだが、「欧州全国が参加する全面侵略」を受けることは、ロシア人にとって全く想定外のことだった。同戦役によるロシア側の死者は約21万人。

クリミア戦争と露土戦争は、ロシア帝国の拡張主義に依るところが大きかったが、それでも汎スラヴ主義と「イスラムからの解放」という大義名分があった。クリミア戦争は、本来ロシアとオスマントルコ間の紛争だったが、英仏が軍事介入したことで敗北を喫した。もともとロシアは、英仏の外交的仲介を期待していただけに、「トルコ側で参戦」に大きなショックを受けた。

日本人的に全く理解できないのは日露戦争かもしれない。詳細は当該記事を読んで欲しいが、日本では日露戦争開戦は、司馬史観の流布により、「ロシアの伝統的南下政策に対して他に手段無く立ち上がった」なるイメージが定着している。だが近年、特にロシア側の資料が大量に公開されたことで、全く異なる実像が明らかにされた。
もともと日露交渉は、朝鮮支配をめぐる影響力の認定が最大の問題で、最終的にロシアは完全に日本側に譲歩、日本による単独支配を認めた。にもかかわらず、日本側は日英同盟の成立を受けて、要求水準を上げ、当初は交渉対象に無かった南満州の利権やロシア軍の撤退を要求、ロシア側がこれを拒否すると宣戦布告して奇襲をかけた。
ロシア側は「朝鮮問題は解決済み」「満州問題は議題外」と考えていたため、日本が宣戦布告して全面戦争に踏み切るなど全く想定外のことだった。
つまり、日本側とは全く逆で、ロシア人的には「日本人に難癖付けられた挙げ句、いきなり奇襲されて侵略された」というのが日露戦争のイメージなのだ。

・日露開戦の代償−開戦経緯を再検証する

そして第一次世界大戦。ロシアは汎スラヴ主義に従ってバルカン問題に介入、セルビア民族主義を支援していた。これがそもそもの問題の発端ではあったのだが、オーストリア二重帝国とセルビアの緊張が高まり、サラエボ事件で頂点に達すると、オーストリアはセルビアに最後通牒を送付、セルビアは国交断絶で応じたため、宣戦布告した。ロシアは、1909年にオーストリアのボスニア併合を認める代わりにセルビアに独立保証をしていたことから、軍の総動員令を命じた。これに対し、今度はドイツが三国同盟(独墺伊)に基づいてロシアに対して宣戦布告を行い(次いでフランスにも)、第一次世界大戦が勃発した。確かに当時の感覚としては「総動員令=最後通牒」であり、先制を取るために宣戦布告するのはイレギュラーな話ではないのだが、バルカン問題で仲裁に立つべきドイツが真っ先に宣戦布告してきたのは、ロシア人的には「おいこら、ちょっと待てよ!」という気分だった。
確かに、オーストリアは「三国同盟があるからロシアは参戦しない」と楽観視して限定戦争に邁進、ドイツも同様に考えていたが、ロシアは「露仏同盟があるからドイツは参戦しない」と高をくくっていたので、全員の誤算が原因だった。とはいえ、ロシア人の主観的には、バルカン紛争にドイツが介入して一方的に宣戦布告されたという思いを拭いきれなかった。ロシア人の死者は200万人に上った。
以下続く
posted by ケン at 12:14| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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