2017年06月21日

ロシア人の安保観を代弁する・下

前回の続き)
具体的な話をすると、1997年、上記の口頭了解が破棄されて、ポーランド、ハンガリー、チェコの3国がNATO加盟の交渉に入った。当時ロシアは経済危機の真っ只中にあり、これに反対できるほどの力はなかった。そのため、ロシア側の安全保障の観点から「NATO−ロシア協定」が締結され、NATO圏の東部境界地帯に対する恒常的かつ実効的な戦闘部隊の駐留を放棄するというものだった。ところが、2008年に米国はポーランドにミサイル防衛施設の設置を開始し、同協定を一方的に反故にした。ウクライナ危機でもポーランドに対するNATO軍の常時駐留が検討され始めており、ロシア側を刺激している。ことほどさように、西側諸国の協定違反については殆ど報道されないのに、ロシアの協定違反は10倍過剰に報道されている。

日本人の大半は忘れ去っているが、そもそもNATOは「反共産主義」「反ロシア」を理念として立ち上げられた軍事同盟であり、最終的・理念的には「共産主義・ロシアの抹消」を目指しており、ロシアにとっては現代日本にとっての中国よりもはるかに深刻な脅威なのだ(少なくとも中国は日本の撲滅を狙ってはいない)。そのNATOの先兵がすでにエストニアに達してサンクトペテルブルクを脅かしており、万が一ウクライナのNATO加盟が実現すれば、NATO軍がハリコフやドネツクにまで配備されることになる。ロシア人の気持ちを日本人に例えれば、沖縄や九州が独立して人民解放軍が小倉や大分に配備されるような状態を想像してもらいたい。

ソ連がアフガニスタンへの軍事介入を決めた理由の1つは、「カブールの共産党政権が倒壊し、米国の影響の下でイスラム共和国が成立、同国に巡航ミサイルが配備され、米国の基地がつくられた場合、ソ連の「弱い脇腹」に匕首を突きつけられる格好となる」というものだった(国防省の見解)。
これと全く同じことは、クリミア併合でも言われた。それは、「ウクライナがNATOに加盟して、セバストポリに核ミサイル搭載艦が配備された場合、ロシアには対処する術が無い」というものだった。NATOがロシアを打倒するために存在する軍事同盟である以上、ロシアの危惧は当然のものなのだ。
同じく、ロシアがウクライナ内戦で東部分離派を支援するのも、ウクライナがNATOに加盟して対露侵略の先兵となる恐れが現実化する中で、少しでも緩衝地帯を設けておきたいという「次善の策」なのであって、本質的にはウクライナに親露政権が樹立して、NATO不加盟を宣言すればノープロブレムな話なのだ。

「ベルリンの壁」崩壊以降、様々な約束を反故にして、かつ反露政策を剥き出しにして対露包囲網を狭めてきた西側諸国に対し、ロシア・エリートは非常に強い不信感を持っている。この状況を招いたのは、相当部分がゴルバチョフの外交的失敗に起因すると考えられるが、それ故にゴ氏は西側で評価が高く、ロシアで最低の評価しか与えられていない。国家反逆罪で裁判にかけられないのはプーチン氏らの温情と言える。同時に、「ヴェルサイユのくびき」を脱したナチス・ドイツがソ連を崩壊寸前にまで追い込み、今度は「ドイツ併合」をなした新生ドイツが「欧州統合」を隠れ蓑に全欧州を支配下に置いて「欧州の支配者」となり、NATOを率いてロシアに圧力を加えている。

日本を含む西側諸国では、「ロシアの軍事的脅威」ばかりが強調される。だが、現実には2016年の国防費を見た場合、アメリカが6112億ドル、英独仏伊(EU主要国)で1730億ドルに対し、ロシアは692億ドルでしかない。つまり、軍事費でNATO主要国に対してわずか8.8%の規模なのだ。アメリカを除くEU諸国に対しても30%程度を維持しているに過ぎない。
GDPで見た場合、それはさらに悲劇的となる。2016年の名目GDPを見た場合、EUは16兆4080億ドル、アメリカが18兆5690億ドルで、合計すると約35兆ドルにもなる。これに対し、ロシアは1兆2800億ドルと米欧の4%に満たなず、EU単独に対しても8%に満たない。
現代の軍事力は完全に工業力と技術力に依拠しているだけに、生産力と軍事費の差はそのまま実力差となる。つまり、現代ロシアは「ロシア内戦(革命干渉戦争)」以降で最大の危機に瀕しており、今の状況に比べれば、ナチス・ドイツと対峙したスターリン期のソ連など全く「カワイイもの」でしかない。例えば、1939年のGNPを見た場合、ドイツの2411億ドルに対し、ソ連は4303億ドルであり、本来的には「負けるはずがない」ものだったからだ。
つまり、表象的な軍事力が過剰に喧伝されているだけで、ロシアには全くNATOと戦争できる体力が無い。逆に戦力格差(戦争遂行能力)が大きすぎるため、ロシアは核戦略に傾斜せざるを得ない状況に追い込まれている。

結果、工業・経済力で20倍もの優位に立つNATOがロシアに対する敵愾心を丸出しにして、対露包囲網を構築、圧力をかけてロシアを滅ぼそうとしている、というのがロシア・エリートの抱く一般的な安全保障観になっている。故に、ロシアとしては中国の拡張主義を脅威に覚えつつも、「背に腹はかえられない」ことから「中露同盟」を結び、さらに「日露協商」を目指すのは、欧州方面の圧力が極大化する中で「唯一の選択肢」になっている。
同時に、NATOがロシアを圧迫すればするほど、ロシアは国内の統制を強化せざるを得なくなっている。例えば、軍事費の対GDP比はEU平均で1%強、アメリカでも3%強であるところ、ロシアは5%以上も拠出している。結果、国内市場や社会保障が圧迫され、国民不満が上昇、これを抑えるために社会統制を強化するわけだが、欧米諸国はそれを「人権侵害」と称して非難し、さらに軍事あるいは外交的圧力を強めるという構図になっている。
この構図は、1920年代のソ連とよく似ている。西側諸国による軍事介入が成立したばかりのソ連を荒廃させ、国内統制を強化して戦時体制の長期化を余儀なくされたにもかかわらず、欧米はそれを理由に外交関係の樹立を拒否して経済封鎖を進めた。レーニンからスターリンに至る過酷な独裁を招いたのは、欧米による軍事介入と経済封鎖だったという側面があること、同時に日欧が意味不明な理由からロシアに戦争を仕掛けて侵略し続けてきた歴史を理解していないと、ロシア・エリートの考え方は決して理解できない。

日本の対ソ・対露分析の大半が的外れのものである理由は、「日本の国益」「日本人の視点」から見ている点にある。その最たるものが、太平洋戦争末期にソ連による満州侵攻の予兆を否定し、最後までソ連に「連合国との仲介」を期待した戦争指導部だった。その本質は今日でも全く変わらない。
世間一般で読まれているロシア分析も同様で、その殆どがビジネスに基づいた「読者・視聴者が望むネタ」でしかなく、つまり「日本スゲェ」と裏返しである「ロシア悪玉論」が幅をきかせることになる。逆に、ロシアの「西側にとって不都合な真実」を話す者は、商業ベースに乗らないため、アカデミーの世界で肩をすぼめて生きるほか無い。学術書や論文を除いて、商業ベースで売られているロシア分析の本や雑誌は、かなり用心して読まないと騙されることになるだろう。私が「売文屋」にならない理由もそこにある。同時に軍事あるいはプーチン氏などの個人に特化したロシア分析は、「木を見て森を見ず」になりがちなので、読む際には注意が必要だろう。
posted by ケン at 00:00| Comment(4) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大変勉強になりました、ありがとうございました。
Posted by yb-tommy at 2017年06月21日 10:04
日本では「相手の目線で考える」という訓練がなされていないので、参考にしてもらえれば幸いです。
Posted by ケン at 2017年06月22日 12:24
私も大変勉強になりました。何となく知った気でいても、全然分かっていませんでした。

>ロシア人は「常に外国の侵略にさらされてきた。そして今もさらされている」という一種の被害者意識を抱えている。(上)

状況は違うところもありますが、これは中国についてもよく言われることですね。
両国とも、欧米列強のみならずアジアの小国だと思っていた日本にまで痛い目に遭わされたという点も同じですし。

>ロシア人の気持ちを日本人に例えれば、沖縄や九州が独立して人民解放軍が小倉や大分に配備されるような状態を想像してもらいたい。(下)

これは非常に分かりやすい例えですね。
日本人が相手の立場に立って考える訓練をするには、こういう例え話が必要かつ有効なんだと思います。
Posted by am43 at 2017年06月22日 23:02
ありがとうございます。am43さんにそう言ってもらえると自信がつきます。
確かに中国も列強に浸食、相当部分を植民地化された上、東の蛮族に中原の主要部を占拠されたという強烈なトラウマがあります。それを理解しないで、チュウゴクガーと言ってみたところで、という話です。

「香港返還20周年」ですら、彼らからすれば、泥棒が盗品を返すのに条件をつけてきて、それを断れなかったわけで、もの凄い屈辱だったはずですから。
Posted by ケン at 2017年06月24日 07:44
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