2017年07月03日

文明を過信するなかれ

1990年代にロシアやユーゴで生活したことのある者は、例外なく蛮性と不条理の洗礼を浴び、文明と人道の虚飾性を否が応でも認識させられたものだった。一つの秩序が瓦解するとき、人は容易に文明や人道の仮面を脱ぎ捨てて蛮性を剥き出しにして他者に襲いかかる。第二次世界大戦中の東部戦線やユーゴスラヴィア、あるいは中国・満州・太平洋戦線もそうだった。
その私も10年も東京に住んでいると、自分が文明人であるかのような錯覚に陥ってしまうが、現代日本でも政治に関わっていると蛮性と無縁ではいられない。

例えば、20年ほど前、私が初めて選挙の手伝いをしたとき、CB県では保守系候補の集会に出ると、普通に座布団の下に金一封が置かれていた。KG県から来た一回り上の先輩の話では、とある選挙事務所の前を通りかかると、「お兄さん、おにぎり食べてゆきな」と声がかかり、もらって食べてみると握りの中からラップにくるまれたお札が出てきたという。その県の島嶼部では、いまだに選挙になると生きた毒蛇を相手候補の自宅や選挙事務所に投げ込む風習があり、夜通し篝火をたいて候補宅と事務所を死守するという。別のO府から来た先輩の話では、選挙になると学会員が猫の死骸を候補宅に投げ込んできて、対抗して同盟員が豚の頭部を相手事務所の入口に置いてきたという(両当事者は断固否定)。

文明人や人道主義者の視点に囚われすぎると、見えなくなるものが多くなる。確かに文明やヒューマニズムこそが人間を動物と異なる存在にしているわけだが、しょせんは外形的あるいは後天的に備わったものに過ぎず、過信すると本質を見誤る。旧式左翼やリベラル知識人たちが安倍政権を理解できないのも、根源的にはそこに理由がある。かと言って、文明や人道を否定してしまうと、連中と同じになってしまうわけで、その辺のバランスが非常に難しいとは言えるだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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