2017年07月10日

地方選で負けて敗戦責任の何故

【民進、9月にも党人事…野田幹事長の処遇焦点】
 民進党の蓮舫代表は、9月にも党役員人事を行う方針を固めた。東京都議選で存在感を示せず、執行部への不満が高まっており、人事の刷新で党の立て直しを図りたい考えだ。蓮舫氏を支えてきた野田幹事長の処遇が最大の焦点となる。野田氏は9日、愛知県岡崎市で記者団に「都議選で厳しい結果が出たから、まずはきちんとした総括をすることで責任を果たしたい」と述べ、自らの進退については明言を避けた。野田氏はこれまで、自身のグループに所属し、要職経験が少ない蓮舫氏を全面的に支えてきたが、党内からは都議選惨敗の責任を取って、野田氏の交代を求める声が出ている。
(7月10日、読売新聞)

都議選における敗北を受けて、民進党では執行部の責任を問う声が上がり、それに対して蓮舫・野田氏が続投宣言してしまったため、離党者が出ている。
「地方選挙で党中央の責任を問うのはおかしい」「誰がやっても負けていた」「今は党内で争っている場合では無く、蓮舫代表の下で一致団結するべき」などの意見が聞かれた。特に地方の方からすると、屋台骨が揺らぐような大敗であったという認識がなく、野田幹事長が続投宣言したこともこれを後押ししていた。

まず議席数から見てみよう。執行部発表では、今回の都議選は改選前の7議席が5議席になったことで「惜敗」であり、「議席を半分以下にした自民党が大敗したのであって、民進党は苦しい中で健闘した」という認識に立っている。
だが、これは公示前に大量の離党者を出したためであり、民主党と維新残党が合流(会派は二つ)した段階では18議席あったのだ。それが、大量の離党者を出して、公示時には7人しか民進党に残っていなかったという話であり、「7議席」を基準にするのはかなり無理がある。そして、18議席が5議席になったと考えれば、3分の1以下ということで自民党以上の敗北ということになる。解体する前の旧社会党の最後の議席が11議席であったことを思えば、すでに「ポイントオブノーリターン」まで来ていると考えてもおかしくない。

議席数の減少は「勝負は時の運」と説明できても、より深刻なのは、大量離党者とその離党者のプロフィールだった。決戦前に離党した者たちの中には、「都議団長(幹事長)」「大幹部(役員室長)の妻」「元国会議員秘書」「元党職員」らが含まれており、結果、開戦前に戦力を半減させてしまい、国会議員とその秘書団を全力動員した上、違法活動に従事させるという、なりふり構わない対応をせざるを得なくなった。しかも、国会議員の戦力を全力投入したにもかかわらず大敗してしまったため、その点についても戦争指導が問われるに至っている。

これは例えるならば、天正10年の織田徳川連合軍による武田討伐に際して、穴山梅雪(武田一門)、木曽義昌(信玄の娘婿)、小山田信茂(信玄の従弟)らがこぞって裏切ったケースである。一度権威が失墜した主君の下で統制力を維持し続けるのは難しい。「蓮舫代表の下で団結を」と叫ぶのは、「最後まで勝頼様と共に」と言うに等しくなってしまっている。

もともと民主党、民進党は、「ここから出れば当選できるかもしれない」として議員と候補者が集まってできた選挙互助会であって、特段の政治理念やイデオロギーがあるわけでは無いため、一度「都民フの方が当選できそう」となれば大量に離党者が出るのは必定だった。それを露呈したのが都議選であり、そこで民進党が大敗して、都民フが大勝したとなれば、「次の国政は民進ではダメだ、都民だ、新党だ」という話に流れるのは避けられなかった。
これを回避するためには、執行部を一新し、敗戦責任を全て蓮舫・野田執行部に押しつけて、「都民フ」に対抗できる新体制をつくる必要がある(現状では人材が枯渇)。逆に、野田幹事長は「都議選は地方選挙だから」と最初から見捨てて、予備選力など投入しなければ、「地方選挙の敗北責任を負うのは都連である」と突っぱねることができたわけで、この事態を招いたのは執行部自身だった。

党内の不満は、仮に野田氏が幹事長を辞任すれば、一時的には鎮静するかもしれないが、「蓮舫では勝てない」という認識が広まってしまっている以上、次の衆院選の直前や、保守新党の結成時に大量離党者を出す流れは不可避となりつつある。かといって、蓮舫氏に替わる、支持回復に繋げる代表、執行部を選出できるだけの人材プールもなく、ほぼほぼ頓死状態に陥っている。
posted by ケン at 12:31| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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