2017年08月08日

満蒙開拓団に合掌

満蒙開拓団.jpg
『満蒙開拓団―虚妄の「日満一体」』 加藤聖文 岩波現代全書(2017)

意外とあるようで無い、満蒙開拓団の歴史。昭和恐慌などによる農村の疲弊にはじまり、満州事変を経て開拓団の編成と派遣が国策化されるが、関東軍による屯田兵、現地召集兵確保の意向などによって歪められ、日中戦争の勃発によって景気が回復、若年労働力が不足し、いつしか官僚的な対応が強まって、「志願者対象」としながらも強制移住に近いものになってゆく。現代の学校部活動や「ボランティア」にも通じるものがある。恐ろしいほどの無責任体質がそれだ。

満蒙開拓団はどれも悲惨な結末を迎えるのだが、中でも酷いと思ったのは東京からの開拓団だった。戦況の悪化で生活が立ちゆかなくなったり、空襲で被災した東京市民で疎開のあても無かった人たちが、農業技術も無いのに、政府の勧めに従って満州に渡るが、一年あるいは一年半もたたずにソ連侵攻を迎えている。

例えば「興安東京荏原郷開拓団」(第十三次)の場合、戦況の悪化によって物資が不足し、営業が成り立たなくなった東京の武蔵小山商店街(当時は荏原区、現品川区)の商業組合員によって編成された。その職種は154に及んだが、農業経験者は皆無だった。東京郊外の研修施設で形ばかりの農業研修を行った後、1944年4月5日に新潟を出港して朝鮮半島の羅津に上陸、汽車を乗り継いで1週間後にソ蒙満国境の興安省に到着、入植した。
翌45年8月9日、ソ連赤軍がソ満国境を越えて侵攻を開始するが、避難を開始したのは12日になってしまう。当時、若年労働者が現地応召によって不在だったため、小学生まで動員して野菜の収穫、搬出をしていたためだった。結果、在籍者1142名のうち日本本土に帰還したのはわずか53名、他に25名が中国に残留した。生還率は5%を下回っている。

東京農大関係者を主体とした常磐松開拓団(渋谷)の場合、1945年6月26日に東京を発ち、日本海で触雷して輸送船は沈没、命からがら元山に上陸、満州の牡丹江駅に着いたのは8月8日深夜だった(9日未明とも)。赤軍が国境を越える数時間前のことだった。なお、大東亜省が「満州開拓民ノ送出ハ原則トシテ一時之ヲ中止ス」を決定したのは、同年7月2日のことだった。

ソ連軍が開拓村を攻撃したことで被害者が激増するわけだが、当時のソ連側の認識は「武装入植者による軍事拠点」だった。事実、関東軍は兵力供給源の確保と軍事拠点の設置を目的に、ソ満国境への入植を奨励するが、日本政府は全くそれに触れずに募集、応募者も自分たちが民兵代わりであるという認識は全く無かったことが悲劇を生んだ。しかも関東軍は国境近くの開拓団にも緊急召集を掛けてしまったため、肝心な時に壮年男性がおらず、避難が遅れ、匪賊や現地住民の攻撃にも対処できず、各地で集団自決が相次いだ。関東軍は、南満への避難計画を策定していたが、日本政府が許可しなかったことも被害を助長させた。その理由は「現地住民が動揺して何が起こるか分からない」というものだった。福島原発事故時の政府対応を思い出させる。
もっとも、樺太やポーランド、ドイツにおけるソ連軍の所行を見る限り、仮に「武装民兵」と認識していなくても、変わらずに開拓村を軍事攻撃した可能性は否めない。

最終的に敗戦時に満州に滞在していた日本人は、都市部等で155万人、開拓団関係者は27万人だったが、死亡者は全体で24万5千人に及び、うち約8万人が開拓団関係者だった。開拓団民は全住民中の17%だったが、死亡者では3割を占めている。これらの数字はいまだに正確な数字が把握されていないが、これは終戦時の文書焼却によるものというよりは、そもそも精密な行政文書が存在していなかったことに起因しているという。やはり満州移民は棄民政策だったのだ。

もともと本土内の労働力過剰や食糧難から始まった移民政策だったが、敗戦によって600万人からの海外(旧帝国領や植民地を含む)在住邦人が帰国したことと、1945年の大凶作や各種流通途絶によって飢餓が広まった。戦後のGHQ改革によって農地改革が行われたり、旧皇族領や国有地の払い下げが進められ、帰還した移民にも一定の分配がなされたものの、定着したのは概数で3割に満たなかったものとみられる。土地再分配の恩恵にあずかれなかったものは、悪名高きドミニカ移民を始めとする南米に再移民していった。幸運にも定着できた帰還移民たちも、例えば三里塚(成田空港)、六カ所(核燃サイクル施設)、上九一色(オウム事件)、飯舘・浪江(福島原発事故)などに象徴されるように、戦後政治の負の側面を一身に受けて悲劇の舞台となるところが少なくなかったのである。
posted by ケン at 12:14| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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