2017年11月04日

立憲民主党の限界

立憲民主党の組織運営上の課題についてはすでに述べた。
だが、政策、イデオロギー的にも同党の立ち位置は困難を伴うものを見られる。

まず立憲民主党は、今回あえて「立憲」の名を旧党名の民主党にかぶせる選択肢を採ることで成立した。「立憲主義とは何か」については議論が分かれるところもあるが、要は現行憲法を至上のものとし、それに則った国家運営を至上命題とする立場を意味する。つまり「民主党の護憲派」なのだ。

だが、日本の戦後民主主義は、第二次世界大戦の休戦条約の条件として課されたものに過ぎず、戦前の明治帝政下にあっては「民主主義」という言葉すら忌避されて、「民本主義的要素」がある程度の制度だった。そのため、思想的にも制度的にもデモクラシーの基盤は非常に脆弱なものとなっている。
憲法については、GHQの指導や敗戦直後の保守・反動勢力の沈黙もあって、一応は自由と民主主義に基づくものとなった。教育勅語も新憲法にそぐわないとして廃止された。しかし、天皇制や国家神道の基幹部は温存され、秘密警察も形を変えて存続した。帝政、権威主義、軍国主義、植民地主義などの要素は、特に否定されること無く、まして断罪されることなく、ただ「無かったこと」にされた。ここが「自由と民主主義を否定する要素は断固否定する」というドイツとの大きな違いとなる。その後の民主化の過程の中で、朝鮮戦争が勃発し、東西冷戦構造が確立、アメリカの対日政策も「民主化」から「冷戦の最前線基地」へとシフトしていった。本来、天皇制をはじめとする権威主義体制を一部温存する代償として放棄された軍事権も、戦後10年も経たずに部分的に回復された(1954年に自衛隊発足)。

言うなれば、戦後日本は権威主義や軍国主義を表面的に取り払っただけで、その根っこの部分を巧妙に温存してきた。高度成長に支えられ、米帝の保護あつかったことから、誰も過去の暗部に触れようとはしなかった。その結果、今日になって再び芽吹いている。一方、政府は政府で、「敗戦の結果、講和条件として民主化しただけ」というスタンスから、権威主義体制への揺り戻しを問題視する立場には無い。
(戦後日本の不安定な立脚点)

戦後日本が曲がりなりにもデモクラシーを堅持できたのは、日米安保によって担保された軽武装と、西側陣営に属することで保障された自由市場と自国の人口急増に立脚した高度成長に起因している。
だが、これらの前提は1990年代以降、大きく揺らいでいる。対テロ戦争に邁進した米国は、アジア地域における軍事的緊張を回避するようになり、今や「対中封じ込め」などは夢の話と化している。結果、アメリカは日本に対しても「自国の防衛は一義的には自国で賄え」と要求するようになっている(当然の話だが)。
日本政府・自民党は、当面はアメリカの裾をつかんで懇願することで軍事的空白をつくらないようにしつつ、徐々に軍拡を進める選択をするが、憲法上、財政的理由から十分には進んでいない。そのため「対中危機」や「対北危機」を演出することで、軍拡・改憲気運を盛り上げようとしている。「反中・重武装」路線である。
この対抗軸としては、「親中・軽武装」路線が考えられるが、果たして立憲民主党に「親中」や「東アジア共同体」路線が掲げられるかどうか、あるいは「親米・軽武装」という非現実的な路線を採るのか、難しい選択となる。

戦後の西側陣営を支え続けてきたリベラル・デモクラシーは、貧困と経済格差と移民問題から根幹が揺らいでいる。それは日本も例外ではなく、自民党や右派は重武装と権威主義化によって危機を乗り越えるべく、憲法改正を提唱している。
これに対し、いわゆる護憲三派(立憲、NK、社民)は改憲を否定、戦後秩序とリベラル・デモクラシーの護持に最高価値を置いている。その結果、「戦後秩序は危機に瀕しており、再編が必要」とする「改革派」の自民党と、「戦後秩序を危機に追いやっているのは自民党だ」とする「保守派」の護憲三派が対立、前者の優位が続いている。

もう一つは、「リベラル」である。今回、立憲民主党は「リベラルの総結集」「保守リベラル」を旗印に掲げ、これまで「仕方ないけど民主党、民進党」だったリベラル・左派寄りの層を「これで自分が投票すべき党ができた」と熱狂させることに成功した。
ところが、この「リベラル」というのは恐ろしく曖昧な定義しかされていない。例えば、今回立民を支持した層の大半は、TPPに反対の立場を取ると思われるが、では、自由貿易を否定するリベラリズムが成立しうるのかと言えば、激しく疑問を覚える。
これはE・トッド先生がおっしゃっていたことだが、米大統領選でトランプ氏が勝利したのは「真実」を語ったがためであり、同様にクリントン氏が選ばれなかったのはそれを隠して語らなかったがためだった。
その「真実」とは、「自由貿易と移民に象徴される自由主義こそが、全世界を過酷な競争に巻き込み、不平等と停滞をもたらし、中間層を没落させた」ということである。現実に、アメリカでは特に白人層の没落が著しく、全体で5千万人からの生活保護受給者がおり、平均寿命が低下に転じてしまっている。この現状を招いたのは、自由貿易によって工場が海外に移転し、国内産業が壊滅、残された雇用の多くも安価な移民労働者が占有し、白人中間層が没落するのを放置したがためだった。にもかかわらず、オバマ氏は相変わらず自由貿易と移民を称賛し、クリントン氏は「世界の警察官」の地位に強い執着を見せた。米国人が「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!」とブチ切れるのは当然であり、むしろクリントン氏は不自然なくらい健闘したと思えるくらいだ。
(敵はリベラルにあり?)

西側諸国では、長いこと「自由と民主主義こそが豊かさの源泉である」と喧伝されてきた。ところが、ソ連・東欧ブロックが瓦解し、世界の半分が「市場開放」された結果、経済のグローバル化が進むと同時に労働賃金のフラット化が進んだ。
具体的には、ヨーロッパでは工場が東欧に移転し、日本では中国に移転した。同時に、賃金の相対化が進み、非正規雇用や移民労働者の増加によって、雇用環境の悪化や賃金の低下が進んだ。また、高齢化に伴い、社会保障費が急騰して国家財政を圧迫、同時期に東側陣営が崩壊したことも相まって、社会保障の切り下げが始まった。「狡兎死して走狗烹らる」である。

こうして後に残されたのは、「収奪する自由」と「収奪される自由」だった。本来のリベラリズムは、機会均等を実現するために国家による再分配を肯定するが、今日では「経済成長のため」と称して真っ先に再分配機能が削られている。
具体例を挙げるなら、無能な正社員と有能な非正規社員がいるとして、リベラリズムは、正社員のクビをきって他方を正社員に据える「自由」と、正社員から多額の税を取って他方に再分配する「公正」の2つの選択肢を容認する。だが、現実の自由主義国家では、双方とも機能せず、有能な非正規社員はひたすら収奪される存在となっている。
そこで疎外された者たちが自由を怨嗟しているのに、それに対してリベラリストが「自由こそ至上の価値」と高説してみたところで、逆ギレされるのがオチだろう。そして、それがヘイトの原動力となっているのだが、リベラル派は全く自覚が無い。
(敵はリベラルにあり?・補)

例えば、アメリカのサンダース氏、イギリスのコービン氏、フランスのメランション氏らが大健闘しているのは、「リベラル」だからではなく明確に「ソーシャル」を掲げているからである。また、現実に立民の支持層を見た場合、60代が最大で、以下年齢層が低くなるほど低下する傾向がある。つまり、リベラリズムは若年層には殆ど受け入れられていないことを示しており、立民のスタンスは「今が最大」であると言える。これを挽回するためには、若年層の支持を得られる「新型リベラリズム」を提唱するか、思い切って社会主義化(再分配と社会保障に至上価値を置く)することが必要だが、現状の立民にはそれだけの理論的基盤も、それを運用(体現)できる国会議員もいない。

以上の二点だけからも、立憲民主党は遠からずイデオロギー的にも行き詰まる蓋然性が高い。
posted by ケン at 13:00| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
党員の意見の集約による変革にきたいしたいところなんですが。
Posted by うじ at 2017年11月05日 15:27
そうですね。ただ現状は、県連や支部もつくれない状態で、党員募集もいつ始まることやら。せっかくの熱も冷めてしまいそうでして。
Posted by ケン at 2017年11月06日 12:48
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