2018年02月21日

北朝鮮の暴発を望む河野外相

【北朝鮮と無条件対話なし=河野外相】
 河野太郎外相は13日の閣議後の記者会見で、ペンス米副大統領が「北朝鮮が望めば、われわれは対話する」と米紙のインタビューに述べたことに関し、「日米韓は極めて緊密に、圧力の最大化を続けていかなければいけないというところで連携ができているから、特に政策に変更はない」と語った。無条件の対話には応じられないとの見解を示した発言だ。 
(2月13日、時事通信)

河野外相のブーメランっぷりはなかなか堂に入っている。
我が国は、北朝鮮の核兵器の脅威にさらされています。極めて強い破壊力を持つ核兵器による攻撃を防ぐためには、核兵器による抑止が必要です。抑止のために、核兵器がもたらす破壊力と同等の脅威を通常兵器でもたらそうとすれば、莫大な量の通常兵器が必要になり、とても現実的ではありません。
また、日本は、専守防衛をうたい、非核三原則を堅持する方針を明確にしています。ですから日本は、北朝鮮の核への抑止を米国の核兵器に依存することが必要です。
(「ごまめの歯ぎしり」 2018年2月5日号 米国の核戦略見直し)

そもそも北朝鮮は、1990年代以降のアメリカによる単独覇権主義、軍事介入路線に対して抑止力を高めるために、飢餓輸出まで行って核の実戦配備を志向してきた。ソ連はすでになく、中国の介入を防ぎつつ単独で国防を確実にするためには核兵器しかなかったからだ。河野氏の言い分は、逆に北朝鮮の主張の正当性を認めてしまっている。

歴史的には、日本が1941年秋に対米戦を決意したのは、アメリカによる「最大級の圧力」と「中国から撤兵しない限り対話は無い」という強硬姿勢があったためだ。保守・ネトウヨには、これを「アメリカの陰謀」として日本の戦争を正当化する向きが強いが、であれば、彼らは北朝鮮による核武装も認めるべきだろう。また、アメリカの強硬姿勢が、当時の日本政府を暴発させたと考えるのであれば、北朝鮮に対する「最大級の圧力」についても配慮して然るべきだ。

逆に日本政府が「最大級の圧力」をかけたのが日華事変・日中戦争だった。
1937年11月、蒋介石は休戦交渉を進める方向で考え、12月2日には一次条件を交渉の基礎として認める旨を駐華ドイツ大使のトラウトマンに伝えた。
一方、日本側では、現地軍は繰り返し南京攻略の許可を参謀本部に求めるが、多田駿参謀次長がこれを握り潰し、国民党政府のメンツが立つ形で講和に導く方針を有していた。11月24日には、大本営御前会議が開かれるも、近衛首相も広田外相も多田の主張に耳を傾けず、12月1日には大陸命第八号を発して南京攻略を命じてしまった。一方、現地の第十軍は中央の命令を待たずに南京への進撃を始めており、文民統制どころかそもそも軍の統率が十分に機能していなかったことが伺われる。

中支那方面軍は12月10日に南京市に対する攻撃を開始、13日には市内を完全に制圧するが、この際にいわゆる「南京事件」が発生、中国側のナショナリズムがさらに高揚した上に、対日国際世論が一気に悪化した。南京事件の真相がどうであれ、日本軍が南京を占領したがために、国民党蒋政権は国内世論的に和平交渉を進めるという選択肢が採れなくなった上に(和平派は沈黙)、「これで米英の支援が得られる」という期待を抱くところとなった。日本側の目論みは裏目に出て、中国側の抗戦意志を強化してしまったのである。さらに12月14日には日本側が華北に傀儡政権を打ち立てたことも、中国側を大きく刺激した。

南京陥落で気を良くした日本側は、休戦条件のハードルを上げ、華北分離政権の承認を要求、満州国の正式承認も加えられた。蒋介石はこの新条件を一蹴するが、国民党内部には異論もあり、回答期限は12月末だったものが翌年1月10日とされるも、正式回答には至らなかった。
1938年1月14日に国民党政府から「現条件は曖昧なので細目を提示されたい」旨の通知が日本側に伝えられるも、ここでまた日本政府と国論は過剰に反応し、「時間稼ぎだ」「誠意が無い」などの声が沸騰して、収まらなくなってしまう。
1月15日午前に大本営政府連絡会議が開かれ、陸軍の多田参謀次長と海軍の古賀軍令部次長が国力の限界から長期戦を戦うことの困難さを説明し、中国側との和平交渉の継続を主張した。ところが、近衛首相「速やかに和平交渉を打ち切り」、広田外相「支那側の応酬ぶりは和平解決に誠意なきこと明瞭」、杉山陸相「蒋介石を相手にせず、屈服するまで戦うべき」、米内海相「統帥部が外務大臣を信用しないのは政府不信任」などと声を揃えて反論され、政府と統帥部の対立が解消されないまま休憩に入った。

その結果、翌16日には「爾後国民党政府を対手とせず」の声明が発表され、和平交渉は完全に頓挫してしまう。日本側の条件が厳しくなったとはいえ、国民党政府側には自国の継戦能力を疑問視する勢力も少なくなかった。日本側が粘り強く交渉を継続し、寛容な姿勢を見せれば、休戦の糸口はまだつかめたかもしれなかった。この時むしろ和平交渉に誠意が無かったのは中国を蔑視し居丈高な態度をとり続けた日本の方だった。
後に撤回したとはいえ、国民党政府を交渉相手と認めなかった日本は、その後も7年半に渡って泥沼の戦争を続け、特に華北部では陰惨極まりない対ゲリラ戦が繰り広げられた。南京入城前にトラウトマン工作で休戦していれば、南京事件はもちろんのこと対米戦すら回避できた可能性があるだけに、日本政府の「敵とは交渉しない」スタンスの愚劣ぶりが際立っている。

80年経ても同じ愚劣を繰り返すのは、敗戦を経てなお現行政府が明治帝政を否定、解体することなく、看板だけ掛け替えて存続してしまったことが影響しているだろう。
posted by ケン at 12:18| Comment(3) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アメリカが北朝鮮と接触方向のようですし、強硬路線の日本は置いて行かれた感じがすごいですね。さすがKYだわなぁ。
Posted by TI at 2018年02月27日 01:46
日本の強硬路線は、アメリカを繋ぎ止め、軍拡と憲法改正を進める「ネタ」としての意味合いが強いので、色々厄介です。
Posted by ケン at 2018年03月04日 09:32
「トランプ大統領「北朝鮮が対話を求めてきた」」
「韓国が北朝鮮に特使をきょう派遣」
とかでも強硬路線なんですよね。確かに予算案見ると国防費すごいですもんね。
Posted by TI at 2018年03月05日 15:14
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