2018年03月13日

日本型組織のトップがダメなわけ

戦争中、日本軍に対する評価として「兵卒と下士官は優秀だが、上に行けば行くほど能力が低下する」というものがあった。現在でも、福島原発事故に際しての東電幹部の記者会見や、数々の疑獄における大臣や高級官僚の国会答弁を見ていると、若者が絶望的な未来しかイメージできないのも肯ける。永田町に勤務するケン先生が見ても、国会など「知性も教養も無い連中がバカ騒ぎしてるだけ」にしか思えず、「終わってる観」がハンパ無い。
もっとも、現代の場合、憲法や原発問題で陳情や意見具申してくる者たちも、殆ど岡本版『日本のいちばん長い日』の軍人たちのような狂騒状態にあり、ネトウヨも含めて昭和初期のような精神状態に陥りつつある気がする。永田町はモンスターどもの対応だけで手一杯で、とても落ち着いて何らかの政治課題を考えながら仕事する環境にはなく、自分が離職を決意した一因になっている。

日本型組織が「上に行けば行くほど能力が低下する」理由については、雇用や人事の面から説明すると分かりやすい。

日本の雇用慣行において、従業員は「職掌(ジョブ)」で雇用されるのではなく、全人格ごと雇用されるため、「作業効率が悪い」程度では解雇されない。司法判例も、まず他部署に配置して他の作業で試すことを要求している。これに対し、欧米の企業はジョブの能力で雇用しているため、その能力が会社の要求水準に達しない場合は、それを「正当な理由」として解雇できる。この結果、日本社会では正社員は、よほどの不祥事を起こさない限り解雇されない一方、企業は無能あるいは不適合な社員を囲い続けなければならない。同時に、日本の社員は職掌範囲が定められていないため、仕事の成果や能力が定量化、計測できず、公正に評価される基盤が無い。結果、個々の社員は生産性を上げるインセンティブが存在せず、企業側は無能な社員にも仕事を与えて人海戦術で対応せざるを得ず、組織としても生産性を向上させる術が無い。

日本型組織においては、仕事が定量化されず、職掌範囲も無限定であるがために、昇進のための公正な基準を設定することが不可能になっている。その結果、昇進基準は「部局に貢献した」「課を盛り上げた」「○○に際して頑張った」などの印象や主観によってしか定めようがなく、究極的には直系上司に対する忠誠度で計られることになる。
能力ではなく忠誠度で昇進が決められているということは、管理職は管理能力、マネージメント能力ではなく、組織に対する忠誠心を示さねばならず、結果・成果よりも「努力しているところを見せる」ことに長ける傾向が強くなる。その行き着くところは、「ガンバリズム」であり、精神主義でしかない。
有能な人間は、えてして組織の効率改善を求めて上層部に苦言を呈するため、忠誠心を疑われ、日本型組織ではまず昇進できない。結果、上に行けば行くほど、「忠誠心の高さ」だけが売りの人間しかいなくなるので、比例して無能度も高まってゆく構造になっている。

例えば、2009年に発覚した障害者郵便制度悪用事件に際して、大阪地検特捜部主任検事が検事調書を改ざんして冤罪を推進した件では、部長が「議員は無理でも、少なくとも高級官僚の一人も立件できなくてはメンツが立たん」と部下に(あいまいな)指示を行い、主任検事は忠誠を示すべく、調書の改ざんを行ったと言われている。なお、この部長は懲戒免職にこそなったものの、刑事裁判では執行猶予つきの判決が下されるに止まっている。
このように組織に対して無条件の「忠誠」を尽くし、なおかつ偶然悪事が発覚せず、「大過なく」組織生活を送ることができたもののみが、能力や成果に関係なく昇進してゆくのだから、トップが無能ばかりになるのは当然だろう。

また、日本の国会議員は、1990年代に小選挙区制に移行したことで急速に能力低下が進んでいる。これについては、過去ログから引用したい。
国会議員は、参議院の比例代表選出者や衆議院の比例単独選出者を除く大半が選挙区から選ばれている。日本の場合、有権者は候補者の政策や主張よりも、人柄や人物像を重視する傾向が強いため、候補者もそれを重視せざるを得ない。結果、実際の選挙時に掲げる政策や議会での活動実績よりも、日常活動で「顔を売る」ことが重要となる。具体的には、選挙区内の各種イベントや酒席にひたすら出席して、一人でも多くの有権者に「見知ってもらう」ことが活動の中心となる。とかく保守系の政治家が、軽薄な発言を繰り返すのは、少しでも有権者に自分を印象づけたいがために発せられる「サービス」の部分が大きい。そして、自分の当落が掛かっているだけに、議会活動よりも地元回りを優先することになる。実際、自民党であれ旧民主の小沢氏であれ、「1、2回生の仕事はひたすら地元を回ること」と教えている。

この「地回り」の中で、もう一つ重要となるのが「陳情受け」である。有権者から各種陳情を受け、処理することで支援者と献金を増やすことが目的となる。陳情と言えば聞こえが良いが、現実には行政に圧力を掛けて、特定の者に優先的にサービスを供与させる汚職でしかない。最近では甘利問題が有名だが、自民党では当たり前すぎて、何故それが問題にされるのかすら理解できないだろう。結果、当選回数の若い国会議員は、議会活動などせずにひたすら地元を回り、陳情を受けて処理し、御礼にカネや票をもらうことに専念する。これを当選回数で2回、当選前から数えれば10年近くもやるのだから、3回生になる頃には地元の有権者とズブズブの関係になり、腐敗システムが構築され、議員本人も秘書もそれが「当たり前」になって、正常な感覚を失ってしまうのだ。
要は、自民党や小沢氏の教えは、「腐敗体質が強いほど選挙に強い」ということであり、日本の政治制度はその前提の上に成り立っている。
地域代表制が政治と地域を腐敗させた?)

国会議員は「選挙に強い」と当選を繰り返し、当選を重ねると能力に関係なく、政権党にあれば閣僚になることができる。ところが、「選挙に強い」とは、政治調整能力や行政手腕とは無縁で、選挙区内の有権者とズブズブの関係になって集票マシーンを構築できるかどうかにかかっているため、行政手腕や統治力に関係なく腐敗臭の強い者しか当選を重ねられない構造にある。

日本はどこをどう切っても「お前はすでに死んでいる」のである。

【追記】
日本型システムは人事降格がなされないため、課長級で成果を上げた者が、部長になったらダメだった場合、無任所にするか社外に出すほか無くなってしまう。欧米型であれば、「課長に戻す」ことも可能だが、それができないため、あるポジションで有能だったものを有効活用し続けることができないシステムになっている。
象徴的な例としては、米軍の場合、戦時中を除いて誰もが少将までしか昇進できず、あとは師団長なら中将、軍司令官なら大将などとポストに付随して階級が上がるだけで、師団長として成果が上げられなかったら、旅団長に戻すことが可能なのだ。
ところが、日本では一回大将になってしまったら、中将には戻せないため、無能な上官やムダなポストを乱造してしまうのだ。私の大伯父などは、大戦末期の昭和20年5月、もはや指揮する艦隊も無いのに大将に昇進している。

【追記2】
新卒採用も同じ問題を抱えている。日本の雇用習慣は、職掌範囲を定めずに新卒者を一括採用するため、能力ではなく人格が採用基準となる。その人格も会社に対して従順で、どのような命令にも逆らうこと無く従い、無制限の残業や不合理な異動についても全く文句を言わないことが条件となる。結果、教養、理性、人道的精神、倫理観、社会道徳などの要素を持たない者が優先的に採用されることになる。
posted by ケン at 13:18| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
山極寿一京大学長が「経済界はグローバル化といいながら、大学にくだらん改革を押し付け、自分たちは社員の採用法一つ変えられなかったではないか」(意訳)と激怒していますね。大学は昔からろくでもない存在でしたが、負け組の財界の言い分を聞いて、さらに悪くなった気がします。相対的にましだった分野が財界に汚染させているような気がします。
Posted by hanamaru at 2018年03月14日 00:35
そこの評価は難しいところで、自分たちで自浄能力を発揮できなかったため、外部の介入を許してしまったのに、それに文句を言ってもね、ということです。
ソ連がペレストロイカに失敗し、世銀やIMFの介入を許してしまったことに対して文句を言っていた高級官僚や政治家と同じです。
Posted by ケン at 2018年03月14日 12:49
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