【前川氏講演、自民議員が文科省に照会…2月中に】
名古屋市立中学校の授業で前川喜平・前文部科学次官が講演した内容を文科省が市教育委員会にメールで問い合わせたことを巡り、自民党の文部科学部会に所属する衆院議員がこのメールの送付前、文科省の担当者に講演の内容を照会していたことがわかった。文科省は「問い合わせは文科省としての判断」と説明しているが、議員からの照会が文科省の対応に影響を与えた可能性もある。
複数の政府関係者によると、この衆院議員は、文科省がメールを送付する前の2月中に、文科省教育課程課の課長補佐に対し、講演内容や経緯などを問い合わせていたという。前川氏の講演は2月16日、授業の一環で行われ、文科省は3月1日と6日、教育課程課長補佐名で市教委に問い合わせのメールを送付した。
(3月19日、読売新聞)
文科省側は「問い合わせ」などと嘯いているが、実際には「前川氏は数々の問題の責任をとって次官を辞任して云々」の長々とした説明の後に講演内容や講師選定の詳細経緯など十五項目にわたった質問をしており、実態としては「詰問」でしかない。
さらに政権党に所属する国会議員が同省に「照会」したとされ、本件が政権党の政治介入によってなされた可能性もある。その場合は、中央による教育現場への介入のほかに、政権党による政治介入という要素も含まれてくる。
日本国憲法は第23条あるいは26条で「教育の自由」を保障している。これは明記されたものではないが、戦前の帝政期に文部省が強大な権限を持って学問の自由を侵し、教育の中央統制を強化して、軍国教育を進めることで国民の戦争熱・侵略熱を煽ったことへの反省から設けられた。
よって戦後、文部省は教育のインフラ整備を進め、全国で一定の教育水準を保つための指導と助言を行うための機関と再定義され、教育実務は各自治体に設置される教育委員会が担うものとされた。その教育委員も、当初は選挙で民間から選ばれた。
ところが、サンフランシスコ講和条約が成立して占領が解除されると、鳩山内閣や岸内閣など戦犯が6割以上を占める反動内閣が続き、戦後のGHQ改革の相当部分が骨抜きになり、文部省への中央集権が進んだ。
最近では、第一次安倍内閣に際して教育基本法などが改正されて、さらに文科省への権限集中が進められると同時に、教育委員会の自治体首長への従属も強化され、文科官僚の大学への天下りが増えていった。
国会議員らはツイートなどで「デモクラシーの危機」などと非難しているが、いまに始まったものではなく、むしろ民主党政権期に「地域主権」などと言いながら、教育の再分権化を進めなかった自分たちの責任が問われてしかるべきだ。
そもそも教育の自由や独立性といった概念は、「権力の分立」というリベラリズムの概念から来ているもので、「人民による人民支配」というデモクラシーの概念とは異なる。つまり、この件を非難する国会議員らも問題の本質を理解していないのだ。
現代日本はどこまでも昏い。
【追記】
なお、自民党議員二人が文科省に「問い合わせ」を行って政治介入を行った疑惑が指摘されている。こちらは国会議員の行政監督権を駆使して「行政が適正に行われているか」を確認するためのものだったと見るべきであり、その内容こそ不適切だったとはいえ、それは文科省側が「教育の独立」を盾に拒否あるいは無視すべきものだった。今回の責任はあくまでも文科省こそが問われるべきである。そうでなければ、国会議員が省庁に事実確認すら行えなくなってしまうだけに、難しいところではあるが、慎重を期すべきだろう。