2018年04月20日

自由を守るために独裁強化する中国のパラドクス・上

【中国、14年ぶり憲法改正 習氏の長期政権に道】
 中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)は11日、共産党の指導的役割を明記し、国家主席の任期を2期(10年)までとしていた規定をなくす憲法改正案を可決した。2期目に入った習近平総書記(国家主席)の長期政権に向け、憲法上の制約がなくなった。
無記名投票で2964人が投票し、賛成は2958票で改正要件の3分の2以上を大きく上回り、99・8%に達した。反対は2票、棄権は3票、無効票は1票。改正憲法は即日公布、施行された。
 習氏が兼任する党トップの総書記、人民解放軍トップの中央軍事委員会主席には任期制限がない。全人代は党、国家、軍の規定をそろえることで「習近平同志を核心とする党中央の権威と集中的な統一指導を守るのに役立つ」と説明した。
 中国の憲法改正は2004年以来、14年ぶり。あらゆる公職者の汚職を取り締まる「国家監察委員会」を憲法上の機関として設立する内容も盛り込んだ。
 改正憲法では、第1条に「共産党による指導は中国の特色ある社会主義の最も本質的な特徴である」と書き込み、共産党の一党支配の正当性を法制度面からもより強固にした。前文には、昨秋の党大会で党規約に書き込んだ習氏の政治理念「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」や習氏が唱えるスローガン「中華民族の偉大な復興」を明記し、「一強」態勢を築いてきた習氏の権威をさらに高めた。
(3月11日、朝日新聞)

ケン先生は中国は門外漢ではあるが、全体主義学徒として一言触れておきたい。
最近あった飲み会で、ロシア学を学んだはずの先輩が「チューゴクが独裁強化、人民弾圧、対外侵略推進の兆候〜〜」などと恥ずかしい話を臆面もなくされていた。中国研究を専門とする同志も「今なぜ独裁強化なのか」と疑問視していたのが印象深かった。やはり地域研究とガヴァナンス(統治形態)の研究者は視点が異なるのかもしれないし、日本で教育を受けるとどうしても既存の価値観(主にデモクラシーとリベラリズム)に基点を置いてしまい、客観視することが難しいのかもしれない。

自分の分野で言えば、例えばレーニンやスターリンが独裁権を求めたのは、革命を護持し、一国の近代化と工業化を強行するためであって、個人的な栄達や権力行使を求めてのものではなかった。日本の歴史で言えば、織田信長や大久保利通がこれに類する。習近平氏が個人的な思惑で独裁権を求めていると考えるのは、歴史軽視も甚だしい。

詳細は「ペレストロイカを再検証する」を読んでいただきたいが、ゴルバチョフがペレストロイカに失敗したのは、計画経済から市場経済に移行するに際し、既得権益層の抵抗が予想されたにもかかわらず、「民主化」と称して共産党と同書記長の権力を分散させてしまったため、体制を維持するために必要な改革が実施できなくなって、時間切れを迎えてしまったことに起因している。
具体例を挙げれば、ペレストロイカは1985年に開始されたが、ソ連崩壊前の1990年時点で、市場経済化の進捗度は「企業民営化率1%、自由価格率5%」でしかなかった。また、改革開始時点で食糧価格調整金と国営企業の赤字補填が、歳出のそれぞれ2割を占めていたが、90年時点でその割合は歳入減も手伝ってむしろ増加する有様だった。
実のところ、ゴルバチョフに必要だったのは、既得権益層である保守派を粛清・排除して市場経済化と民営化を強行するための権力集中であり、そのためには民主派も弾圧する必要があった。

一党独裁を護持したまま市場経済化を実現した中国を見た場合、共産党は1989年に起きた第二次天安門事件を利用して民主派を弾圧するが、今度は相対的に保守派が強化されてしまったため、第一線を引いたはずのケ小平が保守派攻撃に転じて陳雲らを引退に追い込んで、改革開放路線を確立した。そして、保守派の反撃と民主派の再起から同路線を堅持するために、1993年には同一人物が総書記、国家主席、党中央軍事委員会主席を兼任して権限を一元化する現行体制が築かれた。

改革開放路線の確立から25年を経て、中国のGDPは、1993年の4,447億USドルから2017年の11.9兆ドルへと、何と26.7倍にも成長した。確かに奇跡的ではあるが、もともと中国は19世紀初頭には全世界のGDPの半分以上を占めており、1890年代に至ってすら単独トップの座を維持していたのだから、この100年間ほどが異常だっただけの話で、「本来の形」に戻りつつあるというのが正しい見方かもしれない。

だが、中国の場合、急成長したが故に大きな課題も抱えている。改革開放路線の柱の一つだった軍の近代化は概ね達成しつつあるが、(モンゴル帝国を除いて)秦帝国以来最大の版図を実現する中華人民共和国は陸上国境だけで2万2千km、海岸線を含めると4万kmにも達しており、その国防は決して容易ではない。過去百年強を見た場合、中国を侵略したのは英仏露日独米墺伊など列強の大半に及び、現在のロシアが米欧日による挟撃を心底恐れて核戦力の強化に邁進するのも決して他人事では無い。
現代日本では中国の国防費の伸びをもって「侵略の前兆」と危機を煽るものが少なくないが、中国人に言わせれば「お前にだけは言われたくない」ということになるだろう。
なお、1978年にソ連がアフガニスタンに軍事介入する際、参謀本部が反対したのは、「ソ中国境防備が脆弱になる」という理由からであったことは特筆に値する。

例えば、北清事変に介入した列強諸国の2016年時の国防費を総計すると、9500億USドル以上に上るが、中国の国防費は2150億ドルでしかない。1930年から40年代にかけて、開戦時に中国の4割程度の国力(GDP)しか無かった日本が、中国領土の3割以上も占領、海岸線を封鎖して7年も持ちこたえたことは、現代日本人にはまず想像できない衝撃だった。なお、現代日本のGDPはちょうど中国の4割ほどで、中国エリート的には「やっと1937年水準か」と溜息が出る話で、経済力で日本を圧倒するまでは全く安心できないかもしれない。こうした歴史が分からないと、中国側の安全保障観は全くイメージできないのだ。
現代日本人から見える「中国による海洋進出の脅威」も、中国からすれば「日本によって7年間も海上封鎖されたトラウマの克服」という側面があることを、我々は理解する必要がある。現代においても、日本政府が提唱する「インド太平洋戦略」の目的は、「対中封じ込め」にある。これが分からないと「一帯一路」の本質も理解できないだろう。

【参考】ロシア人の安保観を代弁する

ただ、中国が身の丈に合った(4万kmの国境防備)国防力を有するだけでも世界有数の軍事力を必要とするため、そのシヴィリアン・コントロールは非常に難しいものとなる。中国四千年は、軍事力を強化すると地方が軍閥化し、地方軍を縮小・廃止して集権化すると中央軍が弱体化して国防が脆弱になる歴史の繰り返しだからだ。それでも、強大化した軍隊を抑えるためには、相応の強権が必要となるのは否めない。欧米諸国や日本が、中国やロシアを敵対視する姿勢を止めない限り、彼らもまた軍事力の強化に努めるほか無いのだから。
以下、続く
posted by ケン at 13:17| Comment(0) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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