2018年05月09日

山崎雅弘『1937年の日本人−なぜ日本は戦争への坂道を歩んでいったのか』

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『1937年の日本人−なぜ日本は戦争への坂道を歩んでいったのか』 山崎雅弘 朝日新聞出版(2018)

『「天皇機関説」事件』『西部戦線全史』に続く山崎雅弘氏の新著。
戦前期日本の一大転換期となった1937年に焦点を絞り、政治や軍事の流れではなく、当時の新聞や雑誌を丹念に読んで整理し、大衆の目線から見た1937年・昭和12年の日本の情況を再現する試み。
1931年の満州事変、同33年の国連脱退、同年の滝川事件、35年の天皇機関説事件、36年の日独防共協定など、日本は当時すでに坂道を転がり落ちるように、軍国主義と国家主義に染まりつつあったが、大衆においてはその自覚は非常に希薄で、その関心の多くは「昭和恐慌からの脱却」「消費文化の謳歌」にあった。戦後のマルクス史観や、「後世の歴史家」の視点では、とかく「暗黒の時代」とされがちな時代だが、実際のところはどのようなものだったのだろうか。
このテーマについては、本ブログでも一度記事にしているので、一部再掲したい。
他方で戦前昭和期は政治と軍国主義に熱狂した時代でもあった。
初めての男子普通選挙(納税制限を伴わない25歳以上の成年男子による衆議院選挙)が行われたのは1928年のことであり、これによって有権者数は300万人から1200万人以上に増え、婦人参政権運動も一定の盛り上がりを見せた。この当時の選挙は買収や虚言が飛び交うものだったとはいえ、「国民全男子が政治に参画する」という高揚感があった。それは投票率が、1928年の衆院選が80%、30年が83%、32年が82%であったことからも容易に見て取れる。
また、1932年に結成された合法社会主義政党である社会大衆党はほぼゼロからの出発であったにもかかわらず、37年の総選挙では38名の当選を果たし、東京の各選挙区ではトップ当選が続出した。結局のところ日中戦争に伴う政党・議会政治の衰退で解体に向かってしまうものの、社会主義政党に対する期待感はなかなかに高いものだった。

ところが普選導入から数年で、政治熱の高まりは既存政党の腐敗によって失望に転じ、軍部に支持が集まって、テロや反乱を世論が肯定する事態になる。その一方で、1931年に満州事変が起きて、満州に日本の傀儡政権が成立、33年には日本軍は熱河省と河北省を占領(熱河作戦)、報告書を不満として日本は国連を脱退する。
1935年の第二次ロンドン軍縮交渉では、兵力比の平等を主張する日本の主張が受け入れられなかったため、これを脱退、大和型戦艦の建造が始まった。
同じく35年には「華北分離工作」などで日本の勢力圏がさらに拡大、37年に始まった日中戦争では、開戦から4カ月で中国首都の南京を占領、連戦連勝を重ねた(正確には宣戦布告していない)。
これ以降、1942年頃まで日本の勢力圏と軍備は拡大の一途を辿っており、新聞やラジオは常に軍の勝利と帝国領土の拡大を報じ、学校では教室に貼られている世界地図に次々と日章旗が加えられていった。

当時の平均的な日本国民は、植民地獲得競争における大日本帝国の勝利に酔いしれ、実態を伴わない軍備拡張に狂喜乱舞し、中国を蔑視し、アメリカやイギリスと対等に渡り合えているという幻想に囚われていた。
「米英と戦争して勝てるワケが無い」などと考えているのは、ごく一部のインテリに限られており、それらは当局によって言論を封じられ、あるいは投獄されていった。
「一部の軍人や官僚が暴走した」という戦後史観は間違ってこそいないものの、「大勢の国民は軍部に騙された被害者だった」というのは大ウソだった。満州事変でも盧溝橋事件でも、現地軍の暴走を抑えようとする軍中央や政府中枢に対して、現地の暴走を支持したのはマスゴミと国民世論だったのである。軍官僚の暴走は国民の支持なくしては成立しがたかっただろう。仮にこの当時に世論調査をしたとしても、日中戦争や対米英戦を支持する割合が圧倒的に多かったと思われる。
(戦前は暗黒だったのか?)

山崎氏は、当時の朝日新聞、アサヒグラフ、改造、主婦之友、中央公論、少年倶楽部などを丹念に取り上げながら、当時の時代風潮や空気感の再現を試みている。少なくとも日中開戦前は、現代の日本人が考えるよりもはるかに言論の自由があり(残っており)、新聞各紙も慎重ながらも必ずしも政府に盲従していたわけではなかった。
この試みは非常に面白く、かつ重要な視点だ。現在も今から数十年もすれば、「2010年代の日本は暗黒時代の入口にあった」と言われてもおかしくない情況にあるが、それを自覚しているのは、ごく一部のリベラル・左派のインテリ系に限られているところは、酷似していると言える。

惜しむらくは、現代において検証できるのが印刷メディアに限られているので仕方ないのだが、大手新聞や論壇誌のようなインテリしか読まない媒体のみの検証となっているため、「大衆目線の再現」が実現できているのかとなると、厳しいところがある。
例えば、1935年の中等教育(旧制中学校など)就学率は、男子40%、女子33%で、平均36%に過ぎなかった。先日亡くなられたK顧問は1923年のお生まれだったが、同年代で旧制中学校に進学した男子は2.5人に1人というエリート状態にあった。同時代のソ連の場合、前期中等教育の就学率が(質は別にして)90%前後であったことを考えれば、「よくこの教育水準で艦隊や航空隊を運用できたな」というレベルにあったのだ。なお、大学進学率になると4%前後にまで下がる。
先人の話を聞く限り、新聞を読む時点でインテリの扱いで、基本的には中等教育修了者が大多数を占めていたようだ。まして論壇誌を読むのは、3〜4%しかいない大卒者に限られていた。この辺から考えると、「大衆目線」を再現するなら、できるだけ学歴の無い同時代人の日記や手紙を検証する必要がある。今後の課題として良いだろう。

【訂正、5月22日】戦前期における中等教育の就学率に誤りがあったので訂正しました。

【序章】 一九三六年十二月 白亜の議事堂開院式
・帝国議事堂(現国会議事堂)の完成と第七十議会の召集
・一九三六年末における日本の政治状況

【第一章】 一九三七年一月〜三月 国力に不釣り合いな軍備増強の予算成立
・新年早々から危機に直面した広田内閣
・広田内閣総辞職と後任宇垣内閣の「流産」
・陸軍の林銑十郎大将を首相とする新内閣の誕生
・議論の的となった「厖大予算」の修正

【第二章】 一九三七年四月〜六月 国民の政治不信と近衛内閣の誕生
・完全な裏目に出た林首相の解散総選挙
・状況改善の兆しを見せ始めた日中関係
・なかなか進まない東京オリンピックの準備
・(第一次)近衛文麿内閣の誕生

【第三章】 一九三七年七月 運命の「北支事変」はじまる
・日中戦争勃発直前の内外の状況
・盧溝橋事件の発生――日中戦争のはじまり
・一進一退の様相を呈した現地部隊の交渉
・近衛内閣の「挙国一致」戦時体制づくり
・日中全面衝突へのカウントダウン
・本格的な地域紛争へと発展した日中両軍の戦闘
・紛争の長期化を見越した日中双方の態勢づくり

【第四章】 一九三七年八月 増え続ける死傷者と戦費
・盧溝橋事件の翌月に始まった「戦時体制」への転換
・増え続ける戦死者とそれを讃える「殉国美談」
・上海へと波及・拡大した日中戦争

【第五章】 一九三七年九月 東京五輪開催返上論の登場
・ついに全面戦争へと拡大した日中の武力衝突
・雑誌記事から読みとれる当時の日本国内での議論
・正規戦で決着をつけたい日本と不正規戦に持ち込みたい中国

【第六章】 一九三七年十月〜十一月 戦略不在で激化する対中戦争
・先行きが不透明なまま拡大を続ける日中戦争
・国民に戦争の当事者意識を植え付ける「国民精神総動員」運動
・日中の全面戦争化に対する諸外国の反応
・自覚なき戦争拡大と戦略なき日本政府

【第七章】 一九三七年十二月 南京の陥落後も終わらぬ戦争
・「南京陥落景気」に期待した百貨店と小売店
・プロ野球、大相撲、そして南京の陥落
・日本軍の南京入城式とそれに向けた「清掃」
・国内の「抗日分子」を弾圧する警察の一斉検挙
・一九三七年の年の瀬を迎えた日本人の暮らし

【終章】 一九三八年 敗戦まで続く日本の「戦時体制」の完成
・近衛首相の重大声明「蒋介石を相手とせず」
・主婦や子どもは日中戦争をどう受け止めたか
・一般市民も戦争関連業務に徴用される国家総動員法の審議
・日本人の生活を大きく変えた国家総動員法の成立
posted by ケン at 12:43| Comment(5) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

 そう言えば、当時のAV(18禁の事じゃないですよ)はどれ位
アーカイヴされているんでしょうね。
映画(活動写真)、流行歌謡、各種芸能、教養講座・・
ニュース映画「日本ニュース」が配給され始めるのが昭和15年(1940)の終わり頃ですし、当時の記録技術ではラジオ放送は殆ど記録が残って
いません。(SP盤で一枚3分程度しか記録できなかったそうです)
終戦直後はせっかく記録した資料を連合軍の訴追を恐れて「破棄」
してしまった物も結構あるそうです。
そう言う意味では「我々の思い浮かべる戦前はいつ作られたか」と
いぶかしがる事もできてしまいますね。
我々はもっと色々な視点から「戦前」を見るべきなんでしょうね。
「あの頃ぼくらはアホでした」と言い訳しない為にも・・。



Posted by ムラッチー at 2018年05月09日 19:53
映画はそれなりにあります。歌謡曲もそれなりにあります。それ以外はなかなか厳しそうです。どちらも商売かプロパガンダですから、あくまでも参考にしかなりませんね。
Posted by ケン at 2018年05月11日 23:21
突然ですが書き込みさせてもらいます。個人的には石原慎太郎の尖閣Γ国有」化が最近の動向の中で戦前を想記させた事例です。
何せ一地方自治体の首長が政府の頭ごなしに係争中の領域を勝手にΓ国有」化したのですから。
これって政府のガバナンスに対する挑戦というか、いや反乱以外の何物でもないでしょう。まさに関東軍の戦争開始を想記しました。
その後の日中関係に与えた壊滅的な影響を考えれば、確実に日本の国益を害したのに。。翁長知事とは比べようもないほど酷いですよ。
さすが太陽族!って話じゃなくて、全然冷静に評価(むろん否定的な評価になりますが)されていないところに、政策なり政治的判断なりに対する日本社会の恐ろしいほどの欠陥がポッカリと見えているのですが。。
誰か言ってあげてください。空っぽだよと。そう、日本は中心が空っぽなのでした。。そして天皇で装おう。まさに糊塗する。象徴?いや、でも実体がないんです!ひぃぃお化けだ!逃げろ😱💦!(笑)。
僕は逃げれない。。子供もいるし、仕事もあるし。。😞💨
Posted by 高橋良平 at 2018年05月22日 18:26
尖閣国有化は、日中両国をヒートアップさせてしまいましたが、実情としては登記上の所有者が個人から公的法人(国)に移っただけの話で、登記上の名目が個人か国かなどという話は、係争地について何の意味もなさないんです。

尖閣問題は、開発したい中国と、コストが高く付くから嫌だという日本の交渉が進まないまま、中国が外堀を埋めつつある状態なので、早めに手を打った方が良いのに、日本側が原理原則にこだわって交渉自体を否定していることに起因しています。

将来的なことを考えれば、むしろ子どもがいるからこそ、日本に残る方が危険かもしれませんよ。
Posted by ケン at 2018年05月23日 12:43
ケン様

返信ありがとうございます。
では尖閣国有化以降の日中関係の緊張というのは、むしろ中国側がここぞとばかりに緊張を煽り立てた結果ということなのでしょうか。たしかに中国の海洋進出は目を見張るものがありますし。
日本の今後は大分悲観的にはなりますが、しかしアメリカやロシアなども大分酷くなると思います。
自分は語学も技術もお金もないので、国外という選択肢はありません。
なので国内で変革を志向するしかないのかなと思っております。
Posted by 高橋良平 at 2018年05月28日 01:17
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