2018年05月23日

日本の教育はなぜ空洞化したか・上

大卒新人の能力低下が聞かれるようになって久しいが、その原因についてはいまだ特定されておらず、特段の対策もとられていない。結果、英語教育の拡大や早期化、あるいはアクティブ・ラーニングの導入など不要不急の政策ばかりが施行され、ますます被害を拡大させるものと推測される。
「被害拡大」というのは、学習効果のさらなる低下と教育現場のさらなる荒廃を意味する。

文部科学省のこうした現場や現状を無視した政策は、1944年3月にインド侵攻をめざしたインパール作戦や、同年4月に中国大陸の南北貫通をめざした大陸打通作戦を彷彿させる。
個別的には「このままやられるくらいなら先にやってしまえ」という判断からなされた作戦だったかもしれないが、全体的にはすでに摩耗していた戦力をさらにすり潰してしまった観がある。
文科省の失敗は旧陸軍と同様、全体の戦略と着地点の見通しを持たないまま、その場しのぎの対応や見栄えの良い政策を優先させた結果、全体の整合性を破綻させてしまったところにある。

現代の公教育は、もともと大量生産社会に対応した工場労働者の質的向上と標準化を目的に導入され、同時に国家や企業体の管理層の巨大化に対応して高等教育の拡大が図られた。
そのため、初等教育では読み書きと計算を中心に、ごく基礎的な自然科学と国民教育に必要な社会科目が加えられた。初期の工業化時代であれば、工場労働者に求められた能力は初等教育で十分だったが、時代を経てブルーカラー労働者に求められる能力が高まり、同時に事務労働分野も量的に拡大していったため、中等教育が拡充・整備されていった。蛇足になるかもしれないが、歴史についても触れておきたい。

日本では1872年に学制が導入されて4年間の初等教育が実質義務化されたものの、1900年まで有料だったため、現代日本人が考えているほど通学率は高くなかった。例えば、尋常小学校の就学率は1890年にようやく50%を超え、70%を超えたのは1899年のことだった。特に日清、日露戦争後は軍事優先で財政難が続き、初期中等教育(今の中学校)の義務化・無償化が実現するのは第二次世界大戦後の1947年を待たなければならなかった。
なお、日本の中等教育の就学率は、1915年で20%、1935年で40%でしかなかったことは特筆に値する(但し地域差が非常に大きい)。この影響は、戦時動員にも影響が見られる。例えば、日本の陸海軍における航空搭乗員は1割が士官、9割が下士官で、アメリカの9割士官、1割下士官の真逆を行っていたが、これは士官を担えるだけの後期中等教育修了者が圧倒的に不足していた事実を裏付けている。

これに対し、義務教育の本場とも言えるフランスでは1926年には中等教育が義務化され、1930年までに実施されている。
1905年の日露戦争時には、ロシア軍人をして「日本軍は一般兵士が読み書きできる」と驚愕せしめたロシアでは、1917年のロシア革命を期に義務教育が導入された。だが、長い内戦の影響もあって必ずしも普及が進まず、1927年段階でも8〜14歳児の就学率は46%でしかなかった(革命時は10%以下)。だが、スターリン体制下で教育制度も強行に普及推進された結果、1932年には85%を超えるに至っている。これは全体主義の「正」の側面と言える。
戦前の日本において、軽工業から重工業への移行が遅れた背景には、中等教育の普及遅延という問題があったことは、もっと指摘されてしかるべきだろう。

話を戻そう。重工業化の過程で中等教育の価値が高まるのは、単純に言えば、作業の難易度が高まり、労働者に求められる理解力・対応力も高まるためである。この場合、理解力・対応力というのは、具体的には作業マニュアルの難易度が高まり、マニュアルに沿った作業にしても複雑化することを意味する。そこで求められるのは、パターン認識力とパターン対応能力になる。各労働者に求められるパターンがどれに相当するか理解し、マニュアルに沿った対応をすぐさまとれるかどうかがポイントとなる。

中学校の数学や外国語が、ひたすら公式を覚えて、出題された問題に当てはめてゆく「作業」であるのは、そのためだと言える。また、中学校の国語は、マニュアルを読んで理解し、模倣する能力を身につけるために存在すると言える。また、初中等教育で学習習慣を身につけることは、社会に出てから新技術に対応する術を学ぶことになる。
これらは、重工業の工場労働やホワイトカラーの単純事務に求められる基礎能力に相当する。

世間ではよく「学校で学んだことなんて社会に出ても役に立たない」などと言われる。確かに因数分解も歴史年号も実際に使うことはまず無いものの、中等教育でパターン認識力、パターン対応力、あるいは学習の習慣を身につけないと、社会に出て労働者として何の役にも立たないことになる。中学校の教科書を読めない(読まない)ものは、会社でマニュアルを渡されても読めない、あるいは読み方すら分からないに違いない。
(以下続く)
posted by ケン at 12:13| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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