2018年06月27日

白井聡『国体論―菊と星条旗』

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『国体論―菊と星条旗』 白井聡 集英社新書(2018)
【目次】
 序――なぜいま、「国体」なのか
年 表 反復する「国体」の歴史
第1章 「お言葉」は何を語ったのか
第2章 国体は二度死ぬ
第3章 近代国家の建設と国体の誕生(戦前レジーム:形成期)
第4章 菊と星条旗の結合――「戦後の国体」の起源(戦後レジーム:形成期1)
第5章 国体護持の政治神学(戦後レジーム:形成期2)
第6章 「理想の時代」とその蹉跌(戦後レジーム:形成期3)
第7章 国体の不可視化から崩壊へ(戦前レジーム:相対的安定期〜崩壊期)
第8章 「日本のアメリカ」――「戦後の国体」の終着点(戦後レジーム:相対的安定期〜崩壊期)
終 章 国体の幻想とその力

亀山ゼミでともにゲストだった白井同志の新著。4月末に出て、5月末に4版なのだから、今時の新書としてはベストセラーなのだろう。
「同志の本だから改めて読むまでもないか」と思っていたところ、献本されたので読んでみたところ、概ね本ブログで主張しているところとかぶっており、政治哲学・思想面から新書レベルの解説がなされている程度で、一種のスタンド・アローン感(共謀せずとも同じ結論に導かれる状態)を覚えた。

日本を支配しているのは霞ヶ関や自民党ではなく、米国であり、霞ヶ関と自民党は冷戦期東欧の共産党と同じ「モスクワの代理人」ならぬ「ワシントンの代理人」に過ぎない。それを覆い隠す表看板として象徴天皇制がつくられ、支配権の担保として在日米軍が置かれている。日米安保の不平等性はそれを明示している。在日米軍は、あくまでも米国覇権のために存在するものであるため、霞ヶ関と自民党を守護するために自衛隊が設置された。自衛隊法に自衛隊の役割として「国民保護」が明記されていないのはそのためである。
戦前の国体は、封建社会を国民国家に再編成し、工業化を実現しつつ、帝国主義時代を生き残ることを目的に、人民を臣民として無制限に動員するためにつくられたが、世界覇権を求めてアメリカと戦争し、廃滅寸前にまで追い込まれた。

戦後、その国体は西側自由主義体制の一員として冷戦を戦い抜くために、アメリカの後方基地あるいは資本元となることを目的に再編成された。戦前期に軍国主義や権威主義体制に奉仕した戦争犯罪者たちは、対米協力を誓うことで公職追放を免れ、あるいは解除された。1950年代の鳩山・岸内閣において閣僚の7割前後が戦犯だったことが、それを証明している。
1950年代から60年代の学生運動や反安保運動は、こうした擬制システムに対する異議申し立てだったが、政治的あるいは暴力的に弾圧され、その後は経済成長の中で個別的に不満が解消されていった。
今日、自民党政権が対米従属を強化し、国民経済を顧みることなく軍事的、経済的支援を行うのは、米国覇権こそが霞ヶ関・自民党による日本支配の源泉であり、国体そのものであるため、終戦時の大西軍令部次長が「あと2000万人の日本男児を特攻に!」と絶叫したのと同様、「日米同盟のさらなる深化」が叫ばれている。
その従属関係や支配構造の本質を覆い隠すために、象徴天皇制と「アメリカに愛される日本」「自由民主主義を奉じる日本」といったフィクションが連綿と(臆面も無く)主張されている。

現行の象徴天皇制・昭和帝政は、対米傀儡(アメリカ覇権の基地)と明治帝政のハイブリッドであるため、米国の覇権が後退すれば、明治帝政の亡霊が復活するのは道理であり、かと言って今アメリカがアジアから撤退すれば、昭和帝政の正統性が失われるだけに、「権威主義で対米従属強化」という、見るもおぞましい政権が成立している。
昭和帝政は、明治帝政以来の政官業報の癒着構造の上に成り立っているため、権力を相互監視する仕組みがなく、腐敗の一途をたどっている。さらに、日本の教育制度は、来日した東ドイツの教員組合幹部がうらやむほどの高い従属・洗脳度を実現しており、体制内批判はわずかにしか存在しない。

ケン先生の主張と異なるところもある。同志は必ずしも明示していないが、憲法改正(反対)、デモクラシー、国民国家の部分である。ケン先生的には、デモクラシーと国民国家はすでに賞味期限切れを起こしており、19世紀の遺物であると考えている。憲法9条は、日米安保と表裏一体のものであり、同時に象徴天皇制の要でもあり、これも冷戦の終焉と同時に成立しがたくなるものである。
恐らくは、同志の場合、そこまで踏み込んでしまうと商業上成り立たなくなってしまうため、最後の最後で日和ってしまっているものと思われる。にもかかわらず、特に体制派からは「サヨク」「レーニン主義者」のレッテルを貼られる攻撃にさらされているが、同志が本書で階級闘争を煽っている部分は一つもなく、連中が「王様の裸」を指摘されて狼狽しているのが見て取れる。

「戦後国体が崩壊した後、どうなるのかについて書いてないのは不誠実」なる批判もあったが、ソ連が崩壊した後、ロシアも中央アジア諸国も「選挙で偽装された権威主義国家」が成立しただけで、欧米諸国が望んだデモクラシーが成立したわけではない。欧州帝国に編入された東欧諸国では、ポーランドやハンガリーを始め、続々と権威主義政権が成立している。
日本の場合、日中戦争を経るかどうかは別にして、自民党に替わる親中政権が成立し、霞ヶ関も親中化、アメリカ軍が中国軍に替わるだけで、「フタを開けてみれば同じ連中」という可能性も十分にある。
また、天皇制は、支配者は天皇に対して責任を負い、天皇は一切免責されるという無責任システムであるため、どの為政者にとっても非常に使い勝手が良いだけに、市民がよほど強い自覚を持たない限り、形を変えて存続してしまうかもしれない。
posted by ケン at 12:31| Comment(8) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>また、天皇制は、支配者は天皇に対して責任を負い、天皇は一切免責されるという無責任システムであるため、どの為政者にとっても非常に使い勝手が良いだけに、市民がよほど強い自覚を持たない限り、形を変えて存続してしまうかもしれない。


これこそ、日本の最大の癌と言うか天皇こそ日本最大の厄災を思います。

「天皇制死なずんば、日本人は安きを得ず。」です。

日本人の最大の敵は天皇ですね。


ではまた。
Posted by 忠武飛龍 at 2018年06月27日 15:02
反天皇云々とかじゃなくて「共和主義者」とスマートに言えばいいだけの話だと思うのですが。
Posted by o_tsuka at 2018年06月27日 20:50
自分は平成帝に対しては、過剰なくらい同情を示しているつもりなのですが、制度としての不平等性と邪悪さに変化はありません。

スタンスとしては、本ブログが政治ネタを扱うようになってから、もう十年以上共和主義者を自称しています。
Posted by ケン at 2018年06月28日 13:05
 ケンさんの記事の中で昭和帝に対する評価の記事はありますか?天皇制の制度としての昭和帝ではなく、人間個人の評価としてです。

よろしくおねがいします
Posted by 一読者 at 2018年06月29日 01:41
今の自民党政権は旧東欧諸国のソ連傀儡政権と似た位置にあるというのは、卓見ですが、一つ大きな違いがあって、それも無視できないと思います。

それはですね、人民の視線というか、支持度の違い。
80年代末に旧東欧諸国をフラフラ旅行していた学生に話を聞いた記憶では、当時の東欧諸国の一般庶民はホンネでは、体制に不満を持ち、嫌悪していたと言ってましたね。
だから、秘密警察等を使って、弾圧をしなければならなかったわけです。

これとは逆に本邦では、秘密警察も弾圧も未だほとんどみられないにも関わらず、有権者はかなり体制を支持していますし、それどころか、日本会議や維新の興隆等、草の根から全体主義が湧き上がってくる様子。

なぜ、違うのか、結構、重要だと思うのですけどね。
Posted by はなはな at 2018年06月29日 04:28
一読者さん、昭和帝については最近では「「米内を斬れ!」の遠景を望む」で触れていますが、確かに人間評価的なものは少ないですね。私のイメージは、山田朗『昭和天皇の戦争』と豊下楢彦『安保条約の成立』に負うところが大きいです。

はなはなさん、ご指摘ありがとうございます。その説明はいつかしなければと思っていたのですが、なかなかまとまった時間がとれず、先送りになっています。

ご指摘の件ですが、東欧諸国の大衆がみな体制に不満を持っており、自由を求めていたというのは、典型的な自由主義史観です。ソ連の場合、一部のインテリや若者を除いて圧倒的多数がソヴィエト体制に満足していました。評価が変わるのは、物不足が深刻化する1988年前後からです。KGBによる国民監視も1980年代には緩められており、いわゆる政治犯は200人以下になっています。

東欧の場合も、経済状態に依存しているようで、ポーランドでは1970年代から大変なことになっていましたが、ハンガリーやチェコスロヴァキア、あるいはブルガリアでは、1980年代後半まで不満は表出していません。チェコスロヴァキアの場合、「プラハの春」で一度弾圧されたことが影響しているとは思いますが、「プラハの春」からして地方と都市部、あるいはチェコとスロヴァキアでかなり色合いが異なるので、「国民が自由を求めて立ち上がった」と一括りにしてしまうのは、厳しいものがあります。ただ、都市部の大学生と話せば、相応の確率でおっしゃるような評価が出たと思います。

ソ連、東欧に見られた問題は、社会に対する無関心でして、「社会をより良くしなければならない」という意欲が抑えつけられ、抱かないように教育された結果、体制内サボタージュが蔓延し、社会の劣化を促進、統治システムを融解させてゆきました。社会的不満が積極的に示されたのは、最後の最後になってからです。
この辺の機微が理解できないと、KGBやシュタージが抵抗らしい抵抗もせずに瓦解していったプロセスが説明できません。

後半部ですが、投票率が国政で50%強、地方で30%前後という状況で、「デモクラシーが広く支持されている」と断言できるでしょうか。むしろ小さな不満を抱えたまま政治的無関心と不関与を決め込む層が増えているように見えます。これは実は、ソ連・東欧の70年代末から80年代初めくらいの状況に似ています。

秘密警察については、日本では積極的に弾圧していないだけで、国会デモに参加されたことがあれば分かると思いますが、参加者の顔は全て撮影され、精密にファイリングされています。「いつ活用するか」の問題なんですよ。それを想定しての共謀罪ですし。

結局のところ、貧困と不平等が拡大し、統治者にその解決手段と能力が無い場合、瓦解するか暴力的解決が望まれるかのいずれかに行き着きます。私は、日本も遠からずそうなるだろうと踏んでいます。
Posted by ケン at 2018年06月29日 14:46
「国体論」、自分も読んでみようかと思っていたのですが、松尾匡氏(立命館大教授・マルクス経済学者)が下記の批判をされていたことが気になります。

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__180709.html

<何が一番この本の問題かと言ったら、階級的視点が弱いことですね

<『国体論』は、アメリカから自立できさえすればともかく解決という論調に終始しているように読めます。現実に対米自立が実現したらどんな自立になる可能性が一番高いかということについて、怖い想定を何もしていないところが不満なところです

<つまり、後醍醐天皇の討幕の綸旨などと同様に、「日本人の霊的一体性を保つための天皇の祈りを意味のあるものにしてほしい」という“天皇の「お言葉」に応答して民衆が立ち上がり、アメリカ傀儡の安倍政権が代表する戦後対米従属レジームを打倒して、歴史の転換が画される”ことを訴えているわけです!

ちなみに、松尾氏は白井氏の反論への反論で、天皇制廃止がファーストベストと仰っていました(http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__180711.html)

他にも、東工大教授の中島岳志氏も「君民一体の国体によって、君側の奸を撃つ」思想は危ないと懸念しています。

私的には、あのヘンリー・キッシンジャーの言葉を借りるのは癪ですが、「瓶のふた」が無くなった後の日本のほうが嬉々として暴走の道を突っ走る危険が明らかに高いでしょうし、それを防ぐ手段が何も準備されてないのが恐ろしいところです。
Posted by スパルヴィエロ大公 at 2018年08月16日 15:30
松尾先生は今どき堂々とマルキストを自称するガチな方ですから。白井同志も当然マルキストなのですが、そこは政治学者と経済学者の視点の違いだと思っています。著書に階級的視点を入れてないのは、比較的裕福な高齢者が主なターゲットであるため、商業上の理由も多々あると推察はしますが。天皇制についても同様です。

興味深いのは、戦前の明治帝政において明治帝にしても昭和帝にしても、戦争回避論者がトップに有りながら、常に好戦的な政策が採られ続け、暴走の歯止めとならなかったにもかかわらず、戦後の昭和帝政では象徴天皇制が平和の要であるかのように考えている脳天気な年寄りどもが多いのは、どうにも理解できません。

精神論と権威主義があらゆる組織と社会で幅をきかせている限り、「瓶のふた」などあり得ないと思いますよ。
Posted by ケン at 2018年08月17日 09:43
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