2018年12月08日

現代フランスで黄巾党が蜂起? 下

前回の続き)
リベラリズムが本質的にエリート支配を志向するのに対し、デモクラシーは大衆による大衆の支配を至上のものとする。20世紀後半の欧米日の議会史は、リベラリズムとデモクラシーの融合が奇跡的に上手くいったために成立しているだけの話で、それは第三世界などから資源を収奪して加工品を高く売りつけることで利潤を獲得し、その利潤を国内に分配することで成立していた。さらに言えば、ソ連・中国などの対立する東側諸国の存在が、国内の階級対立を抑止していたこともある。

ところが、冷戦が終結し、工業国としての利潤も上がらなくなった結果、欧米日諸国は例外なく財政難にあえぐことになる。国内の階級対立を抑止するため、社会福祉とインフラに過剰な投資をしてしまったためだ。
そして、慢性的な財政赤字を解決するために米欧日で導入されたのが新自由主義だった。社会福祉を削減し、インフラ投資を始めとする政府支出を極限まで削減する手法である。それは国内対立の激化を招く恐れが強かったため、アメリカは冷戦の終結を急ぐことになるが、ソ連が急激な改革に失敗して自壊したため、命脈を保つことになる。実は、仮に冷戦が続いていた場合、米欧日もまた財政赤字で自壊した可能性があるのだが、それについては機会を改めて書きたい。

冷戦が終結した結果、アメリカは欧州以外の旧ソ連圏を含む社会主義国を植民地化し、市場と資源と安価な労働力を確保、西欧は東欧を支配することで市場と安価な労働力を確保、日本は市場経済化した中国に進出することと自国民を非正規労働者化(社会保険の適用を外す)することで、実は経済と財政の崩壊を免れるところとなった。
だが、それは一国の経済主体あるいは労働を外部委託しただけの話であり、資本は命脈を保ったものの、米欧は安価な移民労働に依拠したことで失業が蔓延、日本では労働者の4割が超低賃金かつ社会保険の適用外に置かれる事態に陥った。

国家を運営し、国民を支配するエリートにとっては常に現状維持が最大の課題であるため、経済規模(具体的にはGDP)を維持し、財政難を克服することが最優先となる。また、技術進化と自由化に伴って、資本の移動が容易となったため、国内資本が海外に流出しないよう、これを優遇することが、エリートの統治原理において「最も合理的」選択となった。
結果、エリートは、米欧日のどの国でも例外なく、国家間で富裕層の優遇を競い合いつつ、その「穴埋め」として中低所得層からの収奪を強化する他なくなっている。同時に、産業の外部委託と技術革新によって、中間層自体が急激に没落しつつあり、国民の大多数が収奪される側になっているのが現状だ。
米欧日、どの国のエリートに聞いても、高確率で「富裕層に増税したら海外に出て行っちゃてもっと貧しくなっちゃうヨ。でも財政難だから、ゴミどもから吸い上げるしか無いんだよネ、他に選択肢なんてないサ」と答えるだろう。

本来、こうした「エリートの論理」に対して「大衆の論理」が一定の抑止をかけることで、国内の階級対立の激化が防がれる構造になっていた。ところが、フランスの大統領選と国民議会選挙に象徴されるように、「選挙するとエリートが当選しちゃう」構造ができあがっている。これは、フランスの場合、収奪される側の大衆が大分裂状態にある一方、エリート層は一致団結しているため、絶対得票率にしてわずか十数パーセントで大統領と議会の多数を占める構造から説明できよう。
しかし、一方で階級対立と国民の不満は増すばかりで、エリートによる社会支配は脆弱化する一途を辿っている。そのため、欧米日ではどの国でも「テロ対策」と称して独裁国家水準の治安立法を次々と通している。それはフランスでも例外では無い

議会や大統領が全く(多数の)民意を反映しない以上、大衆としては直接行動に訴えるほか無く、それが今回の「黄巾の乱」の原動力になっている。言い換えれば、今回の蜂起は、エリート支配と議会制度に対する、民主主義の現出であり、これを「ただの暴徒」と言ってしまうマクロン大統領の感覚は、バスチーユ事件が起きた日の日記に「何もなし」と書いてしまうルイ16世の感覚と酷似している。

そもそもフランス革命は、アメリカ独立戦争などに肩入れして財政難に陥ったフランス王家が非課税の貴族と聖職者に課税しようと自分で三部会を招集したにもかかわらず、統制が効かなくなると弾圧に転じてしまったことから始まった。
その意味で、富裕層に減税をする一方で、大衆増税を進める米欧日の情勢は、革命前のフランスに近くなってきていると言えるだろう。ただ、日本には民主主義の伝統も考え方も無いため、ひたすら収奪されるだけにあるとは言えよう。だからこそ、「フランス人は非理性的だ」などと言えるに違いない。「人間らしい暮らし」を求めて街頭に出るフランス人と、「生きていられればいいや」と沈黙する日本人、どちらが人間的かという話なのである。
【追記】
第15条(行政の報告を求める権利) 社会は、すべての官吏に対して、その行政について報告を求める権利をもつ。

第16条(権利の保障と権力分立) 権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。
「人間と市民の権利の宣言」(1789.8.26)
posted by ケン at 00:00| Comment(4) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いやあ、勉強になります。

結びに全く同感で、かかる市民蜂起を否定的揶揄的ニュアンスで伝える媒体に覚えた違和感をそのまま言葉にして頂いた気分。政権追従報道垂れ流しを続ける連中に期待出来ぬのは分かってますが。。。ヤフコメやTwitterの類をそれと捉えるのは不適切でしょうから正味な世論は掴みかねますが、『フランスでもこれなんだから外国は危ないねえ』『やっぱり日本が一番だねえ』といった思考停止が太宗を占めるパターンが容易に想像されてしまうのが正直なところ。。。

ところで、この下編の1-3パラグラフあたり、冷戦終結が国内階級闘争再燃を誘ったと理解される一方で、米国のケースとして『階級闘争抑制の為の社会福祉士への過剰投資→財政難→冷戦終結の必要性』とされている様で、因果関係が前後している様に読めるのですが、これは当時の米国に階級闘争を誘う別の事情が有ったという事でしょうか。
Posted by mashimo.koichi at 2018年12月08日 09:54
体制保守の右翼とノーメンクラツーラの左翼ばかりになってしまった本邦じゃあ、こんな大衆運動は起こりようがないのでしょう。
あと少し前に、社会主義思想への評価が世界でダントツで低いのがこの国だという世論調査もありました(たった21%……)

https://digital.asahi.com/sp/articles/ASLCD44MVLCDULFA00V.html

「外国人3千人が加入の労組結成 日高屋、大半が非正社員」

結局は外(国出身者からの)圧しかないのかと。ははは。
Posted by スパルヴィエロ大公 at 2018年12月08日 14:14
今回のマクロン政権&先進国分析は大変鋭く、勉強になりました。

ベルリンの壁崩壊以来を振り返ってみれば、旧社会主義圏の崩壊は先進国労働者階級に甚大なマイナスを与えたこと、すなわち、資本家階級の労働者階級に対する妥協の必要性が大幅に減少した結果、イデオロギー的、政策的に新自由主義のフリーハンド状態を帰結したことと思われます。

元々、労働者階級の政治力が相対的に強かったEU諸国は、それでも、抵抗し続け、その結果、むき出しの搾取、差別は政治力のない移民や外国人労働者に向けられたのに対し、なんと日本では国民内に人工的に新たな下層階級を創り出すという離れ業をやっています。
その結果、日本国民の各階層の共通了解事項は、「今だけ、カネだけ、自分だけ」になってしまい、暴走以外の前途はないような状態になっているような気がします。

Posted by はなはな at 2018年12月08日 16:45
ありがとうございます。
アメリカのところは分かりづらかったですね。米国は米国で1970年代に深刻な財政難に陥り、レーガン大統領と新自由主義が登場します。しかし、新自由主義は国内の階級対立を促進するわけですから、国内の不穏が高まることが予測されます。過重な軍備負担と国内不穏の2つを抱えるのは危険なことであり、まずは冷戦終結が志向されました。しかし、アメリカから折れるわけには行かないので、まずはBEDを上げて交渉を有利に進めようとしたのが、SDI計画やアフガニスタン支援、東欧騒乱支援でした。もちろん本気でソ連打倒を考えていた人もいたでしょうし、どこまで意識的だったかはまだまだナゾなのですが。

ソ連がアメリカの手に乗らず、ゴルバチョフが民主化など考えずに、中国式の開発独裁方式を進めていれば、あるいは先に倒れていたのはアメリカだったかもしれないと、最近は考えています。

日高屋の件は象徴的ですね。あろうことか、戦争屋のゼンセンが外国人労働者を組織するのですから。
これはネタにさせていただきます。

「国内でこれ以上収奪されるくらいなら、外国でやってやれ!」と暴走した結果が、満州事変に始まる十五年戦争だったわけで、それが今は「移民を入れて収奪すればいいだろ」が議論されていますが、自分を殺すための処刑台を自分でこさえているような有様ですね。
Posted by ケン at 2018年12月09日 13:00
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