2019年02月21日

議会制民主主義の黄昏

【神奈川県議選24選挙区無投票か 全体の半数、前回2倍超】
 統一地方選の県議選(3月29日告示、4月7日投開票)で、県内全48選挙区のうち最大で24選挙区が無投票になる可能性が高いことが16日、神奈川新聞社の取材で分かった。前回2015年の2倍以上に拡大し、横浜市内(全18選挙区)は最大11選挙区に上る情勢。今も出馬を模索する動きはあるが先行きは不透明で、有権者が一票を投じられない選挙区は史上最多を更新しそうだ。
 かつて旋風を巻き起こした「第三極」の失速などが一因との見方もあるが、地方議員のなり手不足の問題が都市部にも及んでいる現状が浮き彫りになった格好。3政令市を抱える神奈川で、県議会の存在意義が改めて問われそうだ。
 県議選(定数105)の立候補表明者は、16日現在で138人。横浜以外の無投票は川崎市(全7選挙区)が1選挙区、相模原市(全3選挙区)が2選挙区、一般市町村は定数1の選挙区を中心に10選挙区。このままだと有権者の審判を受けない当選者は51人(48・6%)となり、過去最多タイで11選挙区・計19人だった前回を大幅に上回りそうだ。
 告示まであと1カ月余り。相模原市南区や横須賀、平塚市などで出馬の動きが取り沙汰されているものの、擁立作業が最終盤に入っている主要政党の追加公認は限定的な見通しだ。最大会派の自民党は50人を擁立。推薦する無所属の候補予定者を含めると目標の過半数に達し、残る1人区でも検討を進める。立憲民主党は都市部を中心に26人が出馬予定で、「定数3以上の選挙区で選択肢を示す」(県連幹部)方向で調整を続けている。一方、現職8人の擁立にとどめた公明党と国民民主党が新たに公認する可能性は低そう。前回より2人多い14人を擁立する共産党は一部で上積みを検討しているが、無投票の解消にはつながらない見通しだ。前回は維新の党(当時)などから計24人が出馬した「第三極」は、軒並み低調。希望の党が2人公認したものの、日本維新の会の公認はゼロ。社民党は前回に続き擁立を見送った。
(2月17日、神奈川新聞)

地方議会における候補者不足は以前から指摘されていたが、都市近郊においてすら選挙が成り立たなくなりつつあることが判明している。
一見(よく言えば)華やかな選挙が行われている国政選挙ですら候補者不足は深刻で、自民党も旧民主党も20年ほど前から自前で候補者を擁立できなくなり、公募に頼らざるを得なくなっている。公募は確かに一定数の応募があるものの、議員としての質には疑問のあるケースが多く、公募が常態化して以降、議員の質は大きく低下していると考えられる。もっとも、議員の質的低下が公募によるものなのか、他の理由によるものなのかについては、議論の余地があるとは言えるのだが。

私が「いよいよダメかも」と思う背景には、NK党ですら候補のなり手がいないという話を聞いたことがある。
NK党は本質的に全体主義・権威主義政党であり、党内で候補者選定の議論は行われるものの、基本的には民主集中制の原理に基づいて「党の要請」に従って党員が出馬する形式になっている。従って、党の要請があった場合、急病・重病などの特別な理由が無い限り、個人的理由や事情を鑑みること無く出馬することになっていた。ところが、最近ではこの党の要請を「些細な理由」で拒否するケースが続出しているという。党幹部などからすれば些細な理由でも、個々人にとっては影響が大きすぎ、出馬によるデメリットが許容できなくなっているからだと思われる。

かつて中選挙区制が華やかし頃は、自民党でも社会党でも出馬して落選した候補者はどこぞの組織や、あるいは個人が面倒を見て、次の選挙に備えたりして、落選による損失を最小限に抑えるシステムが存在した。こうした慣習は中選挙区制の終盤頃には失われつつあったが、NK党やKM党では小選挙区制導入後も一定程度機能していた。しかし、ここに来てNK党やKM党ですら落選者に対する手当ができなくなっているという。

どの政党、組織も高齢化が進み、中年層や若年層は少子化と生活保守化が進んで、中高年では老老介護などの問題も深刻化している。
また、1990年代以降、国会、地方ともに議員の待遇を削り、政治資金規正を強化してきた結果、「議員のうまみ」が失われると同時に、収入が少ない上に継続勤務による増収もなく、しかも落選すれば無職というリスクばかりが高まって、議員になりたいものが急減している。

例えばNK党の場合、自治体議員だと毎年100〜300万円、国会議員だと500〜700万円を党に上納しなければならず、国会議員の公設秘書は党が規定する党職員の給与水準との差額分をそのまま党に「寄付」することが秘書になる条件となっているという。よほどの「主義者」でなければ、やっていられないレベルの搾取である。

一方、自民党の場合、候補者不足から公募で候補者を擁立するようになったものの、地域や地場産業との繋がりがないため、献金が集まらず、選挙になっても地縁が無いため、運動員が確保できず、「(法の抜け道を利用した)バイト」頼みになって、実入りがなく、自転車操業になっている。かつては、「有権者からの陳情(主に公共事業誘致)→行政に圧力かけて解決→献金もしくは運動員の提供を受ける」というサイクルがあったが、このサイクルも瓦解しつつあり、「野党が弱いから」勝てているケースが非常に多い。
良くも悪くも「地域ボス」が議員を担っていた時代は、人もカネも廻っていたが、これが失われて久しくなっている。
平成の自治体統廃合によって自治体と地方議員数が大きく減ったことも、自民党組織の弱体化に繋がっている。

他方で、議員に対する有権者の要求はますます高くなる上に、「監視」の目も強まって、支持者・有権者からのパワハラの類いが増えている。私の感触でも、「議員はもうやりたくない」という愚痴や相談は非常に多い。
立憲民主党も、職員募集で1500人以上集まったというが(私は募集前に内々の打診があったものの断った)、統一地方選や参院選の候補者選定は非常に難渋している。これも表舞台に立つことのリスクが共有されつつあることの一つの現れと見て良い。

また地方では都市部への人口流出が続き、非自民党が独自に政治勢力をなすだけの体力(人、カネ、資源)が失われ、高齢化もあってNK党ですら候補者が擁立できなくなっている。これは1990年代から見られた傾向だが、最近では都市の郊外地域ですら見られるようになっている。記事にある神奈川県議選の状況はまさにこれなのだ。

選挙が行われなくなると、利害関係が固着、利にあぶれた層の流出や政治離れがさらに進行、地域の疲弊がますます進行して、コミュニティそのものが成立しなくなる。
デモクラシーは、民意を最大限政治に反映させることを至上価値とする制度であるが、これは限りなく全ての市民が政治的意思を表明することが大前提となっている。しかるに、「俺のことはもういいから、俺のことは気にせずに勝手にやってくれ(俺には関わるな)」という市民が増えれば、デモクラシーが空洞化するのが道理である。
19世紀に成立した議会制民主主義あるいは国民国家は、21世紀において黄昏を迎えていると見て良いだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
<支持者・有権者からのパワハラの類いが増えている
普通逆じゃないのか、と思ったら八王子の佐藤あずさ元市議が引退表明した時の一件で本当にあったんですね……。
半ばクローズドサークル化したところに若い女性が入ってくると、「おれが指導してやる」的な連中が近寄ってきてああなってしまうのだなと。

言論環境を観察していても、もう議会政治とリベラリズムは限界か、と思う反面独裁で国をまとめられるとも思えませんし、本当にどうなるのか。
Posted by スパルヴィエロ大公 at 2019年02月21日 14:00
表沙汰になっていないだけで結構多いようです。
特に若い女性議員や候補者に対してよく見られるようで、広河隆一氏の件は決して特殊な事例では無いのです。

特にここ5年くらいで「もう議員辞めたい」という声が増えた気がします。少し前は高齢や介護が多かったですが、最近は各種暴力や暴言を含むコミュニケーション難に起因するケースが増えているように思えます。
この点でも議会制民主主義を支える基盤が融解しているのです。
Posted by ケン at 2019年02月22日 11:47
議員=士業の副業と考えれば、まだまだ割のいい商売でしょう。
実際、国会、地方を問わず、近年はやたらと弁護士を始めとした士業からの転職ないし兼職が多い。

進路設定としては、議員になりたい人は、まず各種士業に入って、そこを基盤として、各級議員に立候補するのが王道かも。
落選しても、名前を売った分だけ、本業の士業にプラスになるでしょうから、元は取れますし。
Posted by はなはな at 2019年02月24日 09:56
その士業が地方ではほぼ成り立たなくなりつつあります。地方で開業する弁護士はなく、行政書士や司法書士は引退とともに廃業という有様で、かろうじて続けている人も部下に任せて自分は議員なんていう余裕は全くないですよ。
Posted by ケン at 2019年02月25日 21:07
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