2019年04月30日

伍相廟

政治思想教育の「ついで」に立ち寄った伍相廟。
春秋期の呉王闔閭と夫差に仕えた名軍師で、越王勾践に仕えた軍師范蠡との戦いで知られる。
呉越戦争に勝利した際、夫差に対して「滅ぼさねば禍根を残し、逆にこちらが潰される」と諫言するも聞き入れられず、その後も諫言を続けたため疎まれて自害を命じられ、「越によって滅ぼされるのを見るために、死後、我が目を城門の上に掲げよ」と言い残して自裁したと伝えられる。

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日本では漢文好きを除いて伍子胥の名はさほど知られていないが、「日暮れて道遠し」(吾日暮途遠)は聞いたことのある人も多いだろう。ただ、本来の意味はあまりに過酷な戦争のやり口を非難する同僚に対し、「老い先短いんだから、無理してでもやるんだ、手段を問うてる場合じゃ無い!」というキレた老人の戯言だった。しかし、現代では「年をとっても、まだまだやるべきことが沢山ある」みたいな良い話になってしまっている。
また、「死者に鞭を打つ」も楚王平王の死体を300回も鞭打ったことから来ている。
どう見ても優秀だが、人格に難がありすぎる人であり、上司にしたくないタイプである。
しかし、郷土の英雄かもしれないが、中国人は好きらしい。

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posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
上司にしたくないは同感ですな。
范蠡なら一緒に逃げ出して、他国で商売するのにお供しても良いけど。(良狗煮の故事はこちらが原典みたいね)
Posted by 胴田貫 at 2019年05月01日 07:42
おっしゃる通りです。
「苦楽を共にする」も、范蠡の「越王とは苦は共にできるが、楽を共にすることはできない」が原典の一つになっていると言います。
わが曾祖父の号「蠡舟」は、范蠡と西施が舟遊びを楽しんだ故事に因んでいると思われます。
Posted by ケン at 2019年05月01日 11:22
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