2019年05月12日

天皇制という不条理

【佳子さま、宮内庁の助言を拒み「一個人」ご発言で炎上】
 平成から令和にまたがる皇室の難題とは、すなわち「小室問題」に他ならない。
 眞子さまと小室さんとの結婚に関する行事が「2年延期」と発表されたのは昨年2月。が、小室さんは秋篠宮さまから提示された「金銭問題の解決」「経済的安定」という二つの課題をクリアしないまま、8月に渡米。11月には、お誕生日にあたり秋篠宮さまが“納采の儀を行うにはそれ相応の対応が必要”とのお考えを示されたのはご存じの通りである。
 「1月下旬、小室さんが母親の金銭トラブルに関し、代理人を通じて『解決済みと認識』などという内容の文書を公表したことで、事態はますます混迷を深めてしまいました」
 とは、宮内庁担当記者。が、眞子さまの小室さんを想うお気持ちは今も強く、これを後押しするかのように、3月には妹の佳子さまもICUご卒業にあたり、
〈姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい〉
〈メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切〉
 などと、一連の報道を疑問視なさるような文書回答をされたのである。さる宮内庁関係者が明かす。
「この内容については、事前に宮内庁の担当職員が佳子さまに修正をお願いしていました。『一個人』という表現とともに、あからさまなメディア批判でもあり、物議を醸すと判断したからです。ところが佳子さまは『父もしていることなのに、なぜいけないのですか』と、これまで度々持論を述べてこられた殿下を引き合いに、元の文面で押し通してしまわれたのです」
 結果、ネットでは“炎上”を招く事態に。
「眞子さまのみならず、佳子さまも現在、ご両親とは十分な意思の疎通ができていません。このご回答についても、事前に殿下がご意見を述べられることはありませんでした」(同)
 新時代に、不安の影はますます広がりそうである。
(5月9日、デイリー新潮)

週刊誌なので事実認定に若干の問題はあるものの、通常のメディアでは扱われないテーマなだけに仕方あるまい。

皇族は「皇族に生まれた」というだけで生活や教育が保証されるが、その代償として一般国民並みの自由や人権は奪われる。具体的には、居住の自由、移動の自由、言論の自由、職業選択の自由、思想信条や信仰の自由、公民権などがある。結果、日本は権利上の自由と平等が実現していないわけだが、「皇族は皇族であって、国民では無いから、国民の権利は認められない」という論法の上に「国民の平等」が成り立っている。

記事はサラッとさも当然のように書いてあるが、たとえ親王家であっても皇族の発言は全て当局の検閲が入っていることを示しており、皇族が自由な発言を行うためには「検閲違反」を行うしか無い状況に置かれている。
もちろん皇族は国民ではないため検閲に違反したとしても、法的に処分を受けるわけではない(治外法権)。また、憲法の建前上、第21条で検閲が禁止されているため、当局はあくまでも「助言であって検閲では無い」と言い張って、こちらも処分を免れる形になっている。本来、憲法に則るなら、宮内庁のヤクニンが皇族の発言にいちいち手を入れることなど「あってはならない」はずだが、皇族には憲法の第一条以外は適用されない。しかも、恐ろしいことに「担当職員」という、検閲の専門官まで配置されていることが分かる。

興味深いのは、「姉の希望をどうか叶えてあげて欲しい」という本来であれば、今時絶滅危惧種かよと思えるくらい妹の純情な「姉思い」の言葉を、官民そろってバッシングしていることだ。
その手法は「メディア攻撃ととられる(かもしれない)」という、あからさまに本筋を外した非難で、いかにも安倍政権の常套手段である「論点外し」の援用である。
また「一個人としての」が検閲に引っかかったところも興味深い。これは、皇族に「個人の権利は存在しない」という政府・宮内庁の意思表明であり、強要であることを示している。ネット上は「何好き勝手言ってるんだ」「小室某なんてダメに決まってるだろ」「皇族としてふさわしくない発言」旨の批判に溢れている。

確かに私も小室某は詐欺師臭がプンプンなので、実の娘だったら「いやいや、止めておけ」と強く言ったかもしれない。が、他人の結婚にどうこう言うのは、本質的に現行憲法の理念に反するし、たとえ実の子でも婚姻は自由意志に基づいて行われなければならない。そこを否定することは、憲法の根幹部分を否定し、権威主義体制への逆行を強めることになる。
だが、皇族に対してだけは、その憲法違反や人権蹂躙が許され、現行の天皇制はその上にしか成り立っていない。

こうした「娘たちの反乱」に対して秋篠宮が「強い指導」を行わず、同時に彼女たちを守ろうともしない姿勢に対しては、左右両側から強い批判を浴びている。聞くところでは、秋篠宮は重度の睡眠障害に陥っているという。
秋篠宮としては、皇族の一員としては「娘を指導」する立場にあるが、親としては「娘を守る」立場にあるだけに、どちらにも徹底できない思いがあるものと推察される。
個人的にはこの秋篠宮を批判する気には全くなれない。

この「皇室地獄」から脱却するための唯一の手段は「降嫁」、つまり「臣下に嫁ぐ」である。
かつての皇族は学校にも通わず、俗世とは完全に切り離されて育てられたが、現在では中途半端に普通の学校に通わされるため、「自分たちに自由も人権も無い」「皇室に生まれたという不幸」を嫌が応にも実感させられる。
少なくとも女子は、結婚さえしてしまえば、一般国民よりは制約があるとしても、概ね自由と人権が付与されるため、皇族の女子にとって恋愛と結婚は殆ど「蜘蛛の糸」のようなものになっている。
こうした事情が分からないと、佳子親王の発言の意味は理解できない。いや、ある意味では理解されているからこそ、「何勝手に逃げようとしているんだ!」というのがバッシングの源泉になっているのかもしれない。

この点、高円宮家の場合、母君が「やり手」なだけに綿密に調整して娘たちを上手く「片付けて」いるわけだが、母親の能力によらざるを得ないところも不幸極まりないと言える。もっとも秋篠宮の場合、王弟であるだけにより自由が効かないという問題もある。

逆に他国の王室の場合、皇位継承権が100番以下まで決められているケースも少なくなく、結果として婚姻の自由は相当程度認められている。日本の硬直的な制度が招いている側面も否定できない。

いずれにしても、天皇制が非人道を個人に押しつけることでしか成立し得ない制度であることを、リベラリストは思い知るべきであろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以前に誰かがコメントされていた通り、
さっさとバチカン方式にして、皇居一帯を独立させ、改めて皇族と個別にILO条約に則った労働契約を結ベば、といつもながら思います。

ILO憲章前文の「いずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは、自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となる」が、皇族と日本国民の関係にも当てはまることは「悲しい」を通り越して「喜劇」ですね。

早く共和制にすれば、どうでもいいゴシップで皇族と国民の心の安寧を掻き立てることもないのに、問題点から目をそむける、あるいは国やメディアによってそむけさせられている楽天的な日本人がいまだに多いのには呆れるばかりです。
Posted by 学鳩 at 2019年05月13日 02:01
バチカンは全世界からお布施が集まりますが、天皇家はどうでしょうね。奈良を観光地化するという意味では良さそうな案ですが。
天皇・皇族の「おつとめ」は労働として認められていないことも大いに問題です。
ああだこうだ言って、何も決められないまま煮詰まっていくのは日本史の「いつものこと」ではありますが。。。
Posted by ケン at 2019年05月13日 19:10
バチカンというと、「感情天皇論」を書いた大塚英志もそんな感じの主張をしてました。
「ローマ法王がイタリアの中のバチカン市国にいるように、天皇家を日本から分離する」と(東京新聞「「感情」で社会築けぬ 新刊で「天皇制の断念」を主張 大塚英志さん)。
京都市国誕生か。
Posted by スパルヴィエロ大公 at 2019年05月22日 13:56
京都が他国になるのは少し迷惑なんで、観光開発の点からも奈良にしてもらいたいです。
Posted by ケン at 2019年05月22日 19:24
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