2019年11月01日

自民党有志が皇族復帰案

【旧宮家男子の皇族復帰を可能に 自民有志の提言案】
 安定的な皇位継承に向け、自民党の保守系有志議員による「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」(代表幹事・青山繁晴参院議員)がまとめた提言案が20日、分かった。例外なく父方に天皇がいる男系の継承を堅持し、旧宮家の男子の皇族復帰を可能とする皇室典範の改正か特例法の制定が柱。23日に正式決定後、安倍晋三首相や自民党幹部に直接手渡す方針だ。
 提言案では、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」の創設について、婚姻した民間人男性が皇族となり、男系継承の伝統が途切れる女系天皇の呼び水になりかねないことから、否定的な見解を示す。
 男系維持のため、旧宮家の男子が現在の皇族の養子か女性皇族の婿養子となるか、国民の理解に基づく立法措置後、了承の意思があれば皇族に復帰できるようにする。現在の皇位継承順位は一切変えないことも明確化する。
(10月21日、産経新聞)

当然の成り行きではあるが、現実には「皇族復帰を希望するものはいるのか」「ロクでもないヤツが皇族になったら?」「婿養子の場合、皇族女性の意思は?」などなど疑問は尽きない。
このままではほぼ断絶は避けられないだけに、弥縫策としてはやむを得ないのだろうが、現実性の点では苦しい感じだ。
この問題については、すでに十分説明しているので、再掲しておきたい。
現在の天皇家は皇家と四宮家から構成されている。この5家のうち男子がいるのは秋篠宮家だけで、それも1人のみだ。現在の皇室典範は養子を禁止すると同時に、女子が皇族以外と結婚した場合は皇室から除籍すると規定しているため、今後も男子が誕生しない場合、皇家と三宮家は遠からず絶家となる。
どうしてこういう事態になるかというのは意外と単純な話で、皇統を維持するための装置、すなわち宮家が少なすぎることと、一夫一妻制のためである。

例えば、徳川家の場合、家康の直系は4代で途絶、三代家光の4男である綱吉が五代将軍となり、さらに途絶して六代将軍には家光の3男綱重の子である家宣が就任するが、それも次の家継で断絶してしまい、家光の血統は途絶してしまう。
そこですったもんだが生じ、紀伊家の吉宗が八代将軍になるのだが、吉宗自身は紀伊家二代目である光貞の4男で、上の3人の兄が早世したため紀伊家の五代目に就いた経緯があり、それ故に兄3人に対する毒殺疑惑が囁かれていた。
この吉宗の血も孫の家治で絶え、吉宗が血統護持のために新たに創設した「御三卿」の一つである清水家の家斉が十一代将軍を継ぎ、それも孫の家定で絶え、清水家から紀伊家を継いだ家斉の子・斉順の次男である家茂が紀伊家から本家に戻る形で将軍位に就いた。
だが、その家茂も早世、水戸家から御三卿の一橋家に入っていた慶喜が将軍位を継いだ。それも「水戸家のものは将軍位に就かない」という内規があり、最後まで反対意見が強かったものの、他に選択肢が無かった結果だった。

江戸時代は最も安定した時代で、保健医学も世界的に見て相応の水準にあったはずだが、それでも一つの血統が維持できるのは三代程度でしかなかったことが分かる。また、家康は血統を維持するために御三家を創設したが、御三家筆頭の尾張家からはついぞ1人も将軍位に継ぐことは無かった。このことは、血統維持のためには、必要なタイミングに後継者を提供できるだけの数をプールしておく必要があることを示している。たとえ男子が生まれても、相続のタイミングで相続可能な状態のものが居なければ意味が無いのだ。
それに気づいた吉宗は血統をプールすることを目的に御三卿を創設するが、田安家は二代目で途絶して養子、一橋家は四代目で途絶して養子、清水家に至っては初代に実子が無くいきなり養子という有様だった。

江戸城には大奥が置かれ、将軍家でなくとも正妻以外に側室を置くことが奨励され、実行されていたにもかかわらず、これだけ男子が育たずに養子をもらうことでしか血統を維持できなかったのである。
別の例を挙げれば、戦前に総理大臣を担った近衛文麿は、公家・五摂家の筆頭というサラブレッドだったが、文麿は江戸時代から300年間を通じて初めての正妻の子による後継者であったという。今昔を問わず、正妻と子をなすことがいかに難しいかという話だろう。
さらに別の例を挙げれば、江戸期にある庄屋・名主の家が100年後にも同じ地位を保っていたケースは10〜15%程度だったという研究もあり、要は8割以上の家は100年と保てずに没落してしまっており、名家の存続がいかに困難であるかを示している。

以上の話でお分かりいただけるのではないか。
現在の皇統存続の危機は、戦後改革によって14家あった宮家のうち11家が皇籍離脱処分となったことにある。その結果、1954年の高円宮憲仁親王(2002年に逝去)の誕生から2006年の秋篠宮悠仁親王の誕生まで50年以上にわたって男子の誕生が途絶えている。冒頭にも挙げたように、皇家と四宮家のうち男子がいるのは秋篠宮家だけで、しかも1人で、養子が認められない現行法では残り四家は遠からず断絶することになる。仮に悠仁親王が皇位を継いだとしても、その存続は絶望的な状況にあると言える。
宮家が廃絶された理由は、戦後の財政難と民主化、つまり華族制度の廃止にあるが、それは強大な皇族が貴族特権を有することはデモクラシーの原理に反するという考え方に基づいている。
だが、皇統の存続を第一に考えるならば、可能な限り多くの宮家を置いて、後継者プールを大きくすることに主眼を置くべきなのだが、近代あるいはデモクラシーの原理とどうしても背反してしまう。

また、明治帝が5人の側室を有していたのに対して、より近代的な(人権感覚のある)大正帝と昭和帝は側室を置かず、その新伝統は現在の平成帝と徳仁親王にも引き継がれている。だが、大正帝から平成帝に至る連続三代に渡って本妻が男子を産むという事態こそが、歴史的に見て奇跡的な幸いとも言うべき例外であり、血統の護持という点では奇跡に期待するようなことがあってはならない。
その意味では、天皇家と宮家には側室を置くことを容認ないしは義務づけることが望ましいはずだが、一夫一妻という近代道徳がこれを阻害している。
奇妙なのは、皇室に属するものには基本的人権や主権が認められていないにもかかわらず、何故か一夫一妻制度は導入されている点だろう。どうせ裁判権も選挙権も認められていないのだから、民法についても適用除外にすれば良いだけの話ではないか。
文仁親王などは年齢的に可能性が残っているのだから、今からでも側室をあてがうことは十分に現実的な選択肢と考えられる。

つまるところ、現状の皇統危機は、変に封建制(王制)と近代原理(自由と民主主義)を両立させようとした結果、自ら選択肢を狭めてしまっていることに起因すると考えられる。その意味で、保守派が反動回帰して「皇籍復帰による新宮家の創設」を主張するのは合理的な帰結ではあるのだが、現実には自由と民主主義そのものを否定しない限り、根本的な解決には至らないのである。
(皇統存続と近代原理の無理)
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どうがんばっても維持できないんじゃないですかね。
側室なんて、あり得ないでしょう。一般国民の常識からかけ離れたことをやれば、一般国民の皇室に対する見方はあっという間に激変するでしょう。そもそも、なり手がいるのか?皇室ともなれば、側室といえどもある程度は「良家の子女」である必要があるでしょうが、正妻だってなり手がなかなかいなかったのに、「お妾になってもいいです」なんて女性が今の時代にいるのかと。

旧宮家復帰も、当事者がそれを了承するのか、了承したとしても、結婚して男児が生まれる可能性等と考えれば、おそらく一世代程度の引き延ばしに過ぎないでしょう。
結局、女帝を認めるしかないと思うのですが、それも今度は婿探しが容易じゃないでしょうから、やっぱり永続的に維持なんて、無理なんじゃないですか。それでいいと私は思いますけどね。
Posted by 旧式左翼崩れ at 2019年11月01日 12:47
英王室も叩かれまくっていますしね。
一部のリベラリストは、王政の存続をもって権威主義に対抗しようとしていますが、鼻で笑うしかありませんね。
階級、身分、血統、差別を前提とした「リベラル」って、何なんですかね。
Posted by ケン at 2019年11月01日 19:41
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