2019年12月06日

東大の危機管理術に見る現代社会の有り様

【東大特任准教授、問題発言で大学側から「遺憾の意」 講座提供元のマネックスも寄付停止の事態に発展】
 東京大学の特任准教授の発言をめぐって、大学側や関連企業が声明を発表する事態が起きている。東京大学大学院情報学環・学際情報学府は11月24日、「職員による特定個人や特定の国、その国の人々に関する不適切な書き込みがあった」として、「大変遺憾に思うとともに、それにより不快に感じられた皆さまに深くおわび申し上げる」と発表した。
 問題発言をしたのは、大澤昇平特任准教授。「自社では中国人は採用しない」など国籍による差別と取られる発言をTwitter上で行い、波紋が広がっていた。これに対し東大は、「これらの書き込みは個人または兼務先組織に関するもので大学の活動とは一切関係がない」と関係性を否定した上で「大学の理念にのっとり、国籍はもとより、あらゆる形態の差別や不寛容を許さず、全ての人に開かれた組織であることを保障する」と大学側の考えを明らかにした。
 また、大澤特任准教授が持つ講座「情報経済AIソリューション」に寄付をしていたマネックスグループは東大の声明に続き、「本特任准教授の価値観は到底受け入れられるものではなく、書き込みの内容や現在の状況に関して極めて遺憾。今後、本講座に対する寄付は速やかに停止する方針だ」と発表した。
 同大の伊東乾准教授は、「当該青年の雇用は有期の寄付講座で、期限が来れば(職位は)自動消滅」「スポンサーからの寄付講座の停止は職位の消滅を意味する」とTwitterで言及。
(11月25日、ITmedia NEWSより抜粋)

本件はいくつか象徴的なキーワードを露呈させている。

・東大教員による人種差別発言
・東大の任期付き特任教授とその水準
・東大による「個人の書き込み」「大学の活動とは関係ない」との説明
・「東大はあらゆる形態の差別や不寛容を許さない」と主張
・「寄付講座」だから廃止して幕引き


どれも鼻で笑うレベルのキーワードだが、日本の最高学府であるだけに笑い事では済まされない。
まず大学当局がどう取り繕おうと、東大教員がその肩書きを用いてヘイトスピーチを続けていたということ。
東大のような巨大組織になれば、全ての教職員の思想信条をチェックできるわけでもなく、ネット上の発言を監視するわけにもいかず、起こってしまったことは仕方ないだろう。

問題はむしろ「あれは任期付き特任教授だから」「寄付が止まったので、自動的に廃止され、肩書きも失われるから」「OK」とし、さらに「あれは個人が勝手にやった悪質な行為であって、東大自身は差別や不寛容を許さない」と自己防衛に走って、問題の原因分析も解決手段も示さないことにある。

こうした危機管理手法は、現行の安倍政権あるいは霞が関のそれと非常に良く似ている。
問題の本質を分析、解明して、その根源から解決しようとするのではなく、個人に責任を負わせ、問題部局を廃止したり改編したりして、「無かったこと」にしてしまうというものだ。この次に来るのは、「当該記録はすでに廃棄されたので、わからない」かもしれない。
学校におけるいじめや不登校の問題も同じで、往々にして個人の責任にされたり、下手すると被害者側の責任にされたりしているが、恐ろしく酷似している。
「トカゲの尻尾切り」をしつつ、「自分たちは崇高な理念を持っている」と堂々と言ってしまう辺りも、恐ろしく不誠実な組織による、きわめて表面的な対応を感じさせる。崇高な理念を持っているだけなら、大日本帝国も同じだっただろう。重要なのは、崇高な理念が担保されているかであって、その確認を怠っていることを棚に上げて、「崇高な理念」を持ち上げてみたところで、「大東亜共栄圏」「五族協和」を掲げつつ、差別と弾圧を繰り返した明治帝政と変わらない。
もっとも、昭和帝政も東京大学も、明治のそれを無批判のまま、「GHQの命令」で形式的に改編したものに過ぎないのだから、本来的には東大の理念など空虚なものであることも確かなのだろうが。

また、責任者は「大変遺憾に思うとともに、それにより不快に感じられた皆さまに深くおわび申し上げる」と述べているが、これは解題するなら、「残念だ」「不快に感じなかった人とは無関係な話だから」と言っているに過ぎず、欧米の議会であれば、凄まじい追及にあったことだろう。
これも差別や精神的暴力が容認される日本社会だからこそ許される「説明」であって、東大教員は差別に寛容な社会にあることに感謝すべきだろう。

言うまでも無いことだが、差別や差別発言の放置は、容易に「関東大震災虐殺事件」や「水晶の夜」に直結するものであって、「発言を見て不快に感じるかどうか」の問題ではなく、全ての人に関わる問題である。
同時に興味深いことに、「あれは非正規の特任教授だから」と言ってしまうところに二重の差別意識があり、大学当局の「正規・非正規」の差別意識が、件の准教授の差別意識を助長していた可能性も検討されるべきだろう。
それだけに、「あれは非正規教員が勝手にやったこと」「不快に感じなかった人は無関係」とする東大のスタンスは、恐ろしく認識とリテラシーに欠けていると言えよう。

今回の東大教員による人種差別行為と東大当局の対応は、再び暗黒時代が近づきつつあることを予見させるに十分であることがわかる。
これでは優秀な学生ほど、日本に留学させるべきではないと思えてくる。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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