2020年07月14日

自由民主主義の賞味期限切れ

【東京都知事選 前回は8割超が供託金没収…「挑戦者」後絶たない理由】
 5日投開票の東京都知事選には過去最多の22人が立候補したが、その多くが大きな政党や組織の後ろ盾を持たない候補者だった。前回の都知事選では8割以上の候補者が一定以上の票を得られずに高額な供託金を没収されるなど、厳しい戦いを余儀なくされることも多い。なぜ「挑戦者」は後を絶たないのか。
 「公約を必ず達成する。そして都民の幸せを阻害する既得権益を断ち切る」
 こう訴えた男性候補は、新橋駅前でのごみ拾いの活動を通じて知り合った50人以上のボランティア関係者らに支えられ、選挙戦を戦った。
 供託金の一部もごみ拾い活動の関係者からの寄付を受けたといい、「『主要』としてメディアに取り上げられないことは想定していたが、奇跡を信じて当選を諦めるわけにはいかない」と強調する。主要5候補ばかりに光が当たりがちだが、都知事選ではそれぞれの候補者が独自の戦いを繰り広げた。
 別の男性候補は、政見放送で自身の主張を力説。公職選挙法の規定に抵触するとして音声を一部削除された箇所もあった。しかし、その奇抜さなどが会員制交流サイト(SNS)で話題となり、ツイッターの検索目印「#(ハッシュタグ)」を付けた自身の名前が、インターネット上で拡散した。一方で、選挙公報に記載がないなど、有権者へアピールする場を活用しない候補者もいた。
 都知事選に立候補するには供託金300万円が必要で、有効投票総数の10分の1を下回ると没収される。21人が立候補した平成28年の前回都知事選の総得票数は約655万票。実に18人が没収ライン(約65万票)に届かず、供託金を没収された。大きな組織を持たない候補者にとって、都知事選の没収ラインはかなりハードルが高いといえるが、なぜ挑戦するのか。
 選挙コンサルティング「ジャッグジャパン」社長の大浜崎卓真氏は「首都・東京の首長選ということで注目度が高く、政治的な思想や信条を広く訴えられる場でもある」と指摘する。その上で「奇抜さは、主要とされる候補者に対抗するための選挙戦略ともいえる。全員が何かしらの政策を述べており、有権者は全員の政策を横並びで見比べるべきだ」とした。
 ブランド・経営コンサルティングなどを行う「ワーク・アット」代表理事の上木原弘修氏は「注目度の高い都知事選で自分の考えを述べれば、一定層から共感を得ることができ、人脈が広がるといった効果も期待できるだろう」と分析。さらに若者の政治への関心や投票率の低さが問題となっている点に触れ、「さまざまな候補者が出るのは非常に良いことだ。若者が政治に関心を持ち、新しい風が吹くのではないか」と期待した。
(7月5日、産経新聞)

デモクラシー的には候補者がたくさん出ること自体は良いと思うが、人気投票化したことで、「政策競争によって優秀な人材を選抜する」というリベラリズムの側面が完全に失われていることが問題。

卑俗な表現をすれば、「どうせ小池には勝てないから、いいや」と冷静な判断ができるものほど政治参加を忌避してしまうわけで(残りはますますお祭りに走る)、こうしたことが全国的あるいは国政にまで広がっている。
市区長選の場合は、小規模であるほど人気投票にはなりにくいため、本来の「エリート選抜」機能がまだ働いていると考えられる。

だからこそ、私が主張する東京三分割が実現すれば、少なくとも多摩地域にはよりマシな知事が誕生する可能性が出てくると愚考する次第。多摩県知事が「五輪誘致」など考えないだろうし(「多摩五輪」も魅力的だが)、もう少し基地問題にも関与する気になるだろう。

封建社会が貴族支配で保たれていたのは、人口の90%以上が労働集約型の第一次産業に従事しており、統治の質や教育度の高さがさほど要求されなかったためだが、大衆に教育を施すインフラを整備するほどの資本、資源、技術が足りなかったので、貴族階級に集中することで統治者と知識人の養成をかろうじて実現していたという側面もある。

これが近代社会になると、労働集約産業の比率が低下して、知的労働の割合が高まり、統治の質や教育度の高さを各国で競うような状況になり、貴族支配では秩序が維持できなくなる。工業化社会では、大量の管理職が必要となり、国家や軍隊の規模が大きくなると同時に管理職と知識階級の需要も急増するが、貴族社会では量的にも質的にもこの需要を満たすことはできなかった。
第一次世界大戦で、貴族制度を濃厚に残す国家が一掃されたり、あるいは日本で戊辰政変が起こって士族特権が廃止されたのは、根源的には同じ理由からだった。

封建社会と貴族制度に替わる統治形態として模索されたのが「国民国家」であり、その主流となったデモクラシーは大衆の政治参加を、リベラリズムは選挙による政治エリートの選抜を提起し、これが融合する形で西側の自由主義社会の統治形態が整備されていった。
この国民国家モデルに対抗するものとして提起されたのが、ソ連の共産党独裁モデル、あるいは開発独裁モデルであり、共産党独裁の場合、原理的には全市民に門戸が開かれた唯一の政党に大衆が参加、その中で選抜されたエリートが国を統治するというものだった。この統治形態は、ソ連崩壊で失敗したかに見えたが、中国共産党やベトナム共産党に引き継がれ、現在もなお効力を失ってはいない。

1990年代にはフクヤマ『歴史の終わり』で自由民主主義の完全勝利が宣言されたものの、2000年以降、グローバル化と資本主義の高度化が進んだことで、大衆が政治参加の欲求を低下させる一方で、経済格差に対する不満を強め、他方では「選挙によるエリート選抜」の機能が急速に低下している。
恐らく歴史的には、代議制民主主義を大幅にアップデートするか、これに替わる新たな統治形態が求められていると思われるが、それが何かいまだわからないところが苦しいのだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 どうも、ケン先生。

現在、日本国には1817の基礎自治体があるそうです。
あ、東京特別区は除いてありますよ。
勝手な計画ですが、こんな案はどうでしょう。

現在都道府県は47あります、これを全部廃止します。
そして基礎自治体を統廃合しておよそ350程度にします。
この新自治体の人口は大体25〜40万人程度にします。
その上で新自治体に都道府県と全く権限を付与します。

要するに「都道府県」と「基礎自治体」を合併させる・・
と言うのはいかがでしょう。
そして、新自治体の政体(?)は今までの二元代表制
ではなく、議院内閣制に似た制度にいたします。
新自治体の行政長は自治体議会から選出されるようにして、
現在の国会の首班指名を擬する形にします。

そして、新自治体の「代表」として「こども首長」を
新自治体ごとの選挙で選出する・・・と言う仕組みです。
この「こども首長」は13歳以上18歳未満に被選挙権があり、
2年毎に選挙で選出する、で、この「こども首長」は
実質無答責で名誉職的な地位にして、政治権能を有しない、とします。
まぁ、「一日ナントカ長」の延長にあるものと思っていただけば
結構です。

こんな案ですが、どぎゃんですか?




Posted by ムラッチー at 2020年07月14日 23:24
 いつも読ませていただいています。初めてのコメントです。
 最近、欧州では「くじ引き民主主義」が実践されているようです。
 参考文献としてダーヴィッド・ヴァン・レイブルック「選挙制を疑う」(法政大学出版局}が翻訳されています。
Posted by SATO at 2020年07月15日 16:54
「基礎自治体」を再編して300程度にして、都道府県は廃止という主張は、まさに小沢一郎氏のものです。個人的には悪くない案だと思いますが、民主党内でも反対論が強かったです。やはり既得権益なんですね。
ただ、自治体で議院内閣的な制度を採用している国は、ちょっと思い当たらないです。

SATOさん、初コメントありがとうございます。
同書は「自由と民主の統治原理と抽選制議会の可能性について」で感想を述べています。私も結構影響受けましたよ。
ttp://kenuchka.seesaa.net/article/468898267.html

エリート選抜と大衆代表のバランスは非常に大きな課題ですが、果たしてやる気の無いものに代議員が務まるのか、「籤で選ばれた代議員」にどこまでの正統性があると言えるのか、私も色々議論したいとは思っています。
Posted by ケン at 2020年07月16日 09:43
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