2020年11月26日

アルメニア軍撤退に思うこと

【ロシア部隊展開でナゴルノ停戦 アルメニアが領土引き渡しへ】
 アゼルバイジャンとアルメニアの係争地ナゴルノカラバフを巡る激しい戦闘は16日までに、停戦合意に基づきロシア軍の平和維持部隊が現地に展開、双方の攻撃は完全に停止した。事実上敗北したアルメニアはこれまで占領していた地域をアゼルバイジャンに順次引き渡す。
 アゼルバイジャン領内にありながら多数派のアルメニア人勢力が実効支配するナゴルノカラバフを巡る戦闘は9月27日から44日間続いた。アゼルバイジャン軍が山岳地帯に南から攻め入り要衝シュシを制圧。アルメニア側は9日、ナゴルノカラバフ全体を失う恐れがあったため自国に不利な条件の停戦合意を受け入れた。
(11月16日、共同通信)

繰り返すが、敗北を認めるのは容易なことではない。
現にアルメニアでは、国会議長が襲撃され、首相の暗殺計画も発覚した。
タカ派が幅をきかし、暴走するのはいつの時代も変わらない。

明治帝政の場合、中国大陸からの完全撤兵を求めるアメリカの要求を拒否して、実質無通告で真珠湾の米艦隊を奇襲、開戦した挙げ句、300万人以上の同胞を殺害し、居住地の半分を焼け野原にして敗北した。
どう見ても、割りに合わない不合理な決断だったはずだが、開戦の決断を責める声は今もって大きくない。
仮に中国からの撤兵を決めたことで、内乱やクーデターが起こったところで、大戦による被害を上回ることはなかっただろう。逆にクーデターが成功して開戦したところで、結果は同じだったのだから、この場合、むしろクーデター派に全ての責任を押し付けることができてよかったくらいだ。だが、現実には東京裁判ですら、「誰が開戦のボタンを押したのか」ロクに明らかにできず、天皇への責任を回避するために便宜的に東条英機が槍玉に挙げられて終わった。

日露戦争については、「日露開戦の代償」で検証したように、開戦前には日露交渉が妥結寸前にあったにもかかわらず、日本側が一方的に開戦した。ポーツマス条約で日本が得たものは、
1.日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
2.日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
3.ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する。
4.ロシアは東清鉄道の内、旅順−長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
5.ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
6.ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。

だったが、1と2は開戦前の交渉で妥結済みだったため、実のところ日本が戦争で得たのは、3〜6の部分に過ぎなかった。その代償は、9万人近くの戦死者と3万人近い病死者、15万人以上の負傷者であり、税収が2億円のところに19億円の戦費(うち8億円が外債)というものだった。
この戦費について、外債引き受けを担当した高橋是清は、事前に政府に受けたレクチャーで「継戦期間を一年として4億5千万円」と説明されている。1904年の日本のGNPは30億円でしかなかった。
日露戦争もどう見ても割に合わない戦争だったが、現代においても開戦を批判する声は、私以外からは殆ど聞かれない。

一つの原因として考えられるのは、帝政は君主の絶対権と無謬性を前提としているため、決して過ちを認めない制度である上、実際の権力者にとっては「過ちを咎められない」が故にやりたい放題できるという問題がある。「統帥権の独立」問題はその最たるものだった。
この発想は戦後の昭和帝政にも受け継がれ、今日の菅政権に至るまで継承されているため、愚かしい決断が繰り返される割に、批判も上がらない仕組みになっているものと考えられる。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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